死者の書・身毒丸 (中公文庫)

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著者 : 折口信夫
  • 中央公論新社 (1999年6月18日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (223ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122034426

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死者の書・身毒丸 (中公文庫)の感想・レビュー・書評

  • 折口信夫が1939年に発表した長編小説。奈良県葛城市にある當麻寺に伝わる當麻曼荼羅の伝説をベースにした幻想小説。文語体の文章が読みにくいというか、分かりにくいのでハードルが高いかもしれないですが、とてもおもしろい作品です。大学の授業で中将姫の伝説について講義を受けたことがあるので、個人的には懐かしかったです。ならまちには中将姫が生まれたとされる誕生寺や、数カ所にお墓と伝わる場所もあります。この本を片手に大和の地を散策してはいかがでしょうか。中将餅食べたい…。

  • 「死者の書」をまるっと読みたくなったので、再読。古代の人々に当たり前だった心持と、物語としての面白さと二重の意味を含ませた、美しい話。私はこの中公文庫版で読むのが好きだけど、注釈と続篇がついていて、仮名遣いが改まっている岩波文庫版でももう一度読もうと思う。しかし原典がやはりよい。雰囲気が全然違う。

  • 『死者の書』は、近代文学史どこにどのように位置付けていいものか困惑する小説である。それは、北辺の彼方にただ一人屹立す単独蜂であるかに見える。物語は、3層からなる構造を持っている。まず、二上山の山上に葬られている大津皇子に代表される神々と死者の世界。その対極には大伴家持や恵美押勝らのいる現世の地上世界がある。そして、この2つの世界のあわいに藤原南家郎女(中将姫)がいるのである。そして、そこに紡ぎだされる物語の世界は、きわめて静謐で冷やかな抒情に満ちている。例えれば、それは月の光だけが持つような美しさだろう。また、本書にはまた、冒頭の「した した した」をはじめ、「ちよう ちよう はた はた」の機織りの音など、折口独自のオノマトペがきわめて効果的に働いている。 なお、川本喜八郎がこの作品をもとに人形劇『死者の書』を製作しているが、なかなかに良くできていて、こちらもお薦めだ。

  • 『説経節』の「信徳丸」の関連で、そういえば折口のこの文庫は買ってあったはず、と引っ張り出してきました。併録の「身毒丸」については、上記の本で少し触れたので、ここでは主に「死者の書」について述べます。

    冒頭の暗闇の場面が印象的な、不思議で魅力的な物語である。
    水のしたたる音が響く洞窟で、長い眠りからゆっくりと覚めていく「彼の人」の描写は忘れえぬ印象を残す。

    物語の幹を作るのは2人の人物である。1人は政権闘争に敗れて若くして命を絶たれ、二上山に葬られた大津皇子。1人は当麻寺に伝わる曼荼羅を織り上げたといわれる伝説の主、中将姫(本書中では郎女)。
    民俗学者でもある折口はこの2つの話を結び合わせ、幻想的で非常に美しい世界を作り上げた。
    当時の風俗も織り込みながら、物語が見つめているのは、うつつではない、幻の世界である。そしてまた、郎女の心もまた、この世ならぬところへと向かっていく。

    読み終えたとき、壮大なこの世のものではないような風景が目の前に広がるのである。郎女が見た、二上山の上に立ち上がる尊い巨大なものの姿のように。


    *久しぶりの再読です。若い頃、このお話がとても好きで、当麻寺まで曼荼羅を見に旅をしました。

  • 当麻曼荼羅に着想を得て、奈良時代(登場人物から推察して、天平宝字頃)を舞台に日本古来の原始信仰と、この頃に本格的な隆盛を迎えた仏教の融合の物語ともいうべき「死者の書」と、その解説といえる「山越しの阿弥陀像の画因」鎌倉時代に発生したとされる『峻徳丸伝説』の原点に迫る「身毒丸」の3編を収録。表題作は小説という形をとってはいますが、これは間違いなく民俗学だと感じました。旧仮名遣いなので敷居が高いと思いがちですが、ひとたびリズムに乗れば意外と読みやすく、特に死者の書は物語の持つ独特のイメージに圧倒されます。

  • こんなに難しく感じた本ははじめてでした。私は日本人だったのかしら?と感じるぐらい読めない漢字やわからない言葉が次から次へと・・・辞書を片手に読破!そしてもう一度読み直してみると,なんとすてきなお話でしょうか・・・

  • 大津皇子の魂と耳面刀自の魂の交感。

    大学一年生の時にいったん挫折したのを再読。
    私たちにとって「古文の世界」といえば源氏物語の平安時代、そのさらに遡ること350年、古の飛鳥時代の「昔」の世界に身を置くことができます。飛鳥の人々の暮らし、宗教、記憶。
    厳かで重々しく寒々しい。

