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この作品に関連する談話室の質問
この作品からのみんなの引用
みんなの感想・レビュー・書評
日本人が持っていた美意識についてわかりやすく書かれている。明治維新から西洋の文化が一気に入ってきたが、西洋の文化は、それまでに培われていた日本文化と異なるものであるため、どうしてもお互いうまくなじまないところがある。それをわかりやすく筆者の見解で述べていておもしろかった。
以前の日本人は陰影、闇をうまく利用していた。金屏風、漆器、おはぐろなど、暗い部屋で美しくみえるようなものは、現代のような明るい部屋では理解できない状況であることがよくわかった。
日本家屋や女性観など、日本の古きよきものを愛しく語りながら
しかし決して諸手をあげて日本賛美をするでない姿勢が、まず一線を画しているなと。
羊羹のくだりは痺れました…ああいう抑えのきいたぞくぞくする文章を書ける、本物がいた時代があったんですね。
日本の美的感覚は暗闇や薄明かりの中にあると、陰翳(いんえい)の大切さを表現しています。
光るものが嫌いと云う訳ではないが、浅く冴えたものよりも、沈んだ翳(かげ)りのあるものを好む。
漆器の美しさは、蝋燭のぼんやりとした薄明かりの中においてこそ発揮される。
明るくて白くてピカピカ光っているものが良いものとはかぎらない、逆にうすっぺらく見える。
濁りや手垢、慣れなどが深みのある光沢を生み出すと。
新しくて清浄なものもよいが、年数を重ねた趣の中にこそ日本の美意識があるのだと感じました。
有名な陰翳礼讃は全体の3分の1程度の分量。どうもタイトルが重い印象とどうにも昔すぎる随筆。なので意味の取りにくい比較やたとえもあり、取っつきにくくなっている。これはまぁしかたがない。しかし文体は八十年前の戦前、昭和初期のいいまわしとか古臭さをかもしだす言い回しは一切ない。
いまでも、こういう汎用的、誰にでもどこにでも通じる日本語を書き、話したいと思う。そういう文章を見たい読みたい、目にしたいという人にはおすすめ。
後半に収録されている(分量的には陰翳礼讃より遙かに多い)のエッセイ風・読み物風の特に厠の話は。
陰翳礼讃とは関係なさそうなこの後半の随筆が本当は面白い。
震災を経て、あんなにも明るかった街中が、ぼんやりと薄暗くなった今だからこそ読み返したい一冊です。
日本の古き良き伝統について書かれています。
日本は、蛍光灯ではなく、灯篭の光によって照らされているのが本来美しい・・
本来の日本の美意識に気づかされるだけでなく、
文章の美しさにもはっとさせられる一冊です
また、年齢を重ねるたびに、知人の数は膨大に増えていくものの、基本的には人嫌いは直らず、人と会うのが億劫である・・
ということが書いてある章もあり、著者の人間らしい面も垣間見ええて共感できる一冊。
日本人でよかった。とも思える一冊。
お勧めです。
部活の引率のバスの中で読了。日本という国のさまざまな側面(厠、色情、肌、部屋、気質…)を取り上げ、「翳(かげ」というキーワードでその特徴を明らかにしていく。
一種の評論なのだが、堅苦しくなく(現代の日本語と若干違うため多少読みずらくはあったが)、ユーモアを交えながら話が展開する。西洋や中国との比較の文脈で、日本について語られる調子も読んでいて楽しい。かといって西洋を絶賛したり。逆に日本を誇示するのでもなく、淡々と、流れるように軽やかに文章が展開していく。
日本語を操る達人はこうも読者を引きつけるのかと思うほど、一文の長さがちょうど良く、特に速読できるわけでもない私でも、3時間もかからずに読んでしまった。日本という国に生まれた以上、無意識に備わっている感覚があり、それが文章化されることで、深くうなずきながら読み進める自分がおり、それも新鮮な発見であった。
谷崎潤一郎の小説は一冊も読んだことがないが、この随筆ひとつとってみても文章の調子がほれぼれするほど素晴らしい。内容も自分が日本人である、ということを忘れがちな昨今、日本文化を再発見した気持ちだ。身の回りの者が全く西洋の物となってしまっている私にとって、谷崎潤一郎の和式へのこだわりは共感というより、なんだか現代とかけ離れた古き日本を思い起こさせるものだった。
谷崎潤一郎の文章の巧みさに舌を巻く。
モノの表現の仕方がうまくて大変参考になる。
これだけモノが書ければ楽しいだろうな。
日本独特の美的感覚について、建築や伝統芸能からの考察。
授業で一部取り扱ったので気になった。
○で短く区切れているので読みやすい。
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便利さと風情どっちを採るか。
