プレーンソング (中公文庫)

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著者 : 保坂和志
  • 中央公論新社 (2000年5月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (245ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122036444

プレーンソング (中公文庫)の感想・レビュー・書評

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  • これといったドラマティックな展開のないほのぼのしたストーリー。ドラマがなくても、なにげない日々の生活が幸せだと感じられる話。なんにも起こらなくても、ダラダラしていても、誰かその瞬間を共有することができる人がいると幸せがより大きくなると思った。

    あらすじを読むとよく、4人の〜と書いてるけれど、あんまり4人で一緒にいることないし、いっそのこと5人の〜にした方が良いんじゃないかと思う。

  • 『書きあぐねている人の小説入門』の中で、筆者が「悲しいことは起きない話にする」「悲しいことが起きそうな気配すら感じさせないように文章を書く」というルールを設定して書いたということに興味を持ち、読んでみることにした。
    本当にその通りで、悲しいことも、悲しいことが起きそうな気配もなく、私はとても好きなタイプの小説だと思った。
    何か大きな出来事や物語の起伏があるわけではないけど、一行読み進めるごとに次も読みたくなっていくし、とても惹かれるし好みにあう文章で、テンポもよく考え方やものの見方にも共感する。
    飾り気やひねくれがなく、自然で素直で冷静でユーモアもある。こんなに心地よい小説があるのかと、この小説に出会ったことにとてもうれしさを感じた。
    きっと他の小説も好きだろうと思うから、この著者の作品をもっと読んでみようと思う。

  • 昔のフランス映画のようにこれといってドラマチックな事はなにもおこらず、

    ゆるやかに流れる時間のなかで、青年たちの日常がただただ

    描かれているという作品。


    作者の持論である

    「ストーリーとは読者の興味を最後までつなぎとめておくための、

    ひとつの方法だ。」

    とか

    「ストーリーは小説を遅延させる。」

    極論からいえば多分、

    「ストーリーなんてどうでもいい」

    ということなのだろう。

    で、それはつまりはどういうことなんだ、なにを表現したいのだ、

    というのが、実際に読んでみてなんとなくわかったような気がする。


    どうわかったのか、何を思ったのかというのはうまく説明できない。

    きっと、上手く説明できないようなそんな思いを

    表現しているのがこの作品の意味するところなんだろう。


    この小説で描かている日常というのは、

    例えばある人が昔を振り返るときに、

    焦点にならないというか記憶にも残らないような、

    どうでもいいような会話だったり出来事を紡ぎ出したものなのだが、

    しかし、実はそれらのほうがドラマチックな出来事なんかよりも

    よりリアリティを持っていて、その人の歩んできた人生の中で

    より多くを占め、重要な意味を持っているのではなかろうか。



    誰しもが日常の中で抱く感情や思いであるはずなのに、

    上手く言葉で要約できないが故に頭の隅に追いやられ、

    仕舞いには忘れてしまう、そんな記憶をその時に感じたときのように

    ぼんやりと呼び起こしてくれるような作品だなと思った。

  • 作中ゴンタが語るように、普段映画が撮るのは殺人事件だったり特別な人間だったり。とにかくごくごく普通の人間が描かれることはめったにないし、ごくごく普通の人間がごくごく普通に描かれることはさらにない。ゴンタはなんだかそういうのが許せない。
    だから劇的な場面というのは映さないで、むしろその劇的な場面を受け入れる側の、人の何気ない表情を好んで撮る。

    そしてゴンタのこの姿勢が、そのままこの小説の解説として成立する。
    こういうのはありふれた手法だけど、個人的には作者が「どうしてこういうものを書いたか」みたいな説明を作中人物にくどくどさせるのは、好きではない。

    さて、こういう本だからちょっと評価が難しい。

    学校の教師が自らの教え子たちに残せるもの、長いあいだ覚えておいてもらえるものは、授業の内容ではなくて、彼自身の思い出話であるという話を聞いたことがある。つまり本来的なもの、本筋のものよりも寄り道のほうが生徒の心に引っかかると。

    小説もこれに似たところがある。ストーリーよりもそれに関係ない寄り道や風景描写、あるいは作中人物の何気ない会話がいつまでも心に残るというのはよくあること。

    だから筋のないこの『プレーンソング』という小説は、授業なんてほったかしで自分の昔話や世間話ばかりしている先生に似ている、かもしれない。

    もしそんな先生が本当にいたとして、ぼくならどう感じるだろうかと考えてみたら、こういう先生は人気取りの相当にいやったらしい奴だと思う。
    なるほど。

    でもって個人的には、ユーモアもなくただ長ったらしいだけの話はもっと嫌いである。

  • アラサーの“ぼく”が主人公で振られたばかりだけど彼女と住む予定だった2 LDKに引っ越ししてきた。
    そこにやってくるちょっと個性的な友人たちとの特になんともない穏やかで平和な生活。

    読んでて落ち着く感じがする。
    主人公がどんな仕事してるのかすらわからないけど。

  • プレーンソング言うだけあって平凡な日々というか日常をまったりと語っていく・・と見せかけて、全く平凡では無い人達が全く平凡ではない怪しげな日常を送っているのである。大雑把に言えばちょっとおかしいといっていい人達なんだけど、でもなんかその狙ってる感が!妙にイラっとさせられるんだよなぁ。なんでだろう。と思ったら何より主人公が一番何考えてるんだか訳わからん感じでそれが違和感のようで。だって色んな人がわさわわさ家に居ついていくというのに、妙に取りすまして何でもないですよーって感じでいるのが、なんつーか、偽善者っぷりが激しいというか。
    まぁ要するに波長が合わなかったんかな。

