季節の記憶 (中公文庫)

  • 625人登録
  • 3.72評価
    • (85)
    • (53)
    • (144)
    • (8)
    • (2)
  • 80レビュー
著者 : 保坂和志
  • 中央公論新社 (1999年9月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (376ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122034976

季節の記憶 (中公文庫)の感想・レビュー・書評

並び替え:

表示形式:

表示件数:

  • 保坂和志さんの小説ははじめて読むのだけれど、独特な文体と、細やかな描写と、思索的な登場人物とか、全部が好みで最初から最後まで楽しめて、ところで何も起こらない。特別な出来事を強いて言えば、主メンバー4人以外の人物、つまりナッちゃん親子とかエビノキさんとか、二階堂君とか、杏子さん等等の登場で、あとは日課の散歩に出かけたり、思索的な会話だったり、そんな感じで物語は進んでいく。

    退屈と感じるか否か、二極端にわかれると思うけど、私は後者。こういう、何も特別なことが起こらないような、物語の目的というか、起承転結というか、そういうものがはっきりとしていないふわ〜ふわ〜した感じ。日常のある数日をぴゅっと摘みとったような小説が、すきなんだな〜と思った。

    (文体は真似てみようと思ったけど、なかなか難しい。)

  • 一見すると何気ない日常の話のようだけど、世界や人を観察する冷静な視点にハッとさせられる。
    独特の文体は慣れればテンポが心地よく、キャラの濃い登場人物と合わさって、すらすらと気持よく読む事ができる。
    しかし時に読む速度を落として、主人公の周りの景色や音、思い出している過去や、思いを馳せている時間をじっくり想像する事がこの本を楽しむポイントだと思う。
    忘れた頃に読みなおすとその度に新たな発見がある小説。

  • この小説には、僕がいいなあーと思う人々の会話があり、思考のプロセスの記述がある。

    例えば、ある物事を見たり考えるときに、「Aかもしれないし、Bかもしれないし、でも本当のところはわからない」とか平気で言ったりする。でも、これって僕らの日常でよくあること。全てをはっきりさせないというか、はっきりできないものがあるというか、客観的にしまいこめようとすると実はしまえなくって、そこにある種の寛容を見出したりする。

    「なぜこうなっているのだろう」、とか「あなたの考え方っていつもそう・・・」といった会話の中で、お互いの理解を深めたり、そして自分への理解を深めたりする。ちょっと理屈っぽくもあるが、そんな時間を過ごすのも良いだろう。

    この小説はおおよそそういう会話で成り立っている。逆に、それ以外のストーリーはあまりないと言ってもいいくらい。大事件が起きる訳でもなく、・・・でも日常の中での考えが綴られていく・・・。

    言葉について面白いことが書いてあった。「言語の機能とは何かといえば抽象化とか象徴化とかのことで・・・」「だから文字をもった人間は次々に抽象と抽象を結び合わせて膨大の情報を処理して保存していくわけで、そうして文字によって強化された言語の脳はとても強くなって、他の視覚、聴覚、嗅覚、触覚なんかの生の感覚を抑圧する」(以上、抜粋)などとある。

    僕は、「人は言語を上手く使わないとコミュニケーションできない」と思っているけれど、人が五感を通じて得た感情を口に出すことの重要さ、も同時に考えてみた。確かに動物などに比べたら、人の五感って鈍いことが多いのだろうけど、一方で、抽象でも何でも「人に伝えたい」と思う気持ちから五感を働かせたりするのではないか。そして、五感だけでなく、考えを巡らすことができるのも人間だ。

    詳しくは僕のブログ:http://d.hatena.ne.jp/ninja_hattorikun/20071117/1256349229

  • この話には、猫は登場しない。なのに、なんでカテゴリーが猫なのかっていうと、保坂さんの小説には、猫が登場してもしなくても、首をかしげながら、きょとん?とみつめてる猫の眼差しの存在を、勝手に感じるから。

