菊と葵のものがたり (中公文庫 た 65-1)

  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (315ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122039599

感想・レビュー・書評

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  • 徳川幕府の最後の将軍慶喜の孫娘であり、高松宮のお后でもある喜久子様が書いた本。
    おじい様である慶喜のことから、故高松宮様のことなど書かれてあり、なかなか面白かった。

    特に、慶喜に関することで

    慶喜の息子であり、喜久子妃の父である慶久が、東京帝大の学生時代、慶喜に「大学でどんな学問を修めているのか」と質問されて、「はい、法学部で憲法・民法・商法……」と科目を並べたら、「大学教育とはさような局部的なものであるか。世に立つには宜しくもっと大局的活学を志せ」と叱られた。とあった。

    さすがに日本国を動かしていた人物から出る言葉だと思った。

  • 高松宮妃喜久子(1911.12.26~2004.12.18 享年92)著「菊と葵のものがたり」、1998.11刊行、2002.1文庫化。徳川慶喜(葵)の孫、18歳で高松宮(菊)に嫁ぎ、14ヶ月に及ぶ新婚旅行(昭和天皇の名代として欧米24ヶ国を訪問)をされたとか。美智子さんの結婚に「平民から妃が来るとはとんでもない話」と批判したり、紀子さんが第2子誕生の後、逡巡されてたとき「東宮夫妻への遠慮は無用」などと意見をはっきり言う人でしたね。慶喜は徳川宗家を継いだ養子の徳川家達にかなり遠慮してたようです。家達は常々「慶喜は徳川家を滅ぼした人、私は徳川家をたてた人」と言っていたそうです。(その通りだと思いますが、宗家を継いだ人間がそれを言うと、身も蓋もないですねw)慶喜は明治35年、明治天皇より公爵を賜り、新しく徳川家をたてることになったそうです。

  • 高松宮日記は宮内庁の反対を押し切って、妃殿下が出版を進めたのは初めて知った。対談もざっくばらんで、妃殿下の人柄がうかがえる。それにしても、存命中に読売新聞に故人って書かれたとか、笑って話しているけど、ナベツネまで謝罪に行ったぐらいだから、記者はシャレにならない状況になったのでは。

  • 高松宮 喜久子妃殿下をよく知らずに読み始めたけれど、とても面白かったです。
    前半は対談集で後半がエッセイの2部構成になっている。
    大正・昭和と激変した時代の生き証人として、とくに戦争に関わる思い出は胸をうたれました。
    歴史的な事も、高松宮さまへの想い、皇室の伝統、どれもとても興味深かったです。

  • 徳川慶喜の孫に生まれ、十八歳で高松宮に嫁いだ妃殿下が初めて語る、慶喜公のこと、十四ヵ月に及ぶ新婚旅行、『高松宮日記』刊行の経緯など大正・昭和・平成三代にわたる秘話の数々。

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