- Amazon.co.jp ・本 (332ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122040632
作品紹介・あらすじ
昭和二十年八月九日、ソ連参戦の夜、満州新京の観象台官舎-。夫と引き裂かれた妻と愛児三人の、言語に絶する脱出行がここから始まった。敗戦下の悲運に耐えて生き抜いた一人の女性の、苦難と愛情の厳粛な記録。
感想・レビュー・書評
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敗戦下の昭和20年夏、3人の幼子と満州から引き上げる著者の壮絶な記録。
~自分が飢えていながらも母の身を案じてくれるせつなさと嬉しさに私は声をたてて泣いた。~
読書中の切迫感、重いため息の連続だった。ほぼ一気読み。平和について考える…詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
昭和20年8月9日、ソ連参戦の夜。新京(長春)で夫(藤原寛人33歳)と引き裂かれた妻(藤原てい27歳)が、愛児三人(正弘6歳・正彦3歳・咲子1ヶ月)を引き連れ、敗戦下の満州からの引き揚げを綴った壮絶かつ慟哭の記録です。母子四人が帰国(21年9月)から三ヵ月後、著者の夫(筆名:新田次郎)はシベリア抑留から解放され帰還、親子の再会が叶いました。艱難辛苦に耐え、幼い子どもたちの成長を見守り続けた母・藤原てい(1918-2016)さんの生涯に敬服し、戦争がもたらす罪過を語り継ぐべしの思いを新たにしました。
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藤原ていさんは、夫新田次郎氏(本名藤原寛人)と子供たち共に満州に渡った。
敗戦で新田氏はシベリアに連れ去られる。三人の幼い子供を抱えて決死で日本に引き上げた体験記。
壮絶な経験、極限で見える人の醜さ、安定後の虚無感。
結局は誰も欠かさず日本に戻り、しばらくすると夫も戻ってきたわけですが、その後虚無感で何もできなくなった時に、ではこの経験を書いてみようとしたものだそうです。
そしてこの後負けず嫌いの新田氏が「おまえが書けるなら俺だって書ける」と、気象庁に勤めながら作家デビュー。
このご夫婦は「旅行に行っても別行動」などマイペースで負けず嫌いでありながら、根本がつながっている感じがあります。
…読んだのがずっと昔なのでこんなことしか書けなくなってる… -
すごい本だった
子供が星に興味があるので、題名を見て手に取った本
題名からは考えられないくらいの過酷な内容の本だったが、衝撃的すぎて一気に読んでしまった
小さい子供を3人も抱えて過酷な状況で、よく子供も自分も守りきったなと
私なら無理だったかもしれない
母は強とは言うけれど、それ以上。
すごい人だと思った。 -
戦争の引き揚げの話をここまでリアルに知れたのは初めて。母親はこんなに強いものなのか。日本人同士、時にお互いに協力したり、裏切ったり、利用したり、されたりと生々しい。藤原ていの別の作品自身の半世紀が書かれている、旅路も読みたいと思う。人はこれだけの経験をした後ど何を思い考え暮らしていったのか想像も出来ない。
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数学者・藤原正彦の母であり作家・新田次郎の妻である藤原ていが、満州で敗戦を迎え夫と離ればなれになったまま三人の幼子を連れて朝鮮半島を南下し、ついに釜山から船で日本に渡り、故郷にたどり着くまでのお話です。頼るもののない異国で、流れる星に希望を繋ぎながら生き延びようとする凄絶な母子の姿を描いています。
