土地と日本人 改版: 対談集 (中公文庫 し 6-48)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (292ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122027121

作品紹介・あらすじ

「戦後社会は、倫理をもふくめて土地問題によって崩壊するだろう」この状況を憂える著者が、各界五人の識者と、日本人と土との関わり、土地所有意識と公有化の問題などを語り、解決の指針を提示する。土地という視点から見た卓抜な日本人論にまで及ぶ注目の対談集。

感想・レビュー・書評

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  •  日本人の土地所有意識について、示唆に富む対談集。「戦後社会は、倫理も含めて土地問題によって崩壊するだろう」と憂う著者・司馬遼太郎は、歴史から見ても日本人の土地所有のかたちがきわめて特異であることを指摘する。1980年初版ではあるが、現在でもなお、都市研究にかかわる人にとって必読の一冊ではないかと思う。


    戦後の農地解放日本の全面積の7~8割を〆ていた山林のほとんどは無価値に近かったので、山林には手をつけなかった。ところが、宅地化し、工業用地化し、道路鉄道そのほかの土地利用のために、無価値に近かったものが平場の高騰にあおられて逆に平場を圧倒して狂騰し始めた。


    こういうことで資本主義を維持していったところで国際競争力はない。馬鹿高い土地の値段が入ったシャツ、一坪30万円のところで大根を作る、たかがすき焼きが銀座で食べると一万円…。


    徳川時代には土地を持っていたのは町人と農民。但しこの所有観念は今日のものとはっきりと違う。領主のご機嫌に背けば、一夜で裁判も何もなしに取り上げられてしまう。資本主義的な所有観念ではない。


    日本では銀行からお金を借りるときは、土地を抵当にして借りる。外国の銀行は土地を担保にして金を貸すなどということはしない。日本はこの土地ぐるい社会を輸出しつつある。


    一流企業、一流商社が驚くほどの含み資産を持っている。資本主義は本来物をつくって売って利潤を得ることなのに、土地を買収して工場用地にし、地価が上がることをもってして「偉い社長」となる。土地投機で成立している体制が資本主義かという、居住環境への痛烈な不満がある。


    (松下)完全に公有にすると今度は権力が伴ってくる。この土地はあなたのものになっているけれども、これは必要があればすぐに出さなければいかん、公有財産を預かっているつもりになってください、という考えを持たなければいけないということを、国民の良識に訴える。

  • 司馬遼太郎 「土地と日本人」

    40年前(1980年)における 野坂昭如 松下幸之助 ほか 土地に関する対談

    論旨は、土地をころがした儲けは 資本主義とは言えない、よって 土地は国有化すべきというもの。

    土地は社会の共有物ということだと思うが、資本主義の中に社会主義的な土地制度を組み込むという斬新なアイデア

    マルクス「資本論」は資本主義システムを批判し、個別論点として 土地国有化を論じているが、著者は 資本主義そのものは肯定しつつ、土地の商品化を否定している

    現在における中国の不動産バブルを考えると、著者が提言した土地国有化はバブル経済抑止の処方箋にはならないようだが、自由主義と資本主義の相乗作用に対する著者の危機意識の高さは伝わってくる

  • 林業の問題を考え続けて、また震災もあり、日本全体の問題を考えるにつけ、
    土地の問題を見逃すことはできなくなってきた。

    1960年代にこの問題を論じていた司馬氏の慧眼に改めて敬服する。

    また、このようなことを政治家に働きかけるのではなく(話をしたことはあったようだが)、作家の立場を守って、コツコツと訴えかけてきた、そのスタンスについても敬服する。

    古典から学ぶことがなくなると、我々の知性は衰退してしまう恐れがあると思った。

  • (01)
    司馬が5人の論者と対談をして,ほぼ手製でまとめた対談集で,司馬の持論である土地の公有化について,昭和50年前後の対談者の見解を求めた内容となっている.
    日本列島における土地所有の歴史が語られ,欧米の例が引かれ,現代の投機的な土地所有のあり方に疑問を呈している.語られた時代背景として,田中角栄の列島改造論などの国土開発の問題があり,都市的な所有よりも農地や山林の所有(*02)や土地売買への批判を投げかけている.
    土地法制の専門家である石井紫郎氏との対談では,「公」のあり方や納税意識にまで議論は及んでいる.また土木技術や水利の条件により土地所有が語られることもあるが,特に鉄製の農具や武器の所有や,鉱山開発とともに土地所有が問題とされている点は興味深く読まれる.

    (02)
    現代日本の農政や林政も問題視されているが,社会主義や天皇制などの政治とイデオロギーにも触れながらも,景観や環境の課題解決の方法として,司馬は土地所有を議論している.現代の土地の所有熱は,司馬に「イリュージョン」とも表現されているが,イリュージョンと日本人を取り巻く環境総体の齟齬については,いまだ議論の余地は大きく残されているように思う.
    地価が金融や財政とも連動して現代の日本経済の基礎がどのように築かれたのか(バブル経済はどのように生まれたのか),また,年貢や小作料が近世近代にどのように導入されたのか,といった歴史的経緯を概観するうえで,本書は入門としても読むことができる.

