季節の記憶 (中公文庫 ほ 12-1)

著者 :
  • 中央公論新社
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本棚登録 : 890
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  • Amazon.co.jp ・本 (376ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122034976

作品紹介・あらすじ

ぶらりぶらりと歩きながら、語らいながら、静かにうつらうつらと時間が流れていく。鎌倉・稲村ガ崎を舞台に、父と息子、便利屋の兄と妹の日々…それぞれの時間と移りゆく季節を描く。平林たい子賞、谷崎潤一郎賞受賞の待望の文庫化。

感想・レビュー・書評

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  • 読書仲間から、芥川賞作家なら保坂和志以降読んでいないという。
    著書を眺めていたら谷崎潤一郎賞受賞のこちらが気になり読んでみた。

    360ページで、一文が長くて、当初は読み進めるのに違和感があった。
    いつの間にか慣れてしまい、四人と一緒に散歩している気分。
    鎌倉の自然はきっと美しいのだろうなあ。
    周囲にはいないけどどこかの街にはいそうな皆さん。
    誰かに片思いしているような満たされていないけど不幸ではない。
    特に大きな事件は起きないし、いろんなことが現状維持なのに、日常がそのまま続く感じがなんとも心地よい。鳥のおじさん、無事でありますように。
    「もう一つの季節」が続きらしい。読んでみようかな。

    覚書
    医者は他人という不幸を前提として成立している仕事
    鍋の中のはるさめのような言語の力の流れがあって、それがとりあえず渦になっているところが一人一人の人間だ
    広くて深ーい性欲の海にポツンと意識が浮かんでるのが人間なんだもん

  • 友人に勧められて読み始めました。この小説の面白さは、物語なのに登場人物の考え方と自分の考え方を照らし合わせながら読み進められる所だと思います。
    初めて出会う事柄にどう対処するのか、クイちゃんの感覚を通した物語を自分の経験と重ねたり、松井さんの話す理論的な話が本当にその通りなのか自分の知識と比べてみたり、物語に入り込んだり俯瞰したりしながらゆったりした心地よさがあります。
    どうしてこのタイトルなのかが引っかかりながら読んでいたけれど、言語として還元されない感覚を季節の記憶としたのは、膝を打つ明快さを感じました。ずっと、言語と言語にはないズレについて語るお話だったのだな。と納得しました。
    ナッちゃんが登場したとき、物語が大きく転換したらどうしようと思いながら読みましたが、変わらず彼らのリズムで生活が進んでくれてホッとしました。こんな風に自然に、考えを話し合ったり受け流したりできる人が身近にいるのは豊かだと思います。

  • 一見すると何気ない日常の話のようだけど、世界や人を観察する冷静な視点にハッとさせられる。
    独特の文体は慣れればテンポが心地よく、キャラの濃い登場人物と合わさって、すらすらと気持よく読む事ができる。
    しかし時に読む速度を落として、主人公の周りの景色や音、思い出している過去や、思いを馳せている時間をじっくり想像する事がこの本を楽しむポイントだと思う。
    忘れた頃に読みなおすとその度に新たな発見がある小説。

  • この小説には、僕がいいなあーと思う人々の会話があり、思考のプロセスの記述がある。

    例えば、ある物事を見たり考えるときに、「Aかもしれないし、Bかもしれないし、でも本当のところはわからない」とか平気で言ったりする。でも、これって僕らの日常でよくあること。全てをはっきりさせないというか、はっきりできないものがあるというか、客観的にしまいこめようとすると実はしまえなくって、そこにある種の寛容を見出したりする。

    「なぜこうなっているのだろう」、とか「あなたの考え方っていつもそう・・・」といった会話の中で、お互いの理解を深めたり、そして自分への理解を深めたりする。ちょっと理屈っぽくもあるが、そんな時間を過ごすのも良いだろう。

    この小説はおおよそそういう会話で成り立っている。逆に、それ以外のストーリーはあまりないと言ってもいいくらい。大事件が起きる訳でもなく、・・・でも日常の中での考えが綴られていく・・・。

