秀吉と利休 (中公文庫)

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著者 : 野上弥生子
  • 中央公論社 (1996年1月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (608ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122025110

秀吉と利休 (中公文庫)の感想・レビュー・書評

  •  洞察と品格が際立つ、卓越した秀作。
     研究と虚構の交錯、美しい整合性、周到な構成の完成度は、解説通り“強靭な説得力”を持った、格調と示唆に富む歴史文学の巨頭。
     人物の個性に対する適確な分析が奥行きを広める。
     利休を疎んだ石田三成さえ、安易な悪役回りに置かぬ客観的な考察を加え、彼の非妥協性と生理的嫌悪が生々しい。
     何より利休と秀吉の、互いへの傾倒と敬意、稀有に優れた者同士の白刃の拮抗に鳥肌が立つ。
     利休の感謝と反撥、尊敬と侮蔑。
     秀吉の信頼と負(ひ)けめ、理想と葛藤。
     二人の対峙と距離感に、美醜の構図が窺える。
     それでいて、利休自身も聖人の如く扱われはしない。
     強さ・広さ・逞しさ・図太さが描かれてこそ、天下一の茶頭の輪郭が浮かぶ。
     切腹を命じられて後の心情を、主観的に描写しなかったのも見事。
     淡々とした筆致に、老翁の威厳と静寂が滲む。
     曰く付きの木像を目にしての、“私のほうが影法師です”が重い。
     そして、大き過ぎる父の存在に縛られて位置付けられる紀三郎の、自由を渇望する複雑な自己追求。
     息子のまなざしに問われる利休の怖れ、親子の愛憎の縺れ。
     獄門場の群衆に向けた心の絶叫、“おれが、あの首の息子だ”に泣けた。
     彼を通しての“生きるとは、いったいどんなことなのか”の問いに、立ち竦んで動けない。

  • 秀吉の力と 利休の美を 対照的に 描いている。秀吉と利休の心理戦は 圧巻

    子供の紀三郎と 弟子の宗二が 利休の生き方、死に方を決めた気がした

  • 2016/07/20完讀

    近來對於權力者秀吉的心理轉變感到無比的好奇,也想對利休與他之間的拮抗一探究竟,因此之前讀了海音寺和井上靖的作品(山本兼一那本讀完太久都想不起來了@@)。但是讀完這本,我深感滿意,許多疑惑透過小說家的筆獲得解答,也讓人深感,野上這本書是多麼一道驚人的障礙,後世作家要寫這個題目寫到超越她恐怕很困難。因為太圓滿,太有說服力,太全面。才剛讀幾頁,我就開始肅然起敬,也挺起脊梁覺得,這本書不能隨便亂看。

    故事中透過活在父親陰影下的叛逆三男紀三郎看父親宗易。身為不折不扣的商人,但是又是呼風喚雨的御茶頭,處於權力的核心,是許多人敬畏巴結的對象。宗易本人和秀吉是共生的存在,有秀吉才有他實踐藝術的空間,然而伴君如伴虎,野上在這裡凸顯秀吉與利休的君臣、師弟關係的矛盾,終究有一天會擦槍走火(織部、遠州和石州之後就不再有將軍藝道指南了)。秀吉的人物像描寫簡直天衣無縫,細緻無比,把這個卑微但又虛張聲勢的天下人,掌握不了利休、依靠他,但又把可以任意擺佈他為傲的個性梳理得相當清楚。秀吉和家人的關係也頗多描寫,身為潤滑油的大和大納言的英年早逝也是造成悲劇的原因之一。山上宗二那段相當慘烈,從小田原潛行出來見利休,道及決定放棄名物以無為的心態泡茶,利休告訴他其實賓主盡歡已無關道具,為了讓宗二獲得赦免,反而讓宗二慘遭毒手,他對宗二講的「御機嫌次第」也成為他永遠的痛,和古溪和尚都已經疲於討好秀吉了。而秀吉身邊以三成為首的官僚汲於挑出他的錯誤,秀吉常常用利休的人脈戰前去搓圓仔或打聽消息,官僚群認為越過他們的掌握、無可取代的利休正是豐家極權體制建立的最大敵人(看到這段就深覺無怪織部無法善終,光悅應該也是被洛中追放,對於這種亟欲建立中央體制的極權政治家而言,哪來什麼藝術村)。於是利休的一句「唐御陣、明智討のようにはいくまい」被挑出來作文章,表面糾彈山門壽像(在這裡說古溪和尚是為了利休捐獻代替塔所而刻),其實官僚們是要激怒秀吉,因為他的驕傲被污辱了,其他地方的蠢動其實要靠入唐之戰才能獲得完全的統一。宗二事件,加上秀吉漸漸邁入初老已經無法像微賤時代一樣控制自己的脾氣,更加陰晴無常,大和大納言不在而鶴松在生病,讓事態更加惡化,而利休也沒料到相當需要他的秀吉居然會最終暴怒做出切腹決定。

