プレ-ンソング (中公文庫 ほ 12-2)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (245ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122036444

作品紹介・あらすじ

うっかり動作を中断してしまったその瞬間の子猫の頭のカラッポがそのまま顔と何よりも真ん丸の瞳にあらわれてしまい、世界もつられてうっかり時間の流れるのを忘れてしまったようになる…。猫と競馬と、四人の若者のゆっくりと過ぎる奇妙な共同生活。冬の終わりから初夏、そして真夏の、海へ行く日まで。

感想・レビュー・書評

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  • 高校のころに初めて読んでからなぜか数年おきに繰り返し読んでいるけど、この本を読むたびに小説を読むという体験そのものの不思議さみたいなものをすごく意識させられる気がする。
    この本を読んでいると、小説を読むという体験は本質的には小説を読んでいる時間にしかなくて、ストーリーや登場人物やテーマは、ある意味では本を読むという時間を構成するひとつの要素に過ぎないのかもしれないということを、つらつらと考えてしまう。ものごとの本質というものをあえて考えるのであれば、小説の本質は小説を読んでいる最中の読者の中で流れる時間そのもので、そういう意味では小説もある種の時間芸術なのかもしれないとかなんとか。僕はプレーンソングを読むたびに、頭の中ではそんなような小説の欄外の、全く別のことを考えているように思う。
    そういうような思いを持ってこの本を読んでいるものだから、僕にとってこの本をひとつの小説というより、ある種の処方箋みたいな認識になっていて、つまりそれは単にとても好きな本ということなんだど、とにかく何度も読んでいるしお風呂で読んだりしたものだからページもくたくたになっているし、折を見て新しいのを買おう。

  • 『書きあぐねている人の小説入門』の中で、筆者が「悲しいことは起きない話にする」「悲しいことが起きそうな気配すら感じさせないように文章を書く」というルールを設定して書いたということに興味を持ち、読んでみることにした。
    本当にその通りで、悲しいことも、悲しいことが起きそうな気配もなく、私はとても好きなタイプの小説だと思った。
    何か大きな出来事や物語の起伏があるわけではないけど、一行読み進めるごとに次も読みたくなっていくし、とても惹かれるし好みにあう文章で、テンポもよく考え方やものの見方にも共感する。
    飾り気やひねくれがなく、自然で素直で冷静でユーモアもある。こんなに心地よい小説があるのかと、この小説に出会ったことにとてもうれしさを感じた。
    きっと他の小説も好きだろうと思うから、この著者の作品をもっと読んでみようと思う。

  • 話し言葉に近い文章は非常にリアリズムを感じさせるとともに、通常の書き言葉より圧倒的に読みづらく、新鮮な体験でした。読むと穏やかになります。

  • なんてことない日常をそのまま描くというのが難解であるのだが、それを見事にやってのけた作品。
    はじめは取っ付きにくく、これが本当に日常であるのかと疑いの目をもちながら読んでしまう。それは、私たちが日々暗く悲しいニュースをみているからなのでは?
    本や小説を勝手に物語だと思い込み、壮大な起承転結を求め、かつ読む態度を整えなくてはいけないのは、私たちの日常に悪がへばりついて離れないからなのではないか。

  • ゴンタの話がやや自己言及的すぎる気もしたが、その技法によってなんでもないことをなんでもないこととして描いてみせることでなんでもないことのなんでもなくなさが浮かびあがってくる感じがする、このひとはぼくの何億倍も小説というものについて考えているのだなあと思わされる、すごい、猫がたくさん出てきてうれしい

  • 猫が出てくるようなのでとりあえず読んでみた。実家の本棚にあった本で、誰が選んだものかも不明です。なんかよくわからないけど、全体を外側から眺めている人が主人公なのかな。いったい何の仕事してる人なのか不思議でした。

  • 振り向いた子猫はとびきり可愛い。うっかり動作を中断してしまったその瞬間の子猫のカラッポがそのまま顔と何よりも真ん丸の瞳にあらわれてしまい世界もつられてうっかり時間の流れるのを忘れてしまったようになる。