    言葉について面白いことが書いてあった。「言語の機能とは何かといえば抽象化とか象徴化とかのことで・・・」「だから文字をもった人間は次々に抽象と抽象を結び合わせて膨大の情報を処理して保存していくわけで、そうして文字によって強化された言語の脳はとても強くなって、他の視覚、聴覚、嗅覚、触覚なんかの生の感覚を抑圧する」(以上、抜粋)などとある。

    僕は、「人は言語を上手く使わないとコミュニケーションできない」と思っているけれど、人が五感を通じて得た感情を口に出すことの重要さ、も同時に考えてみた。確かに動物などに比べたら、人の五感って鈍いことが多いのだろうけど、一方で、抽象でも何でも「人に伝えたい」と思う気持ちから五感を働かせたりするのではないか。そして、五感だけでなく、考えを巡らすことができるのも人間だ。

    詳しくは僕のブログ:http://d.hatena.ne.jp/ninja_hattorikun/20071117/1256349229

  • この話には、猫は登場しない。なのに、なんでカテゴリーが猫なのかっていうと、保坂さんの小説には、猫が登場してもしなくても、首をかしげながら、きょとん?とみつめてる猫の眼差しの存在を、勝手に感じるから。

  • ふむ

  • 二、三回ほど挫折してようやく完読。
    語り口は嫌いではないけど、どうも主人公がよく会う女の子と結婚したらだとか、ゲイに襲われたら嫌だから嫌な返答するとか、女の子の顔が可愛いとかそうでもないとか、変な顔の男と結婚したらしいが意外と長く持ってるとか、妙に人を計りたがるタイプで、哲学的な話もいまいち納得できない話も多くて、高平くんとかナッちゃんというキャラクターに対しての視点も微妙で、文体は嫌いじゃないのに辟易することが幾たびもあって、何年かぶりに読んだけど毎回なぜ読み終わることが出来なかったのか妙に納得したのでした。

  • 全然店頭で見つけられずにいたら、ちいさい古本市で見つけて購入!
    なんで読みたいと思ったんやっけと思い返したら、『読書の日記 / 阿久津隆』きっかけやと思い出し、該当箇所を読み返したくなったが、こんな分厚い本の中から探し出せへん……あっでも索引あるわありがとう!!!
    で、肝心のこの本はかなりおもしろかったし好きやった。作中で、友人の会社の従業員のビデオをみたときの感慨のような、きっと似たようなものを感じた。息子への接し方を筆頭に、他人への距離感を保ちつつ、尊重しているように感じられるところが好きなのかもしれん。こういう距離感を私は好ましいと思ってるんやろうな。夜中の野菜スープ作り

  • カオスだな、と思う。奇想天外なことが起こるという意味ではなくむしろ地味な日々を描いた「日常系(?)」の作品なのだけれど、その中にふんだんに哲学的思弁が重ねられ人々の会話が闊達に展開し、風景や人物を見つめる主人公/著者の観察眼が実に丁寧に事物を捉えている。だが、そうした豊満な情報に基づくドラマは起承転結式に展開せず、むしろずらずらと無造作とすら言える手付きで羅列されていく。今回の読書で私はこの作品が阿部昭『単純な生活』に似ているなと思った。書くことそれ自体がそのまま著者の生き方と重なるがゆえの説得力を感じる

  •  時間って何?文字って何?ちきゅうってなに?鎌倉で暮らす大人たちとクイちゃん(五歳)の日常。次々と飛び出すクイちゃんの疑問に、大人たちは丁寧に、時間をかけて向き合っていく。今私たちに必要なのは、こういう「丁寧な」会話なのかも知れない。
    ーN.S.先生