  • 再読。「死者の書」は、名作というより名文。「した した した」「あっし あっし」「ちよう ちよう はた はた」など、独特の擬音語(?)のリズムも心地よくて、幽玄な世界へ連れていかれてしまう。

    「身毒丸」はいわゆる説経節などの「しんとく丸(俊徳丸)」とは筋書きが違う。継母などは影も形もなく、田楽師の美少年にその師匠が抱く怪しげな感情のほうが気になる。

    ※収録作品
    「死者の書」「山越しの阿弥陀像の画因」「身毒丸」
     解説:川村二郎

  • 恩師から薦められた折口信夫さん。

    どの本から手をつけようかと悩み
    難解とは聴いていたがタイトルに惹かれ
    最初の一歩に選んだ。


    やはり読書初心者には難解だったが、
    自分の中に新たな川、民俗学が合流してきた。

  • もう……「死者の書」……!傑作すぎて初めて読んだときから虜。半分も理解できてないのかもしれないけど。それでも虜。
    折口信夫という人の、歌人であり学者でもあるという立場がこの絶妙な塩梅を生んでいるのか、霊感的な世界を描きつつも明晰な視線に貫かれている。私のお棺にはこの本を入れてください。(児)

  • もし自分が死んで埋められたら そして長い年月が流れ・・・その感覚がありありと手触りするように感じられる

  • ・収録作品・
    死者の書
    山越しの阿弥陀像の画因
    身毒丸

    解説 川村二郎

  • 死を仮想体験できる稀有な書。

  • 「死者の書」は少し難解で消化不足なところもあるが、この言葉の力と世界観は圧倒的だった。一瞬にして神秘の世界が包み込んでいく。「山越しの阿弥陀像の画因」も難しかったが、これを読んで少し掴めた気がする。「身毒丸」は高安長者伝説や能の弱法師、説教節の知識が僅かにあったので興味深かった。弱法師や伝説とはかなり設定が異なっており、折口信夫の「しんとく丸」になっている。身毒丸が最後に見た顔とは一体誰だったのか、様々な解釈が成り立ちそうで面白い。この世界観に触れる機会に巡り会えたことがなにより嬉しい。

  • 解説が勉強になりました。本作品のもつ小説と学術論文との中間地点、幻想的な立ち位置にある、近代文学史における最高傑作であると同時に、唯一無二のジャンル分けできない小説であるとの分析。この小説の違和感はそこにあったのか、と思いました。
    単純な歴史小説ではなく民族学的側面からのアプローチ、無駄のない文体であるにも関わらず、ひとつひとつの文字から浮かび上がる四季折々の様子、沸き立つ香り。
    節から節への連続が途切れることがなく、きちんと繋がりながらも趣を変えて進んでいく描写にほう、とため息をつきました。蓮糸を力強く織り上げる郎女のごとき文章の展開、光に満ち溢れるラスト(至高天…!アクィナス!!)。絶妙でした。味わい深い作品でした。この単調な物語の中に、折口の見つめた日本の姿が丁寧に編み込まれていて、目から鱗です。
    山越の阿弥陀像の画因もとても面白く拝読いたしました。太陽信仰という原始的な信仰について、さらに仏画の絵画的表現へのアプローチなどとても勉強になりました。何より、絵画が奇跡的に発見された部分の描写にはやはり小説的な文体が生かされていて、それはもうロマンチックに感じられます。
    19世紀末から20世紀にかけての西洋美術史論文を読んでいる感覚に近いように感じました。ロベルト・ロンギとヴェルフリンの間、でも、ヴェルフリン寄り。かな。適当です。(放り投げ)

  • 『死者の書』は幻想的で且つ崇高な趣があり、とても難しく感じた。『身毒丸』は原始的な妖しさを感じた。どちらも自分には馴染みのない世界観が広がっており、理解するには古典を勉強しなければ、と痛感した。

  • 多分こういう文章、言葉が自分には合わない。
    難しく感じてしまう。

  • 説経節ついでに「身毒丸」も読んでみた。15年くらい前に藤原竜也の「身毒丸」を見たのだけど、あれとはだいぶ違うね。
    折口自身が目指したのは、文学としての「身毒丸」ではなく民俗学的成果としての「身毒丸」。説経節の「しんとく丸」あるいはその同系である謡曲の「弱法師」の原型としての「身毒丸」、より原初的な物語としての「身毒丸」。の、はずなのだけど、原初的という印象はうけない。確かに物語の出発点として身毒丸が自らのコミュニティを放逐される展開は非常にシンプルでわかりやすい。しかし、その終盤においては特段のイベントが生じるわけではなく身毒丸の心象風景が大半を占めている。叙事ではなく叙情なのだが、果たしてそうしたものが説経節や謡曲になるのか。人口に膾炙するためには、やはり明確な出来事として語られる必要が有るんじゃないだろうか。そう考えると原型を目指したというのを額面通りに受け入れることはできないと思う。

