虚人たち (中公文庫)

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著者 : 筒井康隆
  • 中央公論社 (1998年2月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (293ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122030596

虚人たち (中公文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 「虚人」とは「虚構の人物」の略のようなものだと解釈しました。主人公は自分が虚構の中の人物=小説の中のキャラクターだということを自覚しており、作者によって召喚されたものの自分の「設定」をまだ把握していない。いきあたりばったりで脚本のないドラマをアドリブで演じさせられている役者ような状況。

    妻と娘が同時に誘拐されるというドラマでもありえないような事件の渦中に置かれるけれど、彼はただの出演者にすぎないゆえそこに焦燥感や危機感はありません。だって妻も娘も、それぞれの役割を演じている初対面の女優さんであり、彼女らがどんな目に合わされようと実は彼にとって痛くも痒くもない。だから彼にあるのは、次にどうふるまうべきか、どういう行動をすべきか、という切迫感だけ。

    とても実験的な作品で、その実験精神には大いに称賛を送りたいし、着想としてはすごく面白い。途中で空白のページが10頁近くあったのもビックリしたし、さすが筒井康隆!って思うけど、ではこれ読んでいて楽しいかというと、単純に「読み物」としてはそれほど面白くない。

    哲学的で抽象的で概念的なセリフをしゃべり続ける登場人物たち、妻や娘がどんなに酷いめにあわされてもそれが虚構と知るがゆえに一切感情を動かさない主人公および当事者たる妻、娘自身、つまり誰にも読者は感情移入をすることができないわけで。まあ逆に、であるがゆえに、ふだん自分が楽しく読んでいる「小説」というものの構造が浮き彫りにされ、何を面白い、と感じているのかを考えさせられたりはしました。

    一種の不条理的な印象は安部公房にも通じるものがありましたが(作中でちらりと安部公房の「密会」のことを指してるのかなという部分もあったし)それならば安部公房のほうが圧倒的に読んでいて面白い。本作のほうが実験的だけど、実はこれ、すでに安部公房がバレないようにやっていたことだったのかもという気もちょっとしました。

  • 自分はどうも筒井康隆を過大評価しているのかもしれない。いや、それか評価の方向性が間違っているのか。
    筆者のストーリー・テラーとしての才能は疑うべくも無いが、実験的な作品になると、その実験性にあまりに強く作品がひっぱられてしまい、筒井氏お得意の「娯楽性」に欠いてしまうように感じる。
    今作品は、「主人公が小説の登場人物であることを自覚している」「原稿用紙1枚が作中の1分に相当する」という限定をかけており、前者の部分でどのように物語が進展するのかに多大に期待していたのだけれど、それは主人公の思考に影響を与えるという訳ではなく(そもそも、「登場人物であることを自覚している」という感じの描写ではあまりなかった)、主人公はあくまで小説の登場人物であるということを読者側に意識させる構造になっている。しかしその実験、単純にあんまり面白く無い。解説では大いに褒められていたが、いちいち状況を確認するような描写が入ったり、かと思えば筆者に都合の良い奇妙奇天烈な事態が起こったりと、ご都合主義で退屈な描写が続くだけのように自分には感じられた。
    期待してたんだけどなあ。残念。

  • 驚きもありつつ、実際にこのような視点で書かれたものを読むには体力が必要だった

  • 筒井康隆の「愛のひだりがわ」の文庫版解説で「海」の元編集者だった作家の村松友視が「虚人たち」を「愛のひだりがわ」の対比として紹介していたので前々から読もうと思って積読していたこともあり読み始めた次第だ。
    あらすじにもあるようにこの作品がメタ小説であり主人公が小説のキャラクターを意識して思考行動しているのだろうがこの手の作品として東野圭吾の「名探偵の掟」が最近ではドラマ化もしていて著名だろう。そうは言っても「虚人たち」は1981年に出版されているからもう34年も前というのは驚きだ。
    書き手は主人公の「彼」の心象(というよりも思考そのもの)だけを綴っておりあたかも「彼」の一人称のような趣である。さらにはページ進行も「彼」の主体(もしくは思考そのもの)と同化しておりそこに仕掛けを設けているようだ。
    さらには「彼」以外の登場人物は「彼」の物語とは別の存在ながらお互いに交錯し新たな物語を組み上げようとしているのかしていないのかそもそもそのようなことを考えることこそ痴がましいがごとくに淡々と「彼」の心象(もしくは思考そのもの)だけが語られていく。
    そしてここまで読み流してお気づきかも知れないが「虚人たち」には意図的に読点が排除されている。そういうぼくも模倣して読点を排除してみたがやはり読みにくい。同様に「虚人たち」はただただ垂れ流されるのをただただ傍観するしかない脅迫観念に苛まれながら読みづつけなければならないのだ。
    物語は「彼」のことを語る語り手によって進んでいくが結局は下世話なサスペンスかおざなりのミステリーという形で終焉してしまう。それもまた「彼」の特異性なのだろうとは思うのだが結果として「彼」という主体を表現する語り手のその上位に筒井康隆という存在があることは忘れてはいけない。
    つまるところ我々はまたしても筒井康隆御大のもと(下)に「彼」というキャラクターのもと(元)で弄ばれたに過ぎないのである。この作品「虚人たち」はその程度にはぼくを翻弄させたと言っていいと思うのだ。

  • 筒井氏の小説を読むと、自分が壊れて熱が出る

    小学生の頃から2度3度チャレンジしても全然読み切れなかった
    小説をようやく!!読み終えることが出来ましたよ。
    勢いが大事ですね。

    私の人生に多大なる影響を与えた筒井氏。
    久しぶりに読むことで、やはり自分が既成概念にとらわれ、
    知らず知らず枠にはまっているなと思い知らされます。