  • 摂南大学図書館OPACへ⇒
    https://opac2.lib.setsunan.ac.jp/webopac/BB00019278

  • 中盤まで読んだところで僕にはわからないタイプの小説やと感じた。ある程度社会と付き合って、ふとしたときに読むとこういう道もあるんかなって思うんかも

  • 読点の位置が独特で、こそばゆいとゆーか気色悪いとゆーか。なのに、これが主人公の独特の性格と非常にマッチしていて、なんだか納得してしまう。
    大きな事が起こらない。一文が長い。うわぁ。と思いながらも、読み進めてしまう。スゲエ。
    じわじわとクセになる。言うなれば、激辛大好きなんですが、たまーに甘辛いのも食べたくなるような、、、例えが悪いか(´-`).。oO

  • 「保坂和志を信用している」K先輩は会う人会う人に『プレーンソング』を配っている。その縁で、僕も保坂の渦に巻き込まれ、『残響』、『考える練習』、『生きる歓び』そして『季節の記憶』と読んでいった。K先輩は、生活の何気ないことを媒介に自分の考えてることを展開すると嬉しそうな顔をする。友達との会話に大きな喜びを感じる人だ。去年、突然、「鎌倉行こう」と言ってきたのもこの本を読んで、納得した。僕はそんなK先輩が好きなので、彼とのコミュニケーションを豊かにする手段として保坂の小説を読んでいきたいと思った。

  • 1999/9/25

  • 冒頭の父子のやり取りでスっと入り込む事ができた。自分も男児の父親で息子とよく近所を散歩しているので、主人公が繰り返し子供と散歩する雰囲気は親近感がわいた。僕はそういうなんてことはない散歩をした記憶や経験が、大きくなっても子供に残ったらいいな、なんてなんとなく考えているけど、主人公もそういう事を考えているのだろうか。

    物語の中であまり書かれていないことも勝手に想像する気持ちになるのも、この物語には書かれていない事があるような気がするから。普通であれば書かれている主人公の離婚や美沙の失恋などは書かれておらず話の外側にある。これって物語の中でも書かれていた世界は一つなのかという件や、二階堂の過去の積み重ねが現在にあるという考えの否定とか、そういうものの象徴なのかなぁ、なんて考えました。

  • 約10年振りに再読。初見ほど夢中にならなかったのは、スマホ依存が加速してるかな。でも相変わらず、この生活がうらやましい

  • くいちゃんはとても自然に育てられていて、こういう記憶を重ねてくいちゃんは大人になっていく。

  • もし「本当の小説」という理想みたいなものがあるなら、この小説はそれに近いものの一つだ。

  • 妻と離婚し鎌倉に移り住んだ「僕」とその子クイちゃん、そしてご近所さんの美紗ちゃんと兄であり育ての親である松井さんたちとの交流、そして秋から冬に移ろっていく鎌倉の山や海といった風景が淡々と描かれる。

    ちょっと一度読んだきりじゃわからんですね。とはいえ保坂和志の小説はいまいちピンと来ないから機会はないかもしれない……。

    〈僕が仕事をはじめるとさっき昼寝についたはずの息子がニンジャの格好で部屋に入ってきて、
    「ねえ、パパ、時間って、どういうの?」
    と言ったのだが〉

    という出だしから、「これはいける」と思ったんだけど、夜の短い時間にちょっとずつ読んでいき一週間かかってしまうと、出だしの「キラキラ」したものがどこかで抜け落ちてしまったという感じがする。

    息子がニンジャの格好して入ってくるなんて、結構シュールって思うんだけど、この作者は超現実的なものって嫌うよね。いや、ニンジャの格好をしているのは息子が「ミュータントタートルズ」にハマっているからで、そういう現実と地続きっていうことでは本来の意味で「超現実」(シュールレアリスム)っていうことになるのかな?何かでもちょっとねー。

    小説だから主人公や語り手が理想的である必要はもちろんないけれど、やはり「僕」という語り手の価値観に疑問を抱くとなんとなく居心地が悪くなる。
    「僕」も松井さんも没我を主張するけど、言うてもかなり我が強いと思う。美紗ちゃんがふたりは「特別」という言葉にすごくこだわるって言うくだりは気分がいいし、そこで小説の登場人物の相対化が行われている。

