魯山人味道 (中公文庫)

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制作 : 平野 雅章 
  • 中央公論社 (1995年6月18日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (394ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122023468

魯山人味道 (中公文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 20160609読了
    足立美術館に掲げてあった魯山人の言葉にひかれて購入(肝心のその言葉を忘れるという失態)。料理人だよね…名前は聞いたことある…程度の認識で読み始める。食に重きを置く人の頭の中を覗く。●料理は「理を料る」●おいしいものが分かる人は食の基準が高いため、旅先で食べる食事や、人にごちそうしてもらう食事など、一般に嬉しい出来事であるはずのことが、そうでなくなってしまうという側面もあるらしい。

  • 北大路魯山人(1883-1959)、書家、画家、陶芸家にして、稀代の美食家。本書は、魯山人の食に関するエッセイや講演などを、弟子である編者がまとめたもの。魯山人の食に対する飽くなき追求がこれでもかと述べられている。本人の気難しい印象に比べて、それほど嫌味でなく、むしろ格調高く読みやすい。

    人間国宝級のハイレベルな人なので(しかも国宝認定を断っている)、僕ごときがマネできるわけはないが、印象に残った文章として、

    『元来「料理」とは、理を料るということなのだ。「ものの道理を料る」意であって、割烹を指すのではない』(料理の秘訣を問われ、合理性だと答える中で)

    がある。実験屋としては納得できる説明だと思う。

    僕は海原雄山を敬愛しているが、魯山人はその雄山のモデルらしい(設定上は魯山人の孫弟子)。ただ、雄山は最近、孫ができてから好々爺に堕落してしまったが、魯山人は死ぬまで狷介で、親しく付き合う人もいなかったらしい。さすがである。

  • 時代だなぁと思いつつ。
    名前だけはよく知っている魯山人をちょっとかじった気分にさせてもらえた。
    それだけでも価値がある。

  • 美食 とはなにか・・・
    を平易に語っている。
    おいしい をうまく捕まえているのであるが・・・
    おいしい の表現が 多様でないのに おどろく。

  • 魯山人味道は、とにかく錦木!
    季節に合ったものが食べたくなります。

  • 久しぶりに読み返してみますかな、魯山人の著作の数々。。。

    英語とマラソンをものにしたら、次は料理の再開もいいかも。

  • 目が洗われるような文章。

  • 様々な分野で業績を残した天才か、あるいは偏狭な美意識にこだわり抜いて孤独な晩年を送った変人か。読む者にとって魯山人がどちらに映るかは人それぞれであろうが、ともあれ強烈な個性の持ち主であることは間違いない。料理でも材料でも、また花々の美しさを取ってみても、みな日本が一番優れているのだ、という主張にはいささか同意しかねるが、自分の家で喰う食事以外は美味いと思わなくなってしまって、どこに行っても楽しめない、などという話を読むと「なるほどなぁ…」と同情してやりたくなるような気にもなる。

  • 食材との向き合い方、料理の拵え方などなど
    魯山人の持つこだわりに触れられる本です。
    なぜ料理をするのか?
    なんのためにするのか?
    どうして器や盛り付けにこだわるのか?
    魯山人は辛口に教えてくれます。

  •  魯山人っていうヒトは、嫌になっちゃう程凄い人だ。食の達人にして天才陶芸家であり、読めばわかるけれど、名文家でもある。しかも格調高くかつ達意の美文である。
     ブックファーストの銀座店は、うろついていると読みたくなる本が必ず見つかる店なのだが、そこで表紙の絵が目に留まった。
     西瓜や色とりどりのぶどうが籠に入れられていて、脇を悠々とコオロギが歩いている。惚れ惚れ見入ってまった。大きく『魯山人味道』と書名が朱記されている。魯山人は画人としても超一流の才能の持ち主なのであろう。凄すぎてため息が出てしまう。