    野上所建築出來的世界與人物像,心理描寫和相處,絲絲入扣,相當有說服力。閱讀過程平平淡淡,但是卻每一自每一句都異常紮實,閱讀過程花了很多時間在思考,是一部久違的相當厚實,相當有貫祿的作品,帶著名作的威風堂堂的沉著感。雖然偶而還是感覺,這裡面的人物個性與其說是安土桃山,還較接近德川時代的感覺(附帶一提,書中聚樂第構造跟二條城一樣,不知是否可信。所以是否德川的封建儒家體制,其實從秀吉時代就已經打下一定的模子),另外的缺點是對話部分時代感相當不足,不過瑕不掩瑜,因為這本巨作的光芒太過燦爛了。每一幕,每一個細部描寫,都讓人驚嘆無比。例如一幕描寫利休泡茶,每個道具都在等著他觸摸的樣子。現在學茶繁複無比,禮數多如牛毛,不過那種渾然天成、縱橫無礙,與天地合一的澈悟的茶的境界,我讀了這本書相信是真實存在的,想到玉三郎,我相信利休的舉手投足,也會讓我有看到林布蘭自畫像的戰慄和感動。這本書塑造的利休像不管是否真實,我都因為這本書已經充分會獲得解答與滿足。傑作。

  •  秀吉が利休に切腹を命じるまでの数年の二人と周囲の人々を描く。

     農民から天下人となった秀吉。堺の商人から茶道の大家だけでなく政治的な要人ともなった利休。二人は絶大な地位と引き換えにある種の自由を失った。危うい二人のバランスは周囲の人間や時勢の変化によってその均衡を失っていく。
     自由であることと格式あることをどうバランスを取るかというテーマは、茶道のような芸術においてもそうであり、二人の関係に茶の湯の道と人生を重ねているのだと感じた。架空の息子、紀三郎が父、利休とどう向き合っていくかもこのテーマに絡めているのだからすごい。

     歴史好き、特に歴史上の人物好きにはたまらない。「花の慶次」読者にもお勧め。

  • 野上弥生子さんの代表作で傑作です。

    天正13年9月3日の世間でいう禁中での黄金の茶会から天正19年2月28日の利休自刃まで、史実に即しての物語です。

    利休ものでは井上靖に「本覚坊遺文」がありますが、読み比べれば野上さんのほうが優れていると思います。

    利休の茶というより秀吉の狂気のような権力者像が圧倒的迫力で描かれています。

    とくに能「明智討」に興じる秀吉と取り巻きたちを映し出す文章力の巧みさはまさに小説家「鬼女」です。

    歴史家より小説家の虚構が真実を語る良い例でしょう。

  • 文章のなんともいえないまだるっこさが取り付きにくく
    なかなか読みきれなかったが、やっと読むことができた。
    1ケ月 近くかかった。やっと・・・読んだ という感じである。

    半ばを過ぎてから 野上弥生子の文体になれてきたのだろう。
    風景と心象をじっくり丁寧に描いている と
    思えるようになったから不思議である。
    ニンゲンはなれる動物なのである。

    なぜ利休は殺されたのか?
    何が秀吉を怒らせたのか?

    ということを知りたかったのだ。
    利休の視線がよく描けている・・・
    息子の紀三郎の存在が大きいといえる。
    秀吉が もうすこし 描ききれていないが。
    二人の こころの拮抗状態が理解しやすいようになっている。
    宗二の石垣城でのことが、
    千利休への秀吉の処置への前奏曲となっていた。

    それにしても 能に関して詳しいことが書かれているので
    なぜだと思ったら 
    野上弥生子のだんなさんが能の研究者だったんですね。

    千利休は 織田信長のときから 茶頭をやり
    秀吉になってから 3000石の茶頭筆頭だった。
    茶師が、そこまで上り詰めるというのが 不思議である。

    千利休が 秀吉によって 切腹させられた理由が
    『唐御陣が、明智討ちのようにいくまい』と 妻 りきの兄に話したこと。
    『三門修造に千利休の像を作らせ祭ったこと』
    『茶の道具を高く売りつけ暴利をむさぼった』
    という主な理由がある。

    石田三成が、理を持って政をしようとしていた。
    千利休の存在を煙たがっていて、
    唐御陣に異議を唱える千利休の言葉尻をうまくとらえた・・・
    このことは 野上弥生子の推理もしくは仮説なのであるが、
    じつに、まともな論であると思う。
    これなくして、秀吉を怒るきっかけをつくりおおせぬことだろう。

    千利休像が三門にあるとそれをくぐることで 
    足元をあるかせるということになるので、
    秀吉のメンツがつぶれるというもの
    これは、茶室に入るとき にじり口をくぐらねばならない
    という茶の作法について、秀吉は不満を持っていた。
    茶室に入れば、ニンゲンとして対等という関係のなかで、
    茶道を作り上げた。

    秀吉が日本においては何でもできるが 
    千利休の作った世界は 金の力によってつくれるものではない
    ということに対する 大きなひけ目が、鬱せつしていた。
    千利休の 数寄 という美意識の前に ひざまつくしかなかった。
    その悔しさ・・・・

    この物語を読みながら 秀長 という人物の重要な位置が
    よく理解できた。
    秀吉は、50代すぎて、鶴松が生まれ、有頂天になっていた。
    わが世の春で・・
    唐御陣という,明さえ征伐しようとする気力に満ちていた。
    そんなときに・・・
    秀長が死ぬことで秀吉のバランス感覚が失われた。

    野上弥生子 この作品を書いたのが 
    77歳から79歳 
    なんというべきか・・・。

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