孔子伝 改版 (中公文庫 B 20-5 BIBLIO)

著者 :
  • 中央公論新社
3.60
  • (24)
  • (19)
  • (27)
  • (9)
  • (4)
本棚登録 : 470
感想 : 32
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (317ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122041608

作品紹介・あらすじ

理想を追って、挫折と漂泊のうちに生きた孔子。中国の偉大な哲人の残した言行は、『論語』として現在も全世界に生き続ける。史実と後世の恣意的粉飾を峻別し、その思想に肉薄する、画期的孔子伝。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • ここ数年、「学習する組織」との関連性みたいなところから、「論語」関連の本をときどき読んでいるのだが、これは「孔子」像をかなり根源的なところから転倒してしまうすごい本。

    「孟子」をよんだときの印象で、この人(孟子)は、なんだか、政治経済の政策コンサル会社のシニア・パートナーみたいだなというのがあった。

    考えてみれば、この時代の中国は、たくさんの国があって、勢力均衡したり、戦争したり、クーデターがあったりしていたわけで、そういうなかでいろいろなコンサルが諸国を回って営業活動、政策提言活動をしていたというのもおかしなことではない。

    そして、孔子もそういうコンサルの一人であった。

    だが、コンサルといっても、政治にかかわる以上、命がけである。国の事情が変われば、亡命生活を余儀なくされる。また、政権側に採用されても政変で殺されたりする。(実際、孔子の弟子の子路は殺されて、塩漬けにされている)

    とくに「孔子」は、当時の反体制の革命家的コンサルなので、危険がいっぱい。

    そういう厳しい亡命生活のなかで、そして、結局のところ現実の政治にはたいした影響を与えることができないという厳しい状況のなかで深まっていく思想があって、それを一緒に学んでいく弟子たちがいる。

    そして、孔子の死後は、その弟子たちは分裂して、実質的に孔子の思想は分からなくなってしまう。さらに、時代が変わって、中国の体制が安定したときに儒学を統治のための思想として政治利用することになって、ますます、なにがなんだか分からなってしまう。

    白川静は、そこをテキストを選り分けていくことで、孔子の思想のコア部分を掘り当てていく。

    孔子は、超越的なものに頼らない、人間的合理性を重視した人というイメージがあるのではないかと思うが、白川さんによると、孔子は巫女の庶生子で、呪術的な要素があるとのこと。と言われれば、孔子が礼儀とか、儀式とかにうるさいことが、すんなりと理解できてくる。

    そして、亡命生活の末に孔子が到達した境地は、「荘子」に近いところにあるという。さすがにそこまではと思いつつ、そんなにおかしくもないような。。。。

    もちろん、この孔子像を評価することはわたしにはできないし、この1972年にでた白川説がその後どういうふうな評価になっているかもわからない。そもそも、「論語」の内容を理解していることが前提になっている本なので、内容自体、ちゃんと理解できているかもあやしい。

    でも、この孔子には、とてつもないリアリティを感じる。

    そして、聖人ではない、血の通った人間として、悩みながら、失意のなかでも前に進み続ける人として、尊敬できる人だな〜。

  • むずかしいなあ。もう一度読むぞ、いずれ。

  • 『論語』の名を知らない人はまずいないと思いますが、きちんと全
    文を読んだことがある人になると、それほど多くはないかもしれま
    せんね。かくいう私もその一人です。どうにも堅苦しい印象があっ
    て、どうしても読む気にならなかったのです。

    しかし、そんな印象を一変させてくれる一冊が、今週おすすめする
    白川静著『孔子伝』です。白川氏は2年前に96歳の生涯を閉じた、日
    本が世界に誇る漢字・東洋学者です。

    私がこの大学者の仕事の一端に触れたのは、娘の命名のために漢字
    の起原を調べようと『常用字解』『人名字解』を買ったことがきっ
    かけでした。この2冊の字典は、大袈裟なようですが、それまでの世
    界観を覆すほどの衝撃をもたらすものでした。漢字がこんなに呪術
    と結びついたものだとは全く知りませんでしたし、白川氏の解説を
    読んでいると、文字にこめられた呪能が、古代の人々の世界観と共
    に立ち上がってくるのです。それは、めくるめくような体験でした。

