- Amazon.co.jp ・本 (261ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122026209
感想・レビュー・書評
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岡本太郎が沖縄(八重山地域に関する話が多い)を訪れたときの旅行記と、日本文化に関する論考。
西洋的な現代美術及びその影響を深く受けた現代日本の美術や芸術は貴族文化がベースとなっているけれど、沖縄の文化(歌や踊り)は生活や労働に根付いたものであり、それが実は日本古来の文化なのではないか、という趣旨の論を展開している。
この考え方を敷衍して、沖縄が本土復帰するのではなく、本土が沖縄に復帰するべきなのだ、と主張している。
以前読んだ大江健三郎の『沖縄ノート』もこのような主張をしていた気がするので、この時期にこのような主張が流行っていたのかなとも思う。
岡本太郎の文章表現が非常に芸術的で、意図を読み取るのが難しい箇所も多くあったが、まだリゾート化する前の石垣島の様子も知れて、面白い本だった。 -
「沖縄にこそ日本文化の純粋で強烈な原点がある」と、岡本太郎が確信に至るまでの沖縄との出会いと発見。日本の文化について考えるとき、避けては通れない一冊だと思います。
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太郎さんは沖縄の文化に惹かれていた様なので、読んでみたい。
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沖縄の肌ざわり
「何もないこと」の眩暈
八重山の悲歌
踊る島
神と木と石
ちゅらかさの伝統
結語
神々の島久高島
本土復帰にあたって
著者:岡本太郎(1911-1996、川崎市高津区、芸術家)
解説:岡本敏子(1926-2005、千葉県) -
沖縄で見たものを、どのように解釈してよいかわからず、この本を手に取りました。
岡本太郎は、奇抜な芸術家のイメージですが、
ソルボンヌで文化人類学を学んだため、文化論に関する著書が数多くあります。
この沖縄文化論は、1959年、1966年、沖縄を訪れたときのことについて、書かれています。
彼の見た沖縄は、今の沖縄とは、まったく異なる景色だと思いますが、沖縄の、そして人生のひとつの見方、考え方を教えてくれる一冊でした。 -
・沖縄の古典舞踊は、べた褒め。日本舞踊や歌舞伎をお座敷芸の影響を濃く受けてゆがんで発達したと批判的。
・入浴文化論。日本人が大の入浴好きなのは、身体をきれいに保つという実用的な意味だけではなく、多分に精神的でマジナイ的。毎日ミソギをやっているのだ。というのは面白い。
・久高島の風葬。
沖縄には日本の原始宗教、古神道に近い信仰が未だに生きている。のろは、その神秘的な女性の司祭、つまりシャーマンである。古い時代、沖縄では神と交わるのは女だけの資格であり、直接神事に関する一切は男はタブーだった。
すぶのシロウトにも子供にだってグンと訴えかけてくるようなものでなくちゃ仕様がない。(136頁)
身を守る最低の手段として、美しさ、みえなど考えてもいないのに、結果は偶然に美しいのだ。(65頁)
文化とは何だろう。土地の風土によって、、根をはったものが本当だと考える。その土地を耕すことによって生成するもの。その土壌とは、民衆の生活以外にはない。、、やがて貴族や特権層によって、形式の洗練をほどこされ、余剰の富と力の象徴、虚飾的な美となる。いわゆる高度な文化を誇ることになるわけである。(203頁)
・ひめゆりの塔〜異様な記念塔が構えている。デカデカと相当の金をかけたものばかりだ。ああ、ここに代表された無神経日本。聞けば地方選を控えて、昨年後半あたりにぞくぞくと建ちだしたのだという。(225)