  • 日本人の土地に対する考え方の歴史的経緯と、バブルに向かっている70年代の社会に対する警鐘

  • 最近はあまり耳にすることも無くなったが、土地は値上がりし続けるという土地神話がまだ強く日本人の心を支配していた時代のお話し。

    この本が出版されたのはいわゆるバブルが始まる数年前であり、著者はバブルが弾ける少し前に亡くなってしまわれたが、田中角栄の列島改造論以降の土地ブームが、日本の原風景と勤労を美徳とする日本人の精神を如何に荒廃させてしまったか、そのことに対する憂国の思いが土地公有論という一見過激とも思える主張に集約されている。

    土地の所有権は国が持ち、国民にはその使用権を与えるという発想は、今の中国など共産主義国や社会主義国みたいではあるが、著者は決してイデオロギーから主張するのでは無く、天が公のものである如く大地も公のものであるべきという古代からの哲学的な思想を基礎にしている。その証拠に著者は本来の資本主義、土地投機による肥満化した資本主義ではなく、正しい投資によって新たなものを生み出していくという筋肉質の資本主義は望ましいと考えている。

    土地公有論も利権と官僚機構の肥大化を産んで結局いろいろな弊害が予想されるので一概に良いとは言えないが、人口減少社会の中で空き家や耕作放棄地の拡大、相続や登記などの制度から漏れ出た所有者不明の土地が九州に相当する面積にまで広がっているとの報道を見るにつけ、土地は誰が所有して管理すべきかという問いは今後ますます重要性を帯びてくるのかもしれないと思った。少なくとも、親から相続された先祖伝来の田畑を耕作することもなく(借り手もいない)、草刈りのためだけに週末を田舎で過ごさざるを得ない私の頭の中には、著者の主張が当時とは別の意味合いでリアルに響いてくる。

  • つまり、「土地は行政が所有した方が良いんじゃないか」という主張なんですね。
    正直、「えっ」というお話。「そりゃないでしょ」。

    司馬遼太郎さんの対談本。
    司馬遼太郎さんは1923生まれ、1996年没です。享年恐らく73歳。
    司馬さんのエッセイや講演は、けっこう細かいものまで、今でも読むことができます(売れるから、文庫になってるから)。
    60年代前半にはもう大流行作家になっていて、エッセイとか対談も多い。
    なので、実は、60年代70年代80年代の頃の「時代感覚」みたいなものを体感できる、そういう旨味もあります。
    つまり、司馬さんの言っていることが、いちいち全部「正しい」とか「間違っている」ではなくて。
    「ああ、この時代にはこういう対談やエッセイが、超大手マスコミで、喜んで印刷されて読まれていたんだな」という。

    そうすると、今の感覚からずれが多いのは、旧ソ連や中国などの、「旧共産圏」についての感覚ですね。
    皆さんがどうかは判りませんが、1972年生まれの僕としては、1989年前後の「共産圏崩壊」が印象に強いです。
    ソ連の自己崩壊であり、チャウシェスクのルーマニアであり、東ベルリンと東ドイツの「壁崩壊」ですね。
    そうすると、考え方の「イズム」はともかくとして、現在の行政の仕組みとしては、「共産主義、社会主義の仕組みはちょっと無いなあ」と、理屈ではなく思ってしまいます。
    結局、理想は汚職と派閥と不正と警察国家に歪められて行く、ということで、20世紀の歴史の物語は一つの完結になってしまっています。
    (と、いうのが、世に流れている物語なんですね。それが本当にそうなのか?というか、じゃあ僕らの周りは「そうじゃない」のか?という問いかけや思索は常に刺激的であり、必要だと思います)

    ところが、やっぱり1960年代~70年代、80年代くらいまでは、そうぢゃない訳です。
    特に、司馬さん含め多くの言論人が「中国」という場所に、何らかの希望を持っているんだなあ、と思います。
    中国についても、恐らく僕世代に人にとっては、「文革の悲劇、集団ヒステリー」という物語が中国自体で解禁されてからは、60年代70年代の中国を美化するなんてちょっと...と思ってしまいますが。

    ただ、この本は面白かったです。

    「土地は国有すべきだ」という主張自体に賛成するかどうか、よりも。
    「土地をどう所有するのか、どうやって所有のシステムになるのか」という視点からの歴史、というのがまずスリリング。
    日本は貴族や天皇や武家の棟梁が、「土地の所有」に関しては貪欲ではなかった、という話。
    所有していなくても、領地についての「収税権」があった。
    そこに、だんだん地元から「なんでやねん」と不満が上がったのが、「武士の誕生」。鎌倉政権。
    江戸時代にいたるまで、「収税権を持っている」ことと「地主である」ことは別物だった。

    それから面白かったのは「山林」についての価値観。
    (このへんは山崎豊子の小説「女系家族」に出てきたので多少見当がついたのですが)
    つまり、明治になるまで、実は日本の土地に関しては、「太閤検地」とほぼ変わらないデータ。
    明治後にまた検地してます。
    そして、戦後に「農地解放」。これ、複雑で微妙な事件ですが、要は大地主の耕地が、一定数、小作に渡された。