  • これといったドラマティックな展開のないほのぼのしたストーリー。ドラマがなくても、なにげない日々の生活が幸せだと感じられる話。なんにも起こらなくても、ダラダラしていても、誰かその瞬間を共有することができる人がいると幸せがより大きくなると思った。

    あらすじを読むとよく、4人の〜と書いてるけれど、あんまり4人で一緒にいることないし、いっそのこと5人の〜にした方が良いんじゃないかと思う。

  • 昔のフランス映画のようにこれといってドラマチックな事はなにもおこらず、

    ゆるやかに流れる時間のなかで、青年たちの日常がただただ

    描かれているという作品。


    作者の持論である

    「ストーリーとは読者の興味を最後までつなぎとめておくための、

    ひとつの方法だ。」

    とか

    「ストーリーは小説を遅延させる。」

    極論からいえば多分、

    「ストーリーなんてどうでもいい」

    ということなのだろう。

    で、それはつまりはどういうことなんだ、なにを表現したいのだ、

    というのが、実際に読んでみてなんとなくわかったような気がする。


    どうわかったのか、何を思ったのかというのはうまく説明できない。

    きっと、上手く説明できないようなそんな思いを

    表現しているのがこの作品の意味するところなんだろう。


    この小説で描かている日常というのは、

    例えばある人が昔を振り返るときに、

    焦点にならないというか記憶にも残らないような、

    どうでもいいような会話だったり出来事を紡ぎ出したものなのだが、

    しかし、実はそれらのほうがドラマチックな出来事なんかよりも

    よりリアリティを持っていて、その人の歩んできた人生の中で

    より多くを占め、重要な意味を持っているのではなかろうか。



    誰しもが日常の中で抱く感情や思いであるはずなのに、

    上手く言葉で要約できないが故に頭の隅に追いやられ、

    仕舞いには忘れてしまう、そんな記憶をその時に感じたときのように

    ぼんやりと呼び起こしてくれるような作品だなと思った。

  • 作中ゴンタが語るように、普段映画が撮るのは殺人事件だったり特別な人間だったり。とにかくごくごく普通の人間が描かれることはめったにないし、ごくごく普通の人間がごくごく普通に描かれることはさらにない。ゴンタはなんだかそういうのが許せない。
    だから劇的な場面というのは映さないで、むしろその劇的な場面を受け入れる側の、人の何気ない表情を好んで撮る。

    そしてゴンタのこの姿勢が、そのままこの小説の解説として成立する。
    こういうのはありふれた手法だけど、個人的には作者が「どうしてこういうものを書いたか」みたいな説明を作中人物にくどくどさせるのは、好きではない。

    さて、こういう本だからちょっと評価が難しい。

    学校の教師が自らの教え子たちに残せるもの、長いあいだ覚えておいてもらえるものは、授業の内容ではなくて、彼自身の思い出話であるという話を聞いたことがある。つまり本来的なもの、本筋のものよりも寄り道のほうが生徒の心に引っかかると。

    小説もこれに似たところがある。ストーリーよりもそれに関係ない寄り道や風景描写、あるいは作中人物の何気ない会話がいつまでも心に残るというのはよくあること。

    だから筋のないこの『プレーンソング』という小説は、授業なんてほったかしで自分の昔話や世間話ばかりしている先生に似ている、かもしれない。

    もしそんな先生が本当にいたとして、ぼくならどう感じるだろうかと考えてみたら、こういう先生は人気取りの相当にいやったらしい奴だと思う。
    なるほど。

    でもって個人的には、ユーモアもなくただ長ったらしいだけの話はもっと嫌いである。

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著者プロフィール

1956年、山梨県に生まれる。小説家。早稲田大学政経学部卒業。1990年『プレーンソング』でデビュー。1993年『草の上の朝食』で野間文芸新人賞、1995年『この人の閾(いき)』で芥川賞、1997年『季節の記憶』で平林たい子文学賞、谷崎潤一郎賞、2018年『ハレルヤ』所収の「こことよそ」で川端康成文学賞を受賞。主な著書に、『生きる歓び』『カンバセイション・ピース』『書きあぐねている人のための小説入門』『小説の自由』『小説の誕生』ほか。

「2022年 『DEATHか裸(ら)』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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