欧米からもたらされて定着した色々な便利さが、日本で時間をかけて一から育っていたら全く違うものになっただろうな。
一方で、他所から持ってきたものを自分に馴染みやすく作り直すことが上手い、というのも日本的な部分だと思うし新しい文化が生まれるためにも外からの刺激はやっぱり必要なのでは。
そのバランスが難しい。
表題作以外もためになる、というか作者の個人的な一面が垣間見える。
*日本家屋や日本料理、能、蒔絵、人形浄瑠璃などは、電燈にこうこうと照らされるのではなく、燭台や月明かりの中でこそ美しい。それが元来日本人が追求して来た美意識であり、アメリカに真似て明るく照らし出しては趣きが失われる。
*南北戦争で32分の1混血まで迫害されたのは、僅かばかりでも翳りがあるから気にせずにいられなかったのだろう。
*お歯黒は口の中まで闇を含ませ顔を際立たせるための化粧であり、眉を剃ること、地味な着物もしかり。女性は薄暗い家屋のなかで顔と手だけで存在した。それは蝋燭の明かりの中でこそ美しい。
*美は物体にあるのではなく、それが次作り出す陰翳や明暗にあると考える。
谷崎というのは「死んでもなお女の足に踏まれ続けていたい」などと書いてしまう生粋の変体であって、しかもそれを芸術的に描いて社会的に評価されてしまうという手の付けられない変体だ。そんな人間が書いた日本文化論は芸術から日用品、そして人種までを貫く「陰り」の必要性についてのエッセイ。
「 私達は一概に光るものが嫌いといいう訳じゃないが、
浅く冴えたものよりも、沈んだ翳りのあるものを好む」
何もそれは、景色や道具だけに限った話ではない。
僕らは明るいだけの人間を好むわけではないのだ。
陰りのある人を好むこともあるし、沈んだ表情に惹かれてしまうことだってある。
それを暗に教えてくれる。
無理して明るくあり続ける必要なんて、ないんだよね。
2008年06月23日 01:56 陰翳を礼賛するって・・ さらに粗筋。 「人はあの冷たく滑らかなものを口中にふくむ時、あたかも室内の暗黒が一箇の甘い塊になって舌の先で融けるのを感じ・・」 なんの話だろう・・一見気味悪いというか、妖しい感じの話かと思いきや。 「・・ほんとうはそう旨くない羊羹でも、味に異様な深みが添わるように思う。」 羊羹の話かよ。 もちろん羊羹の話に終始し... 続きを読む »
随筆集のなかのひとつだったので、 他の部分も読んでいたら、 えらいこと時間がかかった。 さすがに読んだことない小説の書評なんて読むもんじゃないな。 常々、よくクールジャパンだの和モダンだのでくくられる、 日本文化の基本であると思われている シンプル、無駄をそぎおとした、禅の精神とかの形容詞で語られる特色に関して、 全く日本人である自分に沿ったものだという認識を感じない。 だ... 続きを読む »
日本人の感性の元を現代の私たちに示してくれた一冊。
この内容に対する引用も多くみられるので、日本人なら一度は手に取るべき一冊かと思います。
あわせて読むなら、「いき」の構造(九鬼周造著)ですかねぇ。
「諸君はこう云う「灯に照らされた闇」の色を見たことがあるか。それは夜道の闇などとは何処か違った物質であって、たとえば一と粒一と粒が虹色のかゞやきを持った、細かい灰に似た微粒子が充満しているもののように見えた。私はそれが眼の中へ這入り込みはしないかと思って、覚えず眼瞼をしばだたいた。」55頁
日本人って?という問いについて、白を基調にする欧米文化などと比較しながら一つの見識を拡げてくれる本。有名な羊羹の話以外にもエアートイレやマイナー旅行のススメなど、古い文体だけど谷崎の少し者に構えたユーモアみたいなのも身近に感じさせてくれました。
文化人も技術者も料理家もデザイナーも、いろいろな人が物事を見つめるのに参考になると思います。
昭和の初めに「世の中が明るすぎる」と嘆いた谷崎翁。
今の日本を見たら昏倒してしまうのではないか。
私もかねてから駅やコンビニ、パチンコ屋などの
過剰な夜間照明に辟易していたので、
311の唯一プラスとなった副産物として
世の中が少し暗くなったのは嬉しかった。
うるし塗りの美しさは暗がりでこそ、と谷崎翁。
日本に限らず、中世から近世にかけて
キンキラしたものが創られたのも
室内が暗かったからなのかもしれない。
そうしてみると、明るいところでキンキラを見ることは
照明をつけて映画を観るに等しい、ということになる。
夜明けとともに起きて活動し、
日が沈めば我と我が身を夜に沈める。
手元を照らす小さな灯りで書を読むのもよい。
それは健康なことであると同時に、
きわめて美しい暮らし方なのだろう。
宵っ張りの私には無理だとは思うが。。。

ある建築家のおすすめ本。





