- Amazon.co.jp ・本 (317ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122041608
作品紹介・あらすじ
理想を追って、挫折と漂泊のうちに生きた孔子。中国の偉大な哲人の残した言行は、『論語』として現在も全世界に生き続ける。史実と後世の恣意的粉飾を峻別し、その思想に肉薄する、画期的孔子伝。
感想・レビュー・書評
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ここ数年、「学習する組織」との関連性みたいなところから、「論語」関連の本をときどき読んでいるのだが、これは「孔子」像をかなり根源的なところから転倒してしまうすごい本。
「孟子」をよんだときの印象で、この人(孟子)は、なんだか、政治経済の政策コンサル会社のシニア・パートナーみたいだなというのがあった。
考えてみれば、この時代の中国は、たくさんの国があって、勢力均衡したり、戦争したり、クーデターがあったりしていたわけで、そういうなかでいろいろなコンサルが諸国を回って営業活動、政策提言活動をしていたというのもおかしなことではない。
そして、孔子もそういうコンサルの一人であった。
だが、コンサルといっても、政治にかかわる以上、命がけである。国の事情が変われば、亡命生活を余儀なくされる。また、政権側に採用されても政変で殺されたりする。(実際、孔子の弟子の子路は殺されて、塩漬けにされている)
とくに「孔子」は、当時の反体制の革命家的コンサルなので、危険がいっぱい。
そういう厳しい亡命生活のなかで、そして、結局のところ現実の政治にはたいした影響を与えることができないという厳しい状況のなかで深まっていく思想があって、それを一緒に学んでいく弟子たちがいる。
そして、孔子の死後は、その弟子たちは分裂して、実質的に孔子の思想は分からなくなってしまう。さらに、時代が変わって、中国の体制が安定したときに儒学を統治のための思想として政治利用することになって、ますます、なにがなんだか分からなってしまう。
白川静は、そこをテキストを選り分けていくことで、孔子の思想のコア部分を掘り当てていく。
孔子は、超越的なものに頼らない、人間的合理性を重視した人というイメージがあるのではないかと思うが、白川さんによると、孔子は巫女の庶生子で、呪術的な要素があるとのこと。と言われれば、孔子が礼儀とか、儀式とかにうるさいことが、すんなりと理解できてくる。
そして、亡命生活の末に孔子が到達した境地は、「荘子」に近いところにあるという。さすがにそこまではと思いつつ、そんなにおかしくもないような。。。。
もちろん、この孔子像を評価することはわたしにはできないし、この1972年にでた白川説がその後どういうふうな評価になっているかもわからない。そもそも、「論語」の内容を理解していることが前提になっている本なので、内容自体、ちゃんと理解できているかもあやしい。
でも、この孔子には、とてつもないリアリティを感じる。
そして、聖人ではない、血の通った人間として、悩みながら、失意のなかでも前に進み続ける人として、尊敬できる人だな〜。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
むずかしいなあ。もう一度読むぞ、いずれ。
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孔子を「聖人」としてではなく「歴史的な人格」として捉えなお
そうとする書物。
作者・白川静の研究業績についてはもはや贅言を要さない
だろう。
多くの資料を引用することによって、孔子の人となりを現代に
蘇らせることに成功している。
孔子の生涯を知りたい方は、まず本書に目を通すべきだと考
える。 -
酒見賢一氏の「陋巷にあり」の元ねた本?だそうで、白川静にも興味があり孔子にも興味が沸き読み始めた一冊。第一にこの本は、通常の辞書を引いても載ってない