この作品には、ノンフィクションであるが故の重さがあると思います。ぎりぎりの暮らしの中で少しでも上手く立ち回ろうとする人たちの狡さ、自らの利益のために弱者を切り捨てて平気な人たちの身勝手さや残酷さが、善悪ということ以前に事実として淡々と描かれています。それ故に、人の本性とは何であろうかと考えさせられます。また、著者を何度も酷い目に合わせた「かっぱおやじ」が立派に団のリーダーとしての役割を果たし終え涙を流して演説している場面からは、極限下での人の在り方を単純な善悪二元論で断ずることなどできないのだとも感じました。
死と隣合わせの生活の中にありながら、母親はどんな苦労も厭わず命がけで我が子を守り抜こうとします。こうして続く母子の旅が無事に終わることを、読者は祈らずにはおれません。一方で、日本人を哀れに思い助けてくれた多くの現地人がいたということには救われた気がしました。 -
数学者で作家の藤原正彦の母、藤原ていのベストセラー。夫も作家の新田次郎。胸が痛くなる壮絶なノンフィクションである。
著者は、戦争中に夫が赴任していた、満州の気象観測所に家族5人で住んでいた時に終戦を迎えた。夫とは別々になり、一人で乳飲み子を含む子ども3人を抱えて、北朝鮮と韓国を南下し帰国を目指す。それは想像を絶する厳しい旅だったようで、途中で亡くなってしまう人も後を絶たなかった。
戦後こんなにたくさん内地に取り残された人がいて、本国からのサポートも全くないなか、そういう人たちがどうやって命からがら帰国したのか初めて知った。一人で帰るのも大変なのに、小さい子どもを3人も連れていたのだ。困難な状況が極限に達すると、自分が生き残るために、周りの人の人間性も現れてくる。飢えや衛生状態など、読んでいて苦しくなった。
この本が何十年も読まれて評価されているのは、引き揚げについてここまで生々しく描かれた本があまりないからかもしれない。引き揚げた人々は、そのことをあまり語りたがらないという。母は強い。 -
本書は、昭和24年に出版され、ベストセラーになったそうです。残念ながら、この著書については知りませんでした。
ていうか、「藤原てい」って誰?という方も多いかと思います。
藤原ていさんは、先月11月15日に老衰でお亡くなりになっています。
次男で数学者・藤原正彦(お茶の水女子大学名誉教授)氏の著書「国家の品格は」ミリオンセラーとなりました。
そして「ていさん」のご主人は、作家の新田次郎(本名・藤原寛人)でもあります。
さて、この著書は戦後、遺書のつもりで書かれたそうです。終戦前の8月9日から物語は始まり体験談を脚色なしのノンフィクション小説と言われ、夫と子供三人と共に旧満州にて暮らしておりました。夫は、満州の観象台(現代の気象台)に勤めておられ、あの日以降に夫の諸事情で満州に残ることになったそうです。
ていさんは、子供3人を連れ命の危険に晒されながら、北朝鮮に足止めされたが、38度線を越え朝鮮半島の釜山より船便にて、日本に帰還することが出来ました。
壮絶な人生の分かれ道、子供の命は天秤にかけられない。その思いから
(本書より一部抜粋)
『リュックの中から赤い紐を出して腰にしっかり結んだ。私は最後の時が来たら、この紐で子供たちを殺して自分も死のうと考えていた』
しかし『マクワ瓜を二つに割って、中心にそって溝をつけ、出てくる汁を咲子(ていさんが背負って歩いた生まれて間もない末の子)の口に注ぎ込んでやると咲子はおいしそうに音をたてて、いつまでも止めようとしなかった。(この子は、まだ生きる力があるんだわ・・・)』
私たちの人生の中で、病気以外に命の危険に晒されることはありません。体験者のみの真実の記録は、全てを物語っています。残念ながら、作家・新田次郎氏は、妻と別れ満州に残ることになりシベリアに抑留されていましたが、体験談として自伝には書いておられません。如何に過酷な体験故、言葉に出来ず黙して語らずといったところでしょうか。 -
読んでいても辛くなる。最後の後日談に救われた。咲子が育って本当によかった。でも、長男正広が叱られ通しの辛い思いを抱えたまま大人になったことで、また胸が痛む。当時の過酷な状況と今の私が生きる時代を比べ、なんと幸せなことかと改めて思う。