    美紗ちゃんのこの言葉に対して〈僕はうまく答えられずに笑ってごまかした〉とある。
    僕のあやふやな記憶では、この「僕」は「まあそうかもなあ」とか適当な相槌を打ったと思っていた。そういうことは実際描かれていないけど、この「僕」はその後で否定も肯定もせずだいたいこんな感想をもらすだろうと思う。

    たぶんここの部分に「僕」にとって言葉に還元しえない
    ものが含まれていて、それをあっさり〈笑ってごまかし〉ているんだけど……まあそういうものかもしれない。

    あと引っかかるのは、クイちゃんが「僕」に「アリのアリはいる?」と質問する箇所。
    例えば言葉を教えないというシュナイダー教育のような「僕」の考えには共感できる。
    でも「アリのアリはいるか」という質問に、おとぎ話ではなくあくまで事実でいくという姿勢には妙な圧迫感を覚えるのだ。

    「僕」は科学を信奉する人間だ。
    僕はアリのアリがいても、なんならアリのサイズの人間がいても別にいいんじゃないかと思う。地球で発見されていないだけで、火星にはいるかもしれないと思う。いや……でもそんなことはあり得ないのか。
    これは単に「僕は勉強ができない」ってだけの話なのかもしれない。

  • 何の展開もないまま、ダラダラと話が続く
    私小説的なお話。
    どこがいいのかサッパリ分からん。

  • 保坂和志「季節の記憶」http://www.chuko.co.jp/bunko/1999/09/203497.html … も読んだ。よかった。2回読んだ。成熟した者同士の人間関係とスーパー個人主義。うらやましい。文字や文章の力を否定するエピソードがここにも出てくる。文字が唯一のツールである小説家なのに面白い人だなあ(つづく

    平易な文章で淡々と日常を描きつつ全体に思想といくつかの世界観が漂っている。禅問答のようなやりとりがあり、精神世界と物質世界の交差があり。わたしに小説を読む愉しみを味わわせてくれる貴重な作家。この本で気付いたけどこの人の文章には比喩がない。だから読んでいて苛々しないんだな(おわり

  • 保坂和志「季節の記憶」http://www.chuko.co.jp/bunko/1999/09/203497.html … も読んだ。よかった。2回読んだ。成熟した者同士の人間関係とスーパー個人主義。うらやましい。文字や文章の力を否定するエピソードがここにも出てくる。文字が唯一のツールである小説家なのに面白い人だなあ(つづく

    平易な文章で淡々と日常を描きつつ全体に思想といくつかの世界観が漂っている。禅問答のようなやりとりがあり、精神世界と物質世界の交差があり。わたしに小説を読む愉しみを味わわせてくれる貴重な作家。この本で気付いたけどこの人の文章には比喩がない。だから読んでいて苛々しないんだな(おわり

  • 毎日毎日、同じようなことが繰り返されていく。
    でもその一日一日のささいな出来事がちょっとずつ繋がっていたり、何人かの別の会話が自分の中でつながったり、
    そうやってどんどん面白くなって一気に読んで、読み終わってもまだ色々考え続けてしまってる。たのしかった!

  • 『プレーンソング』を読んで、この作者の本とは気が合いそうだと思い読みはじめた二冊目。
    冒頭の息子の質問に対する向き合い方から掴まれ、読みすすめるのがすぐに楽しみになった。
    『プレーンソング』がほとんど穏やかで批判的な態度もあまりなかったのに対して、『季節の記憶』では、こういうことが嫌いとか、自分とはどう合わないか、という主張や分析があって、またそれに共感でき、安心する。ナッちゃんという人に対して結構批判的で、どこがどう合わないかってことをしっかり細かく説明しているわけでもなくて、いくつかの具体例が挙げられてるだけなんだけど、その根底にあるものが共有できた気持ちがして、主人公達と同じ視点に立ってこういう違和感を共有できることが嬉しかった。日常生活の人間関係の間ではそういった感性の共有ができるけど、小説でもそういう共有ができるのかと感動した。
    とにかく次から次に面白くて全然飽きない。この面白さをなんと言ったらいいかわからず、では裏表紙の紹介文はなんて書いてあるのかと思って読んだら、その面白さは説明されておらず、でもこの小説を説明するとしたらこの紹介文しかないような気もした。

