情報の文明学 (中公文庫 う 15-10)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (316ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122033986

感想・レビュー・書評

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  •  梅棹忠夫氏が「情報産業論」を最初に論じられたのは1962年ですが、その後の時代の流れを正確に見通していることに驚きました。生物の発生学にもとづいて情報産業を外胚葉産業と例えた着眼点もさることながら、情報の意味と価値に関する認識を改め、情報経済学までも打ち立てようとされています。

     特に情報産業時代の価格決定システムとして提案されている「お布施原理」には目からうろこが落ちる思いでした。一般にモノの価格は需要と供給で決まりますが、情報の価格は売り手の格と買い手の格で決まるという洞察されてます。実際に現代社会ではソフトやコンテンツに対して正規料金を支払う人もいれば、で無料でダウンロードする人もいます。このお布施理論は来るべき「評価経済社会」にも通じるものを感じます。

     また、梅棹氏はマーケティングについても先見性があったようです。梅棹氏が80年代以前から指摘していた体験情報の重要性や顧客ニーズの個別化の動きは、その後「経験価値マーケティング」や「1to1マーケティング」としてMBAコースでも教えられています。

     コンテンツビジネスについても、80年代当時に民放が情報の価値を理解せずに古いフィルムを廃棄していた一方で、梅棹氏はビデオオンデマンドの構想を先駆けて打ち出し、ライブラリの構築を進めていました。

     現代では当然と考えられていることを40年以上前に予見した梅棹氏の思考の根底を理解することは、この先に起きる変化に対応する際に必須かもしれません。

  • 糸井重里さんのご紹介から、読みました。情報産業論のお話には、圧倒され、現代社会が、梅棹先生のお話の世界になっている状況に、ただただ、言葉がありません。オススメしたい一冊です。

  • 初めて梅棹先生の本を読みました。
     読めば「1960年代に、この現代を見抜いていた」という慧眼に感服することは間違いないと思います。過去・歴史の分析と、現在に起こっている事象との相違・繋がりを、絶妙な「言い換え」によって表現し、そこから未来を読む。この「言い換え」が梅棹先生の慧眼に結びついているのではないか?と感じました。
     分かりやすい例えもあれば、一読では理解しがたい表現もあり…だからこそ余計に、好奇心を掻き立てられるのかも。読むのに難儀して、一旦置くんだけど、時間をあけるとまた読みたくなり…を、読み切った後もしばらく繰り返しそうです。

  • 「文明の生態史観」などで有名な梅棹氏ですが、本書も梅棹作品の古典の一つということで、やっと手に取る機会ができました。本書の内容は1960年代に書かれているということですが、「情報産業」なるものが勃興しつつあること、それはこれまでの主要産業であった工業とは全く異質で、梅棹氏の言葉を借りれば、工業は物質的充足度を追求しているのに対して、情報産業は精神的充足度を追求するものになる、という主張は2019年に読んでも大変説得力があると感じました。

    梅棹氏の用いる喩えは、理論的に正しいのかどうかというよりも、そのユニークさと頭の中に残る粘着度が非常に高い。例えば、人類史を紐解くと主要産業が農業→工業→情報産業と発展しているが、これを人間の部位にあてはめてみようということになる。すると、農業は消化器官系を中心とした「内胚葉」にあたり、手足の強化にあたる工業は筋肉を中心とする「中胚葉」に該当する。そして情報産業とは脳神経系、あるいは感覚器官を中心とする「外胚葉」に該当することになる。つまり情報産業が主要産業になる世界とは、梅棹氏の主張によれば、人間の「外胚葉」の進化を促す世界であり、人間進化の最後の段階ということになるわけです。

    そのほかにも、工業がいわゆる実業であるのに対して、情報産業は虚業であること、ただし虚業はポジティブな意味として捉えるべきであるという主張がなされています。数学でも実数と虚数があって、その両方で複素数平面が構築されるように、工業と情報産業があわさって、ようやくすべての領域が表現されるようになるのだ、という喩えも使われていました。

    もう一つの有名な喩えが「お布施理論」でしょう。つまり情報産業のアウトプットに対する価格付けです。工業製品であれば原価を積み上げて適正利益率を上乗せして値段をつけるという「お作法」がありますが、情報産業の商品(例:動画、コンサルティング)の値付けはどうなるのか、という問いに対して、梅棹氏は「お布施」と同じだと断言するわけです。お布施の額がどう決まるかと言えば、檀家の格とお寺の格に依存する。両変数が高ければ高いほどお布施の額が高くなる。つまりクライアント(檀家)とサービス提供者(お寺)の格で決まるのだ、ということで、この考え方が完全に正しいかどうかは別として、2019年現在に照らしても、なるほどそうかもしれない、という気にはなりました。50年以上前の古典ですが、デジタル化が大きく進む昨今においてもかなりの説得力がある内容だと思います。

  • AIの時代が到来しました。これは、情報産業革命の完成フェーズであり、人類の最終フェーズなのでしょうか。それとも、情報産業革命を経て第4の世代に入り始めたところなのであり、自ら進化する機械との共存共栄のスタートなのでしょうか。

  • 1960年代に書かれたものであるが本質を捉えている感が凄まじい。しかしときは2019年、本書を読む必要性はそこまで感じない。情報とは、コミュニケーションとは、それを整理するにはとても良い。もう少し最近の本だと細分化されていて解像度の高い本が他にありそうである。
    情報産業が発達した後に世界はどうなるのかを考える補助線になるといいような気もするけど難しものだ。

  • 梅棹氏の先見の明には驚きを禁じ得ない

  • 梅棹氏が執筆した『情報産業論』を軸に有識者との対談や後年に書かれた解説文書等をまとめた本であるのだけど、この『情報産業論』が1962年に執筆されたという事が驚きだ。
    2014年現在に読んでも、未だに色褪せることの無い内容だった。
    こう物凄く内容が濃い為、言葉に表すのが難しいのだけど、『情報』という存在の新たな一面に傷かされた自分としては是非に多くの人に読んで欲しい本だった。

  • 往来堂書店「D坂文庫2015春」から。
    1962年に梅棹忠夫が書いた『情報産業論』の本文と、その後の再説やそれにまつわる講演などをまとめた一冊。これが1962年に書かれたということに驚嘆する。民間放送が活発になってきた時代を背景に「放送人」という切り口から、今後の産業の重心が農業から工業、そして情報産業へ移行してゆくことを論じている。果たして、その半世紀後の現在、著者の予測があまりにも的確であることに唸るなと言う方が無理な話だ。
    興味深い指摘が満載だが、そのうちのひとつは「コンニャク情報論」か。栄養価はゼロだが、歯触りで味覚に満足を与え、消化管の中に入ることで満腹感を与える。すなわち、感覚器官と脳神経系を大いに刺激する。このコンニャクと似た存在の情報があることを著者は指摘する。仮にノイズにしか思えない情報でも、感覚器官と脳神経系を興奮させる以上、情報の一種であり、排除できない、と。
    コンニャクを食べるのか、それをうまいと思うのか。この辺りがあふれる「情報」との付き合い方のカギなのかもしれない。

  • 文化人類学の持つ時代を超えていく目線に感服しました。今の時代を梅棹さんがみたら何を語るのか?
    そんな事をついつい考えてしまいます。

著者プロフィール

1920年、京都府生まれ。民族学、比較文明学。理学博士。京都大学人文科学研究所教授を経て、国立民族学博物館の初代館長に。文化勲章受章。『文明の生態史観』『情報の文明学』『知的生産の技術』など著書多数。

「2023年 『ゴビ砂漠探検記』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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