    小説なんて虚構の世界だという、がつんと頭を殴られるような文章。
    世界を自分の脳内に投影すると、まるで自分が魔法使いになって、
    星のついたステッキを振ってどんどん好きに世界を操っている
    感覚になります。

    そうなんです、小説なんだもの。自由なんです。
    冒険的な小説は最後、どうなるかとドキドキしながら読み進めていくと、
    エディプスの恋人と同様、登場人物が理解し、受け入れることで
    終幕していきました。

    他の小説だって、登場人物はみんなわかっていて、
    その上で、この小説とは違い、破たんを、内部の事情をこちらに
    見せないであげているのかもしれないですよ?
    という問いを投げかける作品。
    本音と建前の日本人ですからね。

    小学生だった私は、初めて筒井氏の小説「家族八景」を読み、
    自分が築いていた世界観がぶっ壊され、その衝撃で熱を出した。

    その翌日、学校を休んだ私が日がな一日見たのは
    阪神大震災のニュースだった。

    筒井氏以前/以後で精神的にも物理的にも大きく変わった私は、
    筒井氏の小説を読んだ今日もまた、熱を出している。

  • 読むの大変だけど、他では読めない本だった。

  •  『巨船ベラス・レトラス』では作中のベテラン作家が次のように述べる場面がある。「わたしは今までもし作中人物という存在があるならそれは役者のようなものだと思っていました。自分の生活がどこかにありながら呼び出されて作者が設定した役を演じさせられているような存在だと思っていましたがそれは違うのですね」。ここでは「違うのですね」というのだがいまだそう思っていて書いたのが『虚人たち』なのだろう。
     だから本書は「今のところまだ何でもない彼は何もしていない」などという始まり方をするのだ。「彼」も作者に呼び出されてきたもののまだ手探りだ。自分がどういう人格設定の人物なのかわからないし今いる場所もわからない。
     どうやらいるところは自宅らしい。きちんとした服を着ているので仕事から帰ってきたばかりらしい。空腹だ。だが妻の姿が見えない。といったことを執拗な描写で明らかにしていく。映画俳優がいきなりセットのなかで意識を取り戻して手探りで演技をしていくところを描写した小説という感じだ。『繁栄の昭和』のなかには舞台裏まで撮ってしまう映画の製作という短編があったが。
     つまり役柄になりきった登場人物ではなくいまだ素の状態にある登場人物を描写した小説である点がメタフィクションなのである。ではフィクションの水準では何が起こっているのか。「彼」が少しずつ状況をみて探り当てたところによると彼が仕事から帰ってみると妻と娘が同時に別々に誘拐されたというあり得ないような設定なのであった。そこで部屋にこもっている息子を引っ張り出して一緒に妻を探しに行くのであるが息子は迷惑そうである。というのも彼は彼自身が主役を務める学園小説のほうが重要だからのようだ。
     という具合に他の登場人物もそれぞれに役者のようなものなのである。あくまでメタフィクションなのでフィクション層の進行は二義的であってひたすら虚構のなかで与えられた役柄を演じていこうとする「彼」の努力が微に入り細を穿って描写されるというすごい小説。実につまらないことの連続なのだがそれを読ませる筆力。読点はない。

  • 面白い試みだとは思いましたけれども、やはりとっつきにくい…それに文章が句読点なしに続くので戸惑いました。どこで読み止めようかと…ヽ(・ω・)/ズコー

    解説にもある通り、確かに小説のお約束的なことをからかっているのかな? と思いましたけれども…そして、それを面白がれましたけれども、これほどの壮大な実験に付き合うのはやはり骨の折れる作業…ラストまで読めばそれなりの感動は得られましたけれども、同じくらい疲労も覚えたのでした。

    ヽ(・ω・)/ズコー

    娘や妻が酷い目に合っているのに悠然と見守るというか、観察しているだけの主人公に共感を覚えました! ←え?? 社畜死ね!!

    ヽ(・ω・)/ズコー

    まあ、なんつーか、いくら酷いことだと世間に言われようとも僕にとってその事象はそんなに大したことじゃないよ…みたいな、傍観者めいた気持ちは確かに常に僕にあるな…とこの小説を読んで思ったのでした。おしまい。

    ヽ(・ω・)/ズコー

  • 筒井康隆の実験的な小説。
    通常、作中の主人公が一人称で語られる場合、主人公である彼は全てのことを知っているということはありえず、これは全知全能の語り手としての三人称小説と対照的である。しかし、この作品では、主人公が一人称の語り手をもって語られるのに関わらず、主人公は全知全能の視点を有する。
    また、物語では行為者の逐一の行為、心情は全て例外なく書かれるということはありえないのだが、著者は作中でこのことを実践する。
    実験的には面白い作品であると思うが、何よりもまずその実験のために読みづらさが凄い。読み終えるまでにかなりの労力が必要。

  • 何じゃこの妙な疾走感は!
    喉のあたりが「く~っ」てなる。

    変な決まりごとを作ることで、既存の小説の枷を外した超傑作。

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同時に、しかも別々に誘拐された美貌の妻と娘の悲鳴がはるかに聞こえる。自らが小説の登場人物であることを意識しつつ、主人公は必死の捜索に出るが…。小説形式からのその恐ろしいまでの"自由"に、現実の制約は蒼ざめ、読者さえも立ちすくむ前人未踏の話題作。泉鏡花賞受賞。

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