  • 初めての保坂小説。

     クイちゃんを中心にして、彼に関わる大人達がみんな魅力的。それだけでこの小説には「幸福」がある。
     5歳という年齢の子供が、何を感じ、何を考え、何を願い、何を求めるのか、ということを日常の一コマ一コマから丁寧に描き出していく。もちろん文章は、「大人側からの洞察」をもとに書かれていくのだが、みんなが子供の視点に立ってものを考えているため、クイちゃんが理解できるような「わかりやすい言葉」を紡ごうとする優しさが溢れているのだ。そしてゆっくりと進む季節の流れは、そのまま子供の成長する流れとなって描かれていく。

     途中、主人公の中野は松井さん兄妹をはじめ、多くの友人達といろいろな話題で議論を重ねるのだが、特に印象に残ったのが次の2つ。

     1つは、時間の意識を持っているのは人間だけで、言語が時間の次元を人間の中に作り出した、それこそが人間の内面なんだっていう話。「時間」の持つ2つの側面(生理的時間と心理的時間)は、神経科学のトピックスでもあるし、平野啓一郎の新作「Re: 依田氏からの依頼」でも主題となっていた。
     もう1つは、「言葉にならない気持ち」ではなくて、気持ちよりも先に言葉があるんだっていうこと。その、言葉から漏れる感じが「十一月」とか「木の芽どき」とか、「風立ちぬ」とかの「季節の間のズレ」なんだっていう話。こういう「言葉から漏れるもの」って不思議な癒しや快感を与えてくれるたりするんだ。松田聖子や山口百恵が歌ってたのも、そういう言葉から漏れるものだと思う。
     
     この小説は、子育て中だったり、これから父になり母になる、すべての大人に読んで欲しいと思った。豊かな生活こそが幸福なんだ。幸いにも子供と関わる仕事をできている自分の心にも沁みた。

  • ダラーっと続いて行くのでスピードが乗らず何度も中断してしまい読むのに時間を要した。初めてこういう何事もない本に出会った。次に読んだ時は何か違うかもしれない。年齢が必要か?(2013.4)

  • この作品に出てくる登場人物たちが本当に素敵で大好きです。主人公の中野さんに息子のくいちゃん、お隣の松井さん兄妹、散歩に行く途中に出会う鳥のおじさん・・・。
    こんな風に時間をじっくり積み重ねていきたい。

  • 保坂作品の特徴は思考すること。
    寝転がって読んでいたら、登場人物の思考に感動して思い切り飛び起きた。

  • のんびりとした気分になれる小説。
    本当になんにも起きない。主要な登場人物は程度の差こそあれ、浮き世離れしていて、そういう人たちが人間のあれこれをつらつらと考えたり語ったり。なんつーか、竹林の七賢みたいな感じ?
    世俗的でないだけにとっつきづらいところもあるけど、それゆえに独特の浮遊感を味わえる。新鮮なものの見方も興味深い。
    文章は冗長な感じで慣れるのがちょいと難か。

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著者プロフィール

1956年、山梨県に生まれる。小説家。早稲田大学政経学部卒業。1990年『プレーンソング』でデビュー。1993年『草の上の朝食』で野間文芸新人賞、1995年『この人の閾(いき)』で芥川賞、1997年『季節の記憶』で平林たい子文学賞、谷崎潤一郎賞、2018年『ハレルヤ』所収の「こことよそ」で川端康成文学賞を受賞。主な著書に、『生きる歓び』『カンバセイション・ピース』『書きあぐねている人のための小説入門』『小説の自由』『小説の誕生』ほか。

「2022年 『DEATHか裸(ら)』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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