日本文化論の変容: 戦後日本の文化とアイデンティティー (中公文庫 あ 5-3)
- 中央公論新社 (1999年4月18日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (212ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122033993
作品紹介・あらすじ
『菊と刀』から「日本叩き、日本封じ込め」論まで、日本「独自性」神話をも創り出した。その議論の移り変りを、戦後の流れのなかで捉え直した力作。吉野作造賞受賞のロングセラー。
感想・レビュー・書評
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戦後日本のアイデンティティーが、時代の要請によっていかに「日本文化論」「日本人論」の言説として形作られ実践されていたのかが、丁寧に論じられています。
近代日本は、「西欧」という「他者」の認識なしに「自己」のアイデンティティを規定することができなかった... 読みながら、学部で習った「日本美術論」が「西欧美術」を鏡にして論じられていたことなどを思い出しました。こうした日本の自己認識、近代の政治的な構図は、日常生活の中に見られるあらゆる言説の前提として刻印されているように思います。
個人的にとても面白かったのが、1980年代になって、「日本文化」をめぐる問いが、「日本文化論」という現象をめぐる問いへと転換されたこと。「日本文化論」とは「事実」というよりも「願望」である、という渡辺靖の指摘を思い出しました。
また、ナショナリズムとしての「日本文化論」に加えて、大衆消費財としての「日本文化論」の側面が強くなってきたのが、1970年代でした。これに関しては、『文化ナショナリズムの社会学』(吉野耕作)で、より詳しく論じられています。「慰めの大衆消費財」と化した「日本文化論」が今日のメディアや市場に溢れかえっているのを見ると、当時の青木氏の警告を日本社会がどれだけ真摯に受け止めたのか、疑問に思うところもあります。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「日本文化論」に興味はあったもののどこから手をつけたらよいかと考えあぐねていた際に本書を紹介してもらった。「日本文化論」的なものは今でこそ保守派の言説が多数を締めているが、学問的には文化人類学で語られてきたテーマなのだなと本書で知った。その当時の社会背景を鑑みながら体系的に論じられているため、非常に参考になる本だと思った。
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【単行本の目次】
はじめに 007
第1章 戦後日本と「日本文化論」の変容 017
第2章 『菊と刀』の性格 030
第3章 「否定的特殊性の認識」(1945〜54) 053
第4章 「歴史的相対性の認識」(1955〜63) 064
第5章 「肯定的特殊性の認識」前期(1964〜76)、後期(1977〜83) 081
第6章 「特殊から普遍へ」(1984〜) 126
第7章 「国際化」の中の「日本文化論」 156
おわりに 173
註 179
あとがき(一九九〇年六月) 191 -
ルース・ベネディクト『菊と刀』から、カレル・ファン・ウォルフレンに代表される「ジャパン・バッシング」に至るまで、戦後の日本文化論の変遷を整理した本です。
著者はまず、アメリカの人類学者クリフォード・ギアツが『仕事と生活』の中でベネディクトに言及し、「日本人の奇妙さ」を取り上げる一方で、それが「アメリカ人の特異さ」へと反照するまなざしを持ち合わせていると評価していたことを紹介しています。
本書では、戦後の日本文化論を4つの時期に分けて論じています。西洋の先進国モデルや社会主義の発展段階論に基づいて日本の特殊性が否定的に論じられた「否定的特殊性の認識」の時代(1945-54年)、加藤周一の『雑種文化』や梅棹忠夫の『文明の生態史観』に代表される「歴史的相対性の認識」の時代(1955-63年)、日本の経済成長を背景に、「日本的経営」に代表される日本のシステムの優越性に注目の集まった「肯定的特殊性の認識」の時代(1964-83年)、そして84年以降の「特殊から普遍へ」の動向が現われる時期となっています。