  • 約10年振りに再読。初見ほど夢中にならなかったのは、スマホ依存が加速してるかな。でも相変わらず、この生活がうらやましい

  • くいちゃんはとても自然に育てられていて、こういう記憶を重ねてくいちゃんは大人になっていく。

  • もし「本当の小説」という理想みたいなものがあるなら、この小説はそれに近いものの一つだ。

  • 妻と離婚し鎌倉に移り住んだ「僕」とその子クイちゃん、そしてご近所さんの美紗ちゃんと兄であり育ての親である松井さんたちとの交流、そして秋から冬に移ろっていく鎌倉の山や海といった風景が淡々と描かれる。

    ちょっと一度読んだきりじゃわからんですね。とはいえ保坂和志の小説はいまいちピンと来ないから機会はないかもしれない……。

    〈僕が仕事をはじめるとさっき昼寝についたはずの息子がニンジャの格好で部屋に入ってきて、
    「ねえ、パパ、時間って、どういうの?」
    と言ったのだが〉

    という出だしから、「これはいける」と思ったんだけど、夜の短い時間にちょっとずつ読んでいき一週間かかってしまうと、出だしの「キラキラ」したものがどこかで抜け落ちてしまったという感じがする。

    息子がニンジャの格好して入ってくるなんて、結構シュールって思うんだけど、この作者は超現実的なものって嫌うよね。いや、ニンジャの格好をしているのは息子が「ミュータントタートルズ」にハマっているからで、そういう現実と地続きっていうことでは本来の意味で「超現実」(シュールレアリスム)っていうことになるのかな?何かでもちょっとねー。

    小説だから主人公や語り手が理想的である必要はもちろんないけれど、やはり「僕」という語り手の価値観に疑問を抱くとなんとなく居心地が悪くなる。
    「僕」も松井さんも没我を主張するけど、言うてもかなり我が強いと思う。美紗ちゃんがふたりは「特別」という言葉にすごくこだわるって言うくだりは気分がいいし、そこで小説の登場人物の相対化が行われている。

    美紗ちゃんのこの言葉に対して〈僕はうまく答えられずに笑ってごまかした〉とある。
    僕のあやふやな記憶では、この「僕」は「まあそうかもなあ」とか適当な相槌を打ったと思っていた。そういうことは実際描かれていないけど、この「僕」はその後で否定も肯定もせずだいたいこんな感想をもらすだろうと思う。

    たぶんここの部分に「僕」にとって言葉に還元しえない
    ものが含まれていて、それをあっさり〈笑ってごまかし〉ているんだけど……まあそういうものかもしれない。

    あと引っかかるのは、クイちゃんが「僕」に「アリのアリはいる?」と質問する箇所。
    例えば言葉を教えないというシュナイダー教育のような「僕」の考えには共感できる。
    でも「アリのアリはいるか」という質問に、おとぎ話ではなくあくまで事実でいくという姿勢には妙な圧迫感を覚えるのだ。

    「僕」は科学を信奉する人間だ。
    僕はアリのアリがいても、なんならアリのサイズの人間がいても別にいいんじゃないかと思う。地球で発見されていないだけで、火星にはいるかもしれないと思う。いや……でもそんなことはあり得ないのか。
    これは単に「僕は勉強ができない」ってだけの話なのかもしれない。

  • 何の展開もないまま、ダラダラと話が続く
    私小説的なお話。
    どこがいいのかサッパリ分からん。

  • 保坂和志「季節の記憶」http://www.chuko.co.jp/bunko/1999/09/203497.html … も読んだ。よかった。2回読んだ。成熟した者同士の人間関係とスーパー個人主義。うらやましい。文字や文章の力を否定するエピソードがここにも出てくる。文字が唯一のツールである小説家なのに面白い人だなあ(つづく

    平易な文章で淡々と日常を描きつつ全体に思想といくつかの世界観が漂っている。禅問答のようなやりとりがあり、精神世界と物質世界の交差があり。わたしに小説を読む愉しみを味わわせてくれる貴重な作家。この本で気付いたけどこの人の文章には比喩がない。だから読んでいて苛々しないんだな(おわり

全80件中 1 - 10件を表示

保坂和志の作品

季節の記憶 (中公文庫)を本棚に「読み終わった」で登録しているひと

季節の記憶 (中公文庫)の単行本

ツイートする