- Amazon.co.jp ・本 (316ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122033986
感想・レビュー・書評
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半世紀も前に今日の情報化社会を見事に予見していた著者。
【農業】→【工業】→【情報産業】
元の論文「情報産業論」は新聞以外のマスコミ創成期である1962年に発表され、当時の時代背景は良くわからないが、ラジオからテレビの時代に入り、直接口に入るもの、もしくは、工場で生産された工業製品でもない、情報というものの価値について語る。
コンニャク情報論…コンニャクは食べてもほとんど消化されず栄養物として価値の無い食品であるが、われわれはこれを食品として常用し、そのために大規模なコンニャク栽培もおこなわれている。これはいったいどういうことか。
→栄養価がないからといって、食品として無価値であるとはいえない。
→情報というものには、かなりの程度にこのコンニャクに似た点がある。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
昔とった杵柄・・とはこのこと。しかし内容はむしろ今こそ読み返されるべきものだと思いました。情報=コンピュータと思い込んでしまう世代にはとくに情報の本質を感じさせる本です。
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むつかしかったけど、ちょっと面白かったです。
新幹線は一見、運輸業にみえるけど情報産業として捉えている著者が面白く感じました。
内胚葉産業とか中胚葉産業とかは、さっぱり理解できなかったです。 -
図書館で借りた。
1960年代に発表された、当時では"初めて発明された言葉"である、「情報産業」についての本。60年代なので、テレビがようやく知れ渡ったくらいで、無論コンピュータなど知る一般人は居なかった時代。その時から「情報産業が来る」ことを見通し、論じたのが著者の梅棹忠夫先生。
読みやすく、時代背景考えると驚きの連続。情報量は情報理論として当時から測れるが、価値はそこじゃないとか、メタがどうとか…。これでもって専門は生物学系っていうんだから、また驚き。
元々著者の別の本から知ったので、その別の本も読んで見る予定。 -
読書会の課題本。現代に通ずる内容。再読希望。
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この書籍の中核を成している「情報産業論」の論文が発表されたのは1963年、なんと50年以上前だという驚きの事実。
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この著作が1963年に書かれたということが非常に驚くべきことであるが、さらに驚くのがその内容が、まさに書いてある通りの現代になっている事である。予言の書だと言われるのも分かる気がする。そして2018年現在、唯一内容に相違する点があるとすればコンピューターへの過小評価だと思う。情報産業=コンピューターとする世の中へ著者はそんなコンピューターという一産業のみを指す言葉ではないと指摘しているが、実際はコンピューターが情報産業よりも大きくこの世界を覆い始めている気がする。様々な場面にAIをはじめとするオートメーション化が進み、ついには人類は働くことさえも遊びになりつつある世の中へと変わっていこうとしている。2045年にシンギュラリティ=技術特異点を迎えるとこの現代がどのように進むのか。この「情報の文明学」がいまこそ「古典」として読み直される価値とヒントがあるような気がしている。
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糸井重里『ほぼ日刊イトイ新聞の本』で良書として紹介されていたので購入。1960年代に書かれた論文「情報産業論」は、まさに21世紀の現代を予見した驚きの内容だ。『情報』の性質を正しく見極めることで、その将来像を言い当てるすごさ! 情報産業は従来の第1~3次産業とは別次元の産業構造なんだ。「情報の考現学」では職種ごとの考察と疑問提起がなされているが、2045年問題と考え合わせた時に、人間とコンピュータをはじめとした情報機器との関係性が逆転してしまうかもしれない未来を想像して少し不安になるな~
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「情報産業」というと、今ではコンピュータとインターネットというイメージが強い。しかしそれは狭義の情報産業でしかない。本来は宗教やレジャーなどの、体験や感覚に訴えることも含むのだ。
時代の流れとして、農業の時代、工業の時代、情報の時代という考えがある。今では一般的なこの考えだか、最初に発表したのがこの本の著者、梅棹忠夫らしい。感心してしまうのはその着想をTV放送から得たという。ようやく民法の放送が始まったような時代にである。そうとうの先見の明があったと言うしかない。
ある意味で残念なのは、今この本を読むと当たり前なことばかり書いてあるということだろう。新しい考え方に触れられるというのではなく、こんな昔に思いついていたのかという驚きしかないのだ。