    こんな仕事を一人でやり遂げた白川静という人間はただ者ではない、
    と思いました。それから彼の著作を読み始めたのです。

    『孔子伝』は、漢字に関する著作の多い白川氏の著作の中で、唯一
    の評伝です。これがまた従来の孔子像に挑戦する、大胆な仮説を提
    示している書物なのです。

    「孔子は巫女の私生児であった」というところから白川氏は孔子像
    の転覆をはかります。孔子の前半生は暗くけわしいもので、世に認
    められたのは40歳をかなり過ぎてから。しかし、社会的な成功とは
    程遠く、死の直前まで亡命と流浪を繰り返す日々であったと言うの
    です。

    「四十にして惑わず」どころではないです。実際の孔子の人生は、
    彷徨の人生だったのです。しかし、現実の世界では敗北者であり、
    失敗者であったからこそ、逆に孔子の思想は輝きを増したのだ、と
    白川氏は論じます。

    実は白川氏自身が遅咲きの花でした。岩波新書で『漢字』を書いて
    一般に知られるようになるのが60歳のことです。88歳で文化功労者、
    94歳で文化勲章を受賞されますが、それでも、常に異端者と見られ、
    学界では少数派であったようです。そんな世俗のことはどこふく風
    と、ただひたすら文字の世界と向き合い続けた96年の人生は、現実
    に敗れながらも自らの理想を追い続けた孔子の74年の人生とどこか
    重なるものがあります。

    『孔子伝』が世に出たのは1972年のこと。学生運動が教育の現場を
    荒廃させ、中国では文化大革命の嵐が吹き荒れていた頃です。そう
    いう世情の中で、白川氏は孔子について書いてみようと思ったのだ
    そうです。「多分孔子も、このような時代に生きたのであろう。哲
    人孔子は、どのようにしてその社会に生きたのか。孔子はその力と
    どのように戦ったのか。そして現実に敗れながら、どうして百世の
    師となることができたのであろうか。私はそのような孔子を、かき
    たいと思った。社会と思想と、その人の生きざまと、その姿を具体
    的にとらえたいと思った」と当時の心境を振り返っています。

    『孔子伝』は、そういう意味で、極めて個人的な著作だと思うので
    す。孔子の生き様を通じて、我が身を振り返る。そういう白川氏の
    思いが随所に溢れているように思えます。それがまた孔子の人間像
    に精彩を与え、この書物を魅力的にしているのです。

    自分の人生を生きるとはどういうことか。そういうことを深く考え
    させてくれる好著です。是非、読んでみて下さい。

    =====================================================

    ▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)

    =====================================================

    孔子は、たしかに理想主義者であった。理想主義者であるゆえに、
    孔子はしばしば挫折して成功することはなかった。世にでてからの
    孔子は、ほとんど挫折と漂白のうちにすごしている。

    哲人は、新しい思想の宣布者ではない。むしろ伝統のもつ意味を追
    求し、発見し、そこから今このようにあることの根拠を問う。探求
    者であり、求道者であることをその本質とする。

    孔子は、巫女の庶生子であった。いわば神の申し子である。父の名
    も知られず、その墓所など知る由もない。

    孔子がようやく世上に姿をあらわすのは、おそらく四十もかなり過
    ぎてからであろう。その頃には多少の弟子ももっていたようである。
    (中略)このような孔子が、一躍にして世人の注目をあびるように
    なるのは、魯に内乱的な状態が発生した時である。(中略)孔子も
    行動を起こそうとする。しかしそれはたちまち挫折するのである。
    しかし、その挫折は孔子を救ったと私は考える。政治的な成功は、
    一般に堕落をもたらす以外の何ものでもない。

    孔子がいくらか得意であった時期は、ものの三年もつづかなかった。
    孔子はなぜ失敗したのであろう。それは孔子が、革命者ではあって
    も、革命家ではなかったからである。

    事実は必ずしも真実ではない。事実の意味するところのものが真実
    なのである。

    孔子はえらばれた人であった。それゆえに世にあらわれるまでは誰
    もその前半生を知らないのが当然である。神はみずからを託したも
    のに、深い苦しみと悩みを与えて、それを自覚させようとする。そ
    れを自覚しえたものが、聖者となるのである。