     食、陶、文、画と共通するのはやはり「美」だ。美味いと書いて「うまい」と読むごとく美食は卓越した美意識の舌による表現といえる。その美食の「用の美」こそ器であろう。とことん突き詰められ、かつ論理的に再構成された美意識は、そのまま文にすれば達人の奥義が、読む凡人の頭にもスルスルと入って行く達意の美文となる。本書を一読すればそのことが直ぐ解かる。勿論画筆を執れば美しいものがそのまま見るものに伝わる絵となる。

     そういうため息が出るような凄い人が、ふぐの味だけは全くわからないといっている。読んでいる私は救われた気になった。魯山人は、「最高の美食はまったく味が分からぬ」といい、だが「やはり不思議な魅力をもっている」とふぐを勿論礼賛しているのである。

     凡人の私は、長らく(あるいは今でも)ふぐの味はどこが美味いのかさっぱりわからん、と思っている。だがなぜか食いたいと思うことがある。不思議である。
     新米営業マンだった頃、役員クラスの人事部長や財務部長が相手の接待で、銀座のふぐ料理屋を何度か使った。こちら側は常務か専務がメインホストで、店の手配やら案内状を作ったりの下働き役は当然担当の私の役回りだった。
     若い頃の私がふぐを食べられるのはそんな場面でだけであった。本邦有数のエグゼクティブを目の前に、脇には社長から数えて序列ナンバー3の専務とかがいて、
     「君、ふぐはね、こうして箸で一度に沢山つまんでね、がばと食う、これだよ」
     などと言われちゃう。でも序列3千何番目かの平社員が、一緒の大皿から遠慮なくとって食えるはずもなく、食べていなくはないですよ程度の食べ方しかできはしなかった。当然、味は全く感じられなかった。
     でも、その後同じ店で何度も昼のランチを食べた。偶然お昼に通りかかってお手ごろプライスのお昼のふぐ雑炊コースがあるのを発見したからだ。初めて試したとき、小さなふぐ刺しも付いていて感激した。感激はしたけれど、やっぱり美味いのかどうか分かった気はしなかった。それでも何度か足を運んだのは、女将が接待係だった私をしっかり覚えていて「先日はありがとうございます。今日はお一人ですか」とか「次は、彼女とご一緒に」とか言ってくれたり、小鉢のサービスをつけてくれたりしたからだったかもしれない。さすがに老舗の女将は違うと勉強してしまった。
     そんなことがあって、「ふぐ食べた暦」だけは年数と回数を重ねた私なのだが、ふぐの本当の旨さとは何なのか未だにさっぱり分かっていない。だのにやっぱり高いのに食べてしまう。これが魯山人のいう「最高の美食はまったく味が分からぬ」なのだなと今回初めて得心がいった。

     もうひとつ、同じ頃の恥ずかしい思い出。
     銀座に「久兵衛」という寿司の名店がある。当時久兵衛は私の顧客で、だからということで営業部の忘年会をそこで開いた。たしか1人2万3千円のところを特別に1万8千円に割引してはくれた。それでもかなり高額な、つまりは超高級店だ。店主が「いつもお世話になってます」と宴席まで挨拶に来てくれた。挨拶のお返しとお世辞のつもりで私はいった。
     「こちらは魯山人の器を使っておられるという噂ですが、それはどれでしょうか」
     店主、目じりがむっとしながら口は穏やかに、
     「ここにお出ししているもの全部です」
     大皿から醤油さし、豆皿、箸置きに至るまで全てが、壊したらおお事な魯山人の作品であったのだ。
     若気の至りの冷や汗エピソードではあるが、今改めて思い起こすと、あれも「用の美」に徹した魯山人の器の、極めて正しい使われ方だったのだな、としみじみ思う。

     こういうことが「分かる」ようになるのにざっと20年、かかった。

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魯山人味道 (中公文庫)の作品紹介

書をよくし、画を描き、印を彫り、美味を探り、古美術を愛し、後半生やきものに寧日なかった多芸多才の芸術家-魯山人が、終生変らず追い求めたのは美食であった。折りに触れ、筆を執り、語り遺した唯一の味道の本。

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