    なんだけど、これらが全部、「平地・耕地」。これ、日本の国土の25%とか、30%だ、という訳です。
    残りは、「山林」。この所有権が、ものすごく曖昧な上に、所有している人がズルく立ち回れるようにしている。
    「山三倍」。登記されている価値よりも、実質は3倍とか、数十倍の広さや林業収入があったりする。
    山は、実測検地が困難だから、詐欺や既得権が横行する。「山師」という言葉もありますね。
    ただ、もともと土地としての価値は少なかった。
    ただ、昭和になって、戦後になって、ブルドーザーになって、高度成長で新幹線になって高速道路になって。列島改造論で田中角栄さんです。
    イッキにこの価値がでかくなる。
    土地転がしで儲けだす。
    結果、土地の価値が異常に高くなる。結局はバブルですね。
    (結局、司馬さんは田中角栄さん及び田中角栄さん的なる自民党という文化?が生理的に嫌いなんだろうなあ、と思いました)

    これを司馬さんは、まず憂えている。
    公有すべきか国有すべきか、ということはともあれ、愁いのポイントはなるほどな、と。

    駅前広場や商店街、というのは、市有地でも私有地でも、「公共の場所」ではないのか?という問いかけ。
    「私有」だから、何をしても良いのか?という問いかけ。
    (これは実は、ラジオやテレビ、そして恐らく21世紀的には「インターネット」というのも、同じだと思います。ドキっとしました)

    ナルホドなあ、と。
    少なくともこの本が出た70年代では、「外国では土地を担保に銀行が融資することはあり得ない」と言う話もありました。
    ホントか嘘かわかりませんが、確かに、「土地の所有」「公共のものという感覚」について、諸外国の、そして日本の過去の経緯っていうのは、面白そう。
    そこの視点が目からウロコでした。


    ※「ひとびとの跫音」の主人公?のひとりである、ぬやま・ひろしさんとの対談が含まれています。

    ※テーマがテーマだったからか、この本は出版社や編集者主導ではなくて、司馬さんのある種の「自主出版」のようなものだそうです。

  • 司馬遼太郎が、土地問題を巡って野坂昭如、石井紫郎、高橋裕、ぬやま・ひろし、松下幸之助とそれぞれ行った対談をまとめた対談集。四十年前の対談だが、司馬が主張する土地公有論、新鮮で魅力的に響く。対談時期は、昭和五十年~五十一年。
    この一連の対談の背景として、昭和四十年代、土地転がしなどの土地投機問題が深刻化し、農業の衰退が指摘されていた。そしてその後に土地バブルが弾けたようだ。そういえばこの時期は高度成長期で、開発に次ぐ開発による環境破壊や公害問題が深刻化してたんだっけ。司馬が警鐘をならした土地バブル問題、結局その後平成バブルで繰り返してしまった。土地所有に関する限り、二十年間で世の中何も進歩しなかったんだなぁ。
    戦後の農地解放においても手着かずで放置された(測量がなされず、したがって地籍簿として管理されていない、ただ慣習による目分量で曖昧に管理されているだけの)山林の所有権の問題、全く知らなかった。今はどうなっているのだろう。
    松下幸之助の「資本主義においては、資本で得るところの所得はそう高いものであってはならない。資本の価値は十分に認めるけれども、それは労働とか勤労、まだまだ頭脳の働きを使って得るところの所得と、資本によって得るところの所得というものは、もちろん資本によって得る所得の方が薄いんだという考えはが原則として成り立っていなければいかんと思うんですよ。」という言葉、その通りだと思うのだが、現実はそうなっていないよなあ。確かピケティの本に実証されていたんじゃなかったっけ。
    巻末の文庫版あとがきで、司馬は「たとえば、日本の繁華な町の駅前は、どこでも汚ない。店舗がたがいにどぎつく自己主張しているために、醜悪という美的用語さえ使いにくい。石油カンでも叩いくように、たがいに色彩と形体の不協和感覚をきそいあっているだけのことである。」と書き、その理由として「駅前は自分たちの共有のものだという思想ができていない」ことをあげている。そういえば、子供の頃から、日本の町並みは何で汚ないんだろう(それに比べて外国、特にヨーロッパやアメリカの写真で見る町並みは何で美しいのだろう)とずっと悲しく思ってきたが、その理由が土地・空間の共有思想の欠如にあったとは。納得。もっとも、最近の再開発や観光地の町起こしなどでは、景観を意識した町作りが行われているようだが…。

  • 古さを感じない土地公有論。知らなかったことがかなりあった。

  •  司馬遼太郎が土地の公有について様々な専門家と対談する。

     歴史、政治に対してなるべく意見を持たないと言う司馬がこれだけは声高に主張する土地公有論。
     対談の中で司馬は土地の所有という視点から歴史を語るのだが、これがすごく腑に落ちる。日本における公や奴隷の認識についてもふれ、土地が高値で取引きされ働くよりも利益を上げてしまったり、住宅ローンの様に土地に縛られてしまうことなどの問題が強く感じられた。

     司馬の対談集の中でも重要度の高い一冊。

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著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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