  • 日常、生活。
    これが小説なのだ。

  • 興味深いのは、とくに、発言と発言のあいだ、つまり会話をつなげる当人同士で「無意識に察する」ところ、言いかえれば本来なら表立ったところでは「無」にあたる隠れた部分を、因数分解して明らかにして表記するとでもいうような書き方でしょうかね。おだやかにぼんやりとした内容だけれども、そういうところはしっかりきちんとして、おざなりじゃないです。中盤から最後にかけて、ゴンタというキャラクターが登場して自分の考えを吐露し、ビデオカメラでの撮影の仕方が特徴的な事が、主人公たちによって語られるのだけれど、そのゴンタの考え方や行動の根っこのところは、この小説自体を作成するに当たっての著者の考え方に通じているような感じがしました。まるで入れ子みたいな。ぼくとしては、三谷さんがバリから帰って来たあたりの語りから著者の筆力のアクセルが強くなっていったように感じられました。そのシーケンスがなにか唐突のようで、それでもそこにアクセントがあり、それがアクセルが強められる合図にでもなっているような感じ。そのあとすぐのところで、唐突に見えるバリやカバラの語りが、三谷さんなりの競馬の考え方に通じるものとして回収されるのだけれどもそこでついた勢いがアキラの行動に方向性が出てくることとゴンタの登場とにエネルギーを与えていると思いました。三谷さん無しに、ずうっとノーマルに日常を綴られていくと「破」のような掻きまわしというか、飛躍というかがなくてつまらなくなる。『プレーンソング』は序破急なのかなあ。長い序につづいて短い破があり、仕舞に海が舞台になって、という。『プレーンソング』が何も起こらない小説だからって、書くのに技術を使わないだとか構成を考えないだとか、何もしてないわけじゃないですよね。文体のみで引っ張っていっているのではない、とぼくは思います。なにも考えずにだらだら書いていたら、ずうっとつまらなくなっているはずだもの。そう思いながら、巻末の解説を読んでみたら、文章作成の仕方が細かく腑に落ちる感じで、そのすごい技が説明されていたし、やっぱり、文章の練り込みに構成的な頭の使い方をしているのがわかり、ぼくの感想も当たらずとも遠からずだよなあ、と自分に甘い感じで納得したのでした。もう30年くらい前の小説ですが、おもしろかったですよ。きっとその後の文学世界に一石投じて波紋を生んだような作品であると思います。

  • 筋らしい筋のない小説で、面白くないと感じる人も少なくないと思う。語り手と、登場人物との会話では競馬、猫、映画、そして海などの話題があるが、どれも小説全編を通して語られているものではないし、語られていることの内容そのものに多分それほどの意味もないのかもしれない。それは、会話の内容とか傾向とかは、作中でも示されていたように会話する両者の「好きな冗談の違い」程度のものであるから。
    ほとんど、解説の受け売りになってしまうが、ドラマ性とか、物語っぽさのような要素を排除しているし、語り手にしても主体的に行動したり自らの意見や主張をしたりすることがない。例えば一つ前に読んだ「しゃべれどもしゃべれども」では、主人公は、あるいは他の登場人物は実に生き生きと動くし、悩み考えるし、そして悩んでいる内容や理由が、やはり描写されている。しかしこの小説はそうした内面の吐露といった箇所は全然見当たらない(そもそも作者が「説明」しすぎるということが、たいていの場合自分が好きではない小説の条件になってしまうのだけど)。
    唯一だと思うが、ゆみ子という相手にだけは、自分から電話し、後半では自分の意見を話している。「つねに日本や世界の大状況が出来事の中心にあるように言われていて、どうしてもそこから何かを考えることしかできなかった」。そして、この物語はそうした「大状況」の対極にある、極小的というか偶発的というかそうした日常をあくまで描いている。そういうと、いかにも現代の内向き志向の若者たちの無為な日常、といった感じだが、一応この物語では主人公側とアキラ側の2つの世代が書かれている。そもそも、この作品は解説によれば、1986年が舞台というから、私が生まれてもいない。だからいまいちピンとこないのだけど、ともかく内向き無気力、お気楽な今時の若者ライフ、といっただけで読んではいけない小説と思う。
    プロットがあるより、よほど印象に残りそうな本だった。
    それにしてもワイシャツやネクタイを脱がずに寝てしまう島田のキャラは、単純に楽しかった。

  • 雑誌のインタビュー記事でおすすめされていて読みたくなり購入。

    一文一文が長い文章を読むのは苦手だが、保坂さんのことばは長くても友だちや家族の話を聞いてるみたいにすらすら入ってくる。

    当たり前の日常の素晴らしさ、暇と言える時間がある幸せを感じた。

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プレーンソング (中公文庫)の作品紹介

うっかり動作を中断してしまったその瞬間の子猫の頭のカラッポがそのまま顔と何よりも真ん丸の瞳にあらわれてしまい、世界もつられてうっかり時間の流れるのを忘れてしまったようになる…。猫と競馬と、四人の若者のゆっくりと過ぎる奇妙な共同生活。冬の終わりから初夏、そして真夏の、海へ行く日まで。

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