季節の記憶 (中公文庫 ほ 12-1)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (376ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122034976

感想・レビュー・書評

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  • 中盤まで読んだところで僕にはわからないタイプの小説やと感じた。ある程度社会と付き合って、ふとしたときに読むとこういう道もあるんかなって思うんかも

  • 読点の位置が独特で、こそばゆいとゆーか気色悪いとゆーか。なのに、これが主人公の独特の性格と非常にマッチしていて、なんだか納得してしまう。
    大きな事が起こらない。一文が長い。うわぁ。と思いながらも、読み進めてしまう。スゲエ。
    じわじわとクセになる。言うなれば、激辛大好きなんですが、たまーに甘辛いのも食べたくなるような、、、例えが悪いか(´-`).。oO

  • 「保坂和志を信用している」K先輩は会う人会う人に『プレーンソング』を配っている。その縁で、僕も保坂の渦に巻き込まれ、『残響』、『考える練習』、『生きる歓び』そして『季節の記憶』と読んでいった。K先輩は、生活の何気ないことを媒介に自分の考えてることを展開すると嬉しそうな顔をする。友達との会話に大きな喜びを感じる人だ。去年、突然、「鎌倉行こう」と言ってきたのもこの本を読んで、納得した。僕はそんなK先輩が好きなので、彼とのコミュニケーションを豊かにする手段として保坂の小説を読んでいきたいと思った。

  • 1999/9/25

  • 冒頭の父子のやり取りでスっと入り込む事ができた。自分も男児の父親で息子とよく近所を散歩しているので、主人公が繰り返し子供と散歩する雰囲気は親近感がわいた。僕はそういうなんてことはない散歩をした記憶や経験が、大きくなっても子供に残ったらいいな、なんてなんとなく考えているけど、主人公もそういう事を考えているのだろうか。

    物語の中であまり書かれていないことも勝手に想像する気持ちになるのも、この物語には書かれていない事があるような気がするから。普通であれば書かれている主人公の離婚や美沙の失恋などは書かれておらず話の外側にある。これって物語の中でも書かれていた世界は一つなのかという件や、二階堂の過去の積み重ねが現在にあるという考えの否定とか、そういうものの象徴なのかなぁ、なんて考えました。

  • 約10年振りに再読。初見ほど夢中にならなかったのは、スマホ依存が加速してるかな。でも相変わらず、この生活がうらやましい

  • くいちゃんはとても自然に育てられていて、こういう記憶を重ねてくいちゃんは大人になっていく。

  • もし「本当の小説」という理想みたいなものがあるなら、この小説はそれに近いものの一つだ。

  • 妻と離婚し鎌倉に移り住んだ「僕」とその子クイちゃん、そしてご近所さんの美紗ちゃんと兄であり育ての親である松井さんたちとの交流、そして秋から冬に移ろっていく鎌倉の山や海といった風景が淡々と描かれる。

    ちょっと一度読んだきりじゃわからんですね。とはいえ保坂和志の小説はいまいちピンと来ないから機会はないかもしれない……。

    〈僕が仕事をはじめるとさっき昼寝についたはずの息子がニンジャの格好で部屋に入ってきて、
    「ねえ、パパ、時間って、どういうの?」
    と言ったのだが〉

    という出だしから、「これはいける」と思ったんだけど、夜の短い時間にちょっとずつ読んでいき一週間かかってしまうと、出だしの「キラキラ」したものがどこかで抜け落ちてしまったという感じがする。

    息子がニンジャの格好して入ってくるなんて、結構シュールって思うんだけど、この作者は超現実的なものって嫌うよね。いや、ニンジャの格好をしているのは息子が「ミュータントタートルズ」にハマっているからで、そういう現実と地続きっていうことでは本来の意味で「超現実」(シュールレアリスム)っていうことになるのかな?何かでもちょっとねー。

    小説だから主人公や語り手が理想的である必要はもちろんないけれど、やはり「僕」という語り手の価値観に疑問を抱くとなんとなく居心地が悪くなる。
    「僕」も松井さんも没我を主張するけど、言うてもかなり我が強いと思う。美紗ちゃんがふたりは「特別」という言葉にすごくこだわるって言うくだりは気分がいいし、そこで小説の登場人物の相対化が行われている。

    美紗ちゃんのこの言葉に対して〈僕はうまく答えられずに笑ってごまかした〉とある。
    僕のあやふやな記憶では、この「僕」は「まあそうかもなあ」とか適当な相槌を打ったと思っていた。そういうことは実際描かれていないけど、この「僕」はその後で否定も肯定もせずだいたいこんな感想をもらすだろうと思う。

    たぶんここの部分に「僕」にとって言葉に還元しえない
    ものが含まれていて、それをあっさり〈笑ってごまかし〉ているんだけど……まあそういうものかもしれない。

    あと引っかかるのは、クイちゃんが「僕」に「アリのアリはいる?」と質問する箇所。
    例えば言葉を教えないというシュナイダー教育のような「僕」の考えには共感できる。
    でも「アリのアリはいるか」という質問に、おとぎ話ではなくあくまで事実でいくという姿勢には妙な圧迫感を覚えるのだ。

    「僕」は科学を信奉する人間だ。
    僕はアリのアリがいても、なんならアリのサイズの人間がいても別にいいんじゃないかと思う。地球で発見されていないだけで、火星にはいるかもしれないと思う。いや……でもそんなことはあり得ないのか。
    これは単に「僕は勉強ができない」ってだけの話なのかもしれない。

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著者プロフィール

1956年、山梨県に生まれる。小説家。早稲田大学政経学部卒業。1990年『プレーンソング』でデビュー。1993年『草の上の朝食』で野間文芸新人賞、1995年『この人の閾(いき)』で芥川賞、1997年『季節の記憶』で平林たい子文学賞、谷崎潤一郎賞、2018年『ハレルヤ』所収の「こことよそ」で川端康成文学賞を受賞。主な著書に、『生きる歓び』『カンバセイション・ピース』『書きあぐねている人のための小説入門』『小説の自由』『小説の誕生』ほか。

「2022年 『DEATHか裸(ら)』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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