    伝統とは民族的合意である。儒教は少なくとも、中国における旧社
    会の伝統であった。しかしわが国の場合、そのような意味での伝統
    は、はたしてあったであろうか。またそれにかわりうるものがあっ
    たであろうか。

    それにしても、孔子がかつてその現実の行動のうちに示した、あの
    はげしい求道者的な精神、また道への献身は、どこから生まれてき
    たものであろう。(中略)そこには理想に生きるものの、かがやく
    ような美しさがある。

    絶対は対者を拒否する。しかし対者の拒否が単なる否定にとどまる
    限り、それは限りなく対者を生みつづけるであろう。対者の否定と
    は、対者を包みかつ超えるものでなくてはならぬ。

    思想は本来、敗北から生まれてくるもののようである。

    現実の上では、孔子はつねに敗北者であった。しかし現実の敗北者
    となることによって、孔子はそのイデアに近づくことができたので
    はないかと思う。社会的な成功は、一般にその可能性を限定し、と
    きに拒否するものである。思想が本来、敗北者のものであるという
    のはその意味である。

    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

    ●編集後記

    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

    3月から区民農園を借りました。たった6畳ほどの小さな敷地ですが、
    自ら食べるものを自ら作る。私の母はそういう人でしたが、その母
    の真似事を一家で始めました。

    昨日、初めてその畑地を耕しに行きました。まずは土づくりです。
    鍬とスコップですっかり堅くなった地面を掘り起こしました。が、
    これがなかなか大変。6畳なんて小さいな、と思っていたのですが、
    すぐに息が上がってきます。こんな時こそ父親の威信を見せようと
    頑張るのですが、ぜーぜーと肩で息をする有様で、全然、格好よく
    ありません。

    おかげで今朝は筋肉痛です。1日で筋肉痛が出てくるところを見ると
    思ったほど肉体は老化していないのかもな、とちょっと嬉しくなり
    ました。

    さて、孔子と言えば、ソクラテス、キリスト、釈迦とあわせて、し
    ばしば世界の四聖と言われますね。

    ある日、はたと気づいたのですが、この4人は、誰も自分で著作を
    残していませんね。弟子達が「子、曰く」の形でそのことばを残し
    ている。聖典とされる『論語』『聖書』『ブッダのことば』は皆そ
    ういう構造で書かれていますし、ソクラテスの思想も、弟子であっ
    たプラトンが対話編の形で残したものです。

    しかも、孔子と同じく、聖人達は生前は決して社会的には成功して
    いません。ソクラテスとキリストは処刑をされています。釈迦は最
    初は王族として豊かな人生を送りましたが、出家後は苦労続き。悟
    りを開いた後はよくわかりませんが、栄華を極めたという人生でな
    かったことは確かです。

    もしかしたら、聖人達というのは、土づくりや種蒔きをすることに
    その本質かあるのかもしれませんね。自分が開花することを願って
    いるのは所詮小人で、自分が耕した土地、撒いた種で、人々が開花
    することを願う。それが聖人を聖人たらしめたものなのかもしれま
    せん。筋肉痛で重い腕をさすりつつ、ふとそんなことを考えました。

  • 孔子を「聖人」としてではなく「歴史的な人格」として捉えなお
    そうとする書物。
    作者・白川静の研究業績についてはもはや贅言を要さない
    だろう。
    多くの資料を引用することによって、孔子の人となりを現代に
    蘇らせることに成功している。
    孔子の生涯を知りたい方は、まず本書に目を通すべきだと考
    える。

  • 酒見賢一氏の「陋巷にあり」の元ねた本?だそうで、白川静にも興味があり孔子にも興味が沸き読み始めた一冊。第一にこの本は、通常の辞書を引いても載ってない漢字や異体字や単語が頻出しており、しかもそのほとんどにルビがふっておらず、又注釈も無いために、一般読者に対しては非常に苦読を強いられる。一方で、孔子の生まれ育ちや、亡命・放浪の話、弟子達の話等、白川氏独自の推測を自由に述べている項などは比較的分かりやすいです。ともあれ、一読して分からなかった部分を、もう一回調べ直して検討したい一冊。