その上で著者は、日本文化論は開かれた普遍性を求めるよりも、特殊日本の肯定へと閉じられた方向に向かいがちであり、「日本の独自性」の神話が社会に流通することが、イデオロギー的な役割を果たしてきたことにも触れ、ベネディクトの「文化相対主義」的な観点を取り戻すことの必要性を主張しています。
日本文化論のイデオロギー性に言及するのであれば、梅原猛の「多神教」論や、イザヤ・ベンダサンこと山本七平らの議論も取り上げて欲しかったところです。アカデミズムの枠内で扱うことは難しいのかもしれませんが、それを言うなら梅棹の文明の生態史観もどっちこっちではないかと思います。 -
日本文化論の変容を、ベネディクトの『菊と刀』が出た戦後から執筆現在まで追ったもの。文化人類学分野の研究者としてタイ研究を行っていた著者による書籍。
日本文化論は、その時々の、世界における日本とは何か、というアイデンティティを問われた時に、日本人が自らを表現するために使用されるため、イデオロギー的である。そのイデオロギーの変遷を追った著作といえる。言い換えれば、日本における思想変容を追ったものともいえる。そのため、各時代における新たな分析枠組みが提示されている訳ではない。しかし、本作のような総括的なものは他になく、各日本文化論研究を読み始める前に読んでおくと、大筋を理解出来、非常に参考になると思う。
文章表現も平易に書いてあるため読みやすく、その点からも良い書籍であると思った。 -
戦後60年、日本人の見方・文化の変わりゆく様。もはや我々は日本人ではない。富裕にして浮遊人だ。
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妹より。人が読む本を読むことで、自分の関心外の分野を知ることができ視野が広がる。
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ピーター・デールによる、「日本人論」に見られる三つの主要な特徴。
一、日本人は先史時代から現代まで続く一つの文化的社会的な同質人種的存在を形成していており、その本質は変わっていないと仮定すること、二、日本人は他の知られるどの民族ともまったく異なるものであること、三、その立場は明確に自覚的な意味で民族主義的であり、外部の非日本人が行った研究分析に対しては観念的にも方法論的にも敵意を示すこと、である。
ハルミ・ベフは、「日本文化論」を「目的があってつくられたイデオロギー」ないし「神話」であると主張している。「文化論というものは、日本の文化を忠実に、客観的に描写したものではなく、ある一定の日本の特徴をとり上げ、それを強調し、都合の悪いところは無視して一つのシステムをつくる。どうしてそういうものをつくるかといえば、それが体制に役に立つからです」
幣原喜十郎「アメリカにできないことは−いかなる外部の国にもできないことは−命令によって自由な、民主的な日本を造りだすことである。いかなる外国も、彼と同じ習慣や仮定をもたない国民に、彼の考えどおりの生活の仕方をするように命ずることはできない」 -
文化人類学者の著者が、戦後の日本文化論の変容を丁寧に解説。
代表的な日本論の個々の解説という体裁ではなく、
一定の時代区分に分けて、その変容について論じている点が特徴。検討の深さは群を抜いている。吉野作造賞受賞のロングセラー。
(目次)
1 戦後日本と「日本文化論」の変容
2 『菊と刀』の性格
3 「否定的特殊性の認識」(1945~54)
4 「歴史的相対性の認識」(1955~63)
5 「肯定的特殊性の認識」前期(1964~76)、後期(1977~83)
6 「特殊から普遍へ」(1984~)
7 「国際化」の中の「日本文化論」
(追記)
第1期「否定的特殊性の認識」(1945〜54)
『菊と刀』ルース ベネディクト
『日本社会の家族的構成』川島武宜
『堕落論』坂口安吾
『気違い部落周遊紀行』きだみのる
丸山真男による日本ファシズム論
第2期「歴史的相対性の認識」(1955〜63)
『雑種文化』加藤周一
『文明の生態史観序説』梅棹忠夫
第3期「肯定的特殊性の認識」(1964〜83)
『「甘え」の構造』土居健郎
『ジャパン・アズ・ナンバーワン』エズラ・ヴォーゲル
『タテ社会の人間関係』中根千枝
『恥の文化再考』作田啓一
『日本の経営』尾高邦雄
『文化防衛論』三島由紀夫
『文明としてのイエ社会』村上泰亮・公文俊平・佐藤誠三郎
第4期「特殊から普遍へ」(1984〜)