行為と妄想: わたしの履歴書 (中公文庫 う 15-12)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (343ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122040069

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  • 「文明の生態史観」や『知的生産の技術』などで知られる梅棹忠夫氏の自伝。梅棹氏のほかの著作と同様、とっても読みやすく、通勤がメンドイのでつい休講したとか、今では到底ありえないような話もいくつか率直に記されている。

    本性は人間ぎらいで隠遁生活をしたいと言いながら、錚々たるメンバーでの共同研究を組織し、万博準備に奔走し(佐藤栄作の開催演説を起草したのも梅棹らしい)、民博を立ち上げるギャップに興味を惹かれる。「社会のため」とかではなくて、あくまでも自らの楽しみの赴くままに、動き回ってきたということなのだろう。で、この楽しみの赴くままにということが、普通はなかなか難しかったりするのだ。

  • 「しかし妄想が先行していたからこそ、行為が成立する。すべては妄想からはじまるのである。」

    幅広いフィールドで活躍された文化人類学者、梅棹忠夫氏の自伝。タイトルにもなっている「行為」と「妄想」についてこのように説明している。自らを「身をもって行動する『行為人』」としながらも、行為に先行する妄想を次から次へと行った「妄想人」であったと述懐する。

    氏の妄想の源はどこからきたのか。それはやはり、青年期からの登山を初めとする種々の「探検」によって培われたものではなかろうか。旧制中学時代からの国内の山の数々の制覇から徐々にフィールドを広げ、今では時勢上行くことも極めて難しい中国北朝鮮国境の白頭山や、モンゴル、カラコルム地域、太平洋上の島まで。こうした途方もない「行為」力が次の「妄想」を呼び、それがまた「行為」をうむ。

    妄想(夢)を実現し、成果を実りあるものとするには、「緻密で細心な実務処理能力」が必要と説いているのが極めて現実的で身にしみる。やっぱり最後はちゃんと仕事しないと妄想は実現できません。

  • 苦難を物ともせず、ほとばしる好奇心のおもむくままに何でもチャレンジする生き方。与えられた時間を余すことなく使いきった超人の、偉大な履歴書です

  • 月曜日に祇園祭の後祭を見てきました。祭の由縁を教えてくれた人がこの祝祭にとっても京都にとっても町衆(ちょうしゅう)の存在の大きさに触れていました。そいうえばかの梅棹忠夫の学問も京都の町衆文化によって育まれたのではないか?と思い出しページを開きました。この巨人の周りにはそうそうたるコミュニティが生まれていてそれが梅棹忠夫の最大の創造なのではないか、と改めて仰ぎ見ました。近衛ロンドを始めとする数々の知のネットワーク。それが「みんぱく」につながります。彼の「行為と妄想」はそんなコミュニティによって実現可能になっています。ものすごいロマンティックなリアリスト。それにしても「行為と妄想」っていい言葉!

  • 学問に人生を捧げる好奇心と行動力が詰まっている。常に熱意を傾けられるものを探し、その為に自分の時間をいかに使うか、は生きる指針として事あるごとに思い返すべきだろう。
    他府県民からよく言われる京都人の「腹黒さ」や「特殊性」についての考察は目から鱗。

  • これまた、たまたま図書館のリサイクル市で見つけた本。しかもサイン入り。(本物だろうか?)梅棹先生の本はいままでに読んだことがなかった。講演会には10年以上前に参加したことがある。印象に残っているのは黒いめがねだけ。本書は自伝なのだけれど、文句なくおもしろい。本当にすごい人だ。若い頃の探検ももちろんだけど、歳をとられてからも、大阪万博や民族博物館の創設をはじめたくさんの大きなプロジェクトの中心的な役割を担っておられる。たくさんの文章も書かれているし、眼が不自由になられてからも、まだまだやり足りないという感じで精力的に動かれている。最後には「日本語のローマ字化」運動にもう一度注力したいともおっしゃっている。しかしどうしてこうも自伝というのはおもしろいのだろう。人の人生を自分のこととして楽しめるからだろうか。自分にはできないけれど、こういう生き方もあるのか、と感じることができるからだろうか。とにかく、今西錦司先生はじめたくさんの有名人が登場するのがまたおもしろい。梅棹先生がもともとは動物学教室にいて、河合雅雄さんはそこの学生さんだったなんていうのもおもしろい。梅棹先生の本をいまからでもあらためて読んでみようと思う。(ここから始まったんだなあ。2015現在)

  • 生態学・文明学・情報学と、さまざまな分野を渉猟した著者の自伝です。

    世界各地でおこなった数々のフィールド・ワーク、動物生態学から独自の文明論の構築への歩み、国立民族学博物館をはじめとする文化事業への関わり、晩年の視力の喪失などが語られており、「学者」という枠には収まらない著者のスケールの大きさをうかがい知ることができます。

    中でも興味深いエピソードは、京都大学の動物学研究室で学生の卒業論文の指導をおこなった際に、「道徳の起源」と「自由の起源」というテーマを与えたという話です。今日の高度に専門化した動物学では、とても扱えないような根源的なテーマだと思いますが、学生はさぞかし困ったことだと思います。

  • 梅棹さんの人生がよくわかる本。梅棹さん大好き人間としては、今はなき梅棹さんに寄り添えたような気がして、楽しく読ませていただきました。
    『「櫟社の散木になりたや」というのをわたしの人生のモットーとしてきた。じっさい、少年時代からひとの役にたちそうにないことばかりやって生きてきたのである。いまも散木としての人生をまっとうしたいとおもっている。』と梅棹さんは綴る。「研究は行為で、それはいつも妄想から出発する」というのも心に残る。妄想力、とってもかわいらしい響きの割に深みがある面白い力。

  • 著者の物凄いバイタリティに圧倒される。

  • 著者の物凄いバイタリティに圧倒される。

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著者プロフィール

1920年、京都府生まれ。民族学、比較文明学。理学博士。京都大学人文科学研究所教授を経て、国立民族学博物館の初代館長に。文化勲章受章。『文明の生態史観』『情報の文明学』『知的生産の技術』など著書多数。

「2023年 『ゴビ砂漠探検記』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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