  • とてもおもしろい。碩学の著者の見解を批判するだけの見識は私にはないが、非常に説得力のある孔子像が展開される。儒が巫儒であり呪であることは、この本を元ネタにした諸星大二郎の「孔子暗黒伝」、酒見賢一の「陋巷に在り」で奔放に展開されたが、著者の分析と数々の根拠の提示には自然に納得させられる。単純な孔子伝ではなく、当時の時代背景の把握、墨家、荘子との比較も非常に興味深い。これだけの深い考察が、中国ではなく日本の学者によってなされたことには感動を覚える。手元に「論語」を置いて読まれることを薦める。白川さんの解説で、漢文の時間に習ったものと、まったく違った論語が見えてくるのが楽しい。

  • 個人的な話。中学入学のとき、幼馴染で1年先輩のAさんがyuuちゃん、僕のクラブへおいでよ、というので入部した。何と校長先生の元、論語を読むクラブ。毎週1回だったけれど、論語って読みやすくて、記憶に残るんですよね。

    白川先生の孔子論。期待に違わず。
    儒教は坐祝を母体としている。孔子は学を好んだが、それは古典ではない。古典は未成熟だった。
    陽虎は孔子の影のようだと云われるが、実際、占いをし、門下を持ち、孔子に良く似た存在だった。
    仁は全人間的なありかたを表現する言葉。老荘思想は南方の楚、また滅んだ殷の人々の国、宋から生まれた。
    へ〜、と思うこと多し。魯からの亡命が孔子の思索を深めたという指摘がこの本の論旨の中心。学而篇はその晩年のエピソード。
    中学時代に読んだ論語を思い出し、納得。

    論語の成立の謎も明らかにしている。亡命時代に孔子に最後まで付き従ったのは子路と顔回。顔回の記録したエピソードに孔子の死後に家を守った子貢が纏めたものに後の時代の思惑が幾重にも追加されていったと論証されていく。

    「論語の文章は、簡潔で美しい」
    確かに、その通り。その簡潔な文章で伝えられる孔子と弟子たちのやり取りを読むのは楽しい。子路は忠義者の一番弟子。いつも孔子に怒られたり、へこまされている。ヤクザ上がりで、オツムが弱いのかと思っていたが、本当は家宰としての能力もあるのだという。
    白川先生は子路は師に誉めてもらいたくて話をふっているという。ああ、そうか。顔回か子貢が記したのだろうか。そう思うと、兄弟子と師への尊敬と愛情が感じられる。
    顔回のことを記したのは子貢か。顔回への称賛も、その早すぎる死を悼む気持ちが書かせたものだろう。世俗的な立身出世に無頓着。孔子の後を継げるはずの英才。孔子が手放しに誉めた弟子。
    こうしたエピソードと昔、授業で読んだ孟子の長くクドイ文章を比べ、まったく雲泥の差だと思う。
    しかし、孔子の思想とは何なのだろう。本当のことを云えば、論語を読んでもさっぱり判らない。礼を重んじた。仁という言葉でイデアに名を与えた。周を理想とした。顔回だけが孔子のイデアを理解した。でも、そのイデアとは。
    昔から論語を読んで不思議なのは、顔回への称賛。他の弟子が宮仕えをする中、かなり無口で貧しい暮らしをするこの弟子の何が凄いのか、判らなかった。他の弟子も顔回の凄さを認めていたのだから、孔子のイデアはある程度教団内では共有されていたということか。一を聴いて十を知るの段を思い返す。子貢だからこそ顔回を惜しんだのだ。

    論語の素晴らしさを再認したが、謎が深まったような気がする。

  • 諸星大二郎「孔子暗黒伝」の元ネタ。
    白川先生の孔子の伝記。
    白川先生ならではのアプローチ、漢字から孔子の出自や教えを推理していく展開はスリリング。
    諸子百家との比較もコンパクトで良い。特に墨家との類似点・相違点は興味深い。

  • 少し背伸びして読みました。
    文章がきれいなのでまだ読みやすいです。

  • 渋沢論語を読んでから、白川静の漢字学と共に孔子を再考。

全32件中 1 - 10件を表示

白川静の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×