九品官人法の研究: 科挙前史 (中公文庫 み 22-13)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (634ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122029910

感想・レビュー・書評

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  • 魏晋南北朝時代の官吏登用の研究において必読の本です。
    門地二品についてなどは現在疑義されているものでもありますが、それを差し引いてもこの本は素晴らしいと思います。
    現在は入手困難なはずですので、宮崎市定全集におさめられているものを読むのがいいのかもしれません。

  • 文庫ながらもれっきとした専門書なので、ちょっと敷居が高いかもしれない。
    けどこの本の内容は単なる制度の説明を超えて、漢末から唐にいたる時代の構造理解に役立つので、中国史をそこそこ知る人なら読んで得るものが必ずあるはず。

  • 魏の尚書陳羣によって創始された九品官人法と中正制度は、漢魏革命の際に漢臣を魏臣に円滑・有効に取り込む際にその力量を評価するもので、それが常置され初任官の評価に当たることになった。地域の声望から個人の力量を評価する理念のはずだったが、時の権力者や豪族に阿る現実を避け得ず、その運用は急速に貴族化していき、やがて門地二品と呼ばれる貴族層の固定化を為す。しかし制度が固定化してくると、評価を下すという中正(司徒府系列)の業務は重要度が下がり、門地を外れた任命時の拒否権を有するのみになり、代わって実際の人事を行う吏部(尚書省系列)の重要性が増していく。更に隋文帝が地方官の県令を中央より任命するようになると、中正は全くその職務を失い消滅する。
    九品官人法は当初その名の通り官位を九品に分かつものだったが、事績が蓄積していくと段階の細分化や、貴族の就くべき清官や寒士・寒人の就くべき濁官の別が生まれ、特に梁武帝の改造により貴族起家の流内十八班と寒士起家の流外七班と庶人起家の勲位に整理された。これは後の官人と胥吏の別に繋がってゆく。
    漢代より制度の有った秀才孝廉による郷挙里選は中正制度の間も継続され、試験による任官が為されていた。しかし運用はこちらも貴族有利な制度であった。こちらも後の科挙へと繋がってゆく。
    九品官人法は変性しながら後の次代の制度に繋がってゆく一大制度であった。

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著者プロフィール

1901-95年。長野県生まれ。京都帝国大学文学部史学科卒業。京都大学名誉教授。文学博士(京都大学)。文化功労者。専門は,東洋史学。主な著書に『東洋に於ける素朴主義の民族と文明主義の社会』(1940年)、『アジア史概説』全2巻(1947-48年)、『雍正帝』(1950年)、『九品官人法の研究』(1956年、日本学士院賞)、『科挙』(1963年)、『水滸伝』(1972年)、『論語の新研究』(1974年)、『中国史』全2巻(1983年)ほか多数。『宮崎市定全集』全24巻+別巻1(1991-94年)がある。

「2021年 『素朴と文明の歴史学 精選・東洋史論集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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