  • 「死者の書」単体の文庫本を昔読んだはずなんですが、
    ほとんど記憶なしってことで、新鮮な味わいでした。
    飛鳥時代の皇族で、謀反の廉で死に追いやられた大津皇子の霊と、
    仏門に入りたいと願い、
    一晩で当麻曼荼羅を織り上げたという中将姫の交感。
    謡曲「弱法師」の翻案「身毒丸」は初読。
    えっ、ここで終わり(^^;)?って思った。
    それにしても、中将堂本舗の中将餅が食べたい……。

  • 私の「無人島に持っていくなら」本のうち五指に入ります。美しい文章と文体から匂い立つ時代の薫りが素晴らしい。當麻寺の曼荼羅伝説がもとになってるそうで、當麻寺に行ってみたくなります。

  • 時代を感じる時代錯誤文。疑古文的。
    日本神話は人間の人間たらんものが全て含蓄している。
    言わずもがな、折口氏の著作。

  • 冒頭の死から目覚める大津皇子の独白で一気に幻想の世界へ引き摺り込まれて不可思議な感覚のまま読み続けた。
    時代に残されてゆく大伴家持、俤を追って万法蔵院へ引き寄せられる南家の姫君、と登場人物も素晴らしい。
    何度読んでも鳥肌が立つような感覚になる、すごい本だと思う。

  • 近代日本文学の金字塔。天才民俗学者が一枚の曼荼羅の先に見ていた古代の世界、そこに広がる空気・音・人々、読者は本書を通してその全てを「体験」することができます。他に類を見ない珠玉の傑作。たっぷりと時間をかけて読み通してほしい一冊です。

  • 随分前に読んだ本。何度読みなおしたか、判らない。関連した評論も読み、人形劇の映画も見た。
    以前の新潮文庫は口絵に山越阿弥陀の屏風絵の写真だった。元々「山越阿弥陀の画因」が併載されていたが、現在の版は身毒(しんとく)丸が更に追加されている。

    漆黒の闇の中、彼の人は目覚める。自分が誰であったかよりも先に死の際に、一目見た女性、耳面刀自(みみものとじ)の名を思い出す。
    春分の日、二上山に迷い込んだ南家の郎女に大麻の語り部の姥が語る。亡霊には郎女が叔母の耳面刀自に見えると。
    折口信夫にしか書けない古い日本語に魂を絡め取られていく。
    郎女は阿弥陀の幻に誘われて当麻寺に迷った。
    そして夜の訪れ。「青馬の、耳面刀自。 刀自もがも。女弟(おと)もがも。 そのはらから子の 処女子(おとめご)の 一人 一人だに わが配偶(つま)に来よ」「なも 阿弥陀ほとけ。あなたふと 阿弥陀ほとけ」郎女は亡霊を阿弥陀の訪れと理解する。海の中道に白玉を拾い、水底で水漬く白玉になる郎女の夢。
    話は郎女が二上山に沈む夕陽の中に阿弥陀の姿を見る話から、当麻寺の蓮糸曼荼羅の秋分の日の完成へ繋がっていく。

    この小説はさっぱり、判らないという評論もある。絶賛する声もある。
    僕自身は最初に読んだ時は、亡霊のことばかり思った。その次は家持や恵美押勝のことを考えた。その後は、語り部の姥のことを考えた。
    すべての人は滅んでいく。祀るものもなく、語るものもなく。折口信夫の学問は継承されても、この美しい言葉は誰にも語れない。少しでも郎女の近くでと、林の中に彷徨いながら昔語りする姥の姿は作者の心情だと思う。

    姥と郎女は、古い神の嫁と新しい神の嫁の姿のようにも見える。
    この小説が判るのかと言われれば、判らないことだらけなのだけれど、時に郎女や亡霊のことを思い出し、考える。
    これほど何年経っても心に残る小説はなかった。

  • 2010年8月13日購入

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死者の書・身毒丸 (中公文庫)の作品紹介

古墳の闇から復活した大津皇子の魂と藤原の郎女との交感。古代への憧憬を啓示して近代日本文学に最高の金字塔を樹立した「死者の書」、その創作契機を語る「山越しの阿弥陀像の画因」、さらに、高安長者伝説をもとに"伝説の表現形式として小説の形"で物語ったという「身毒丸」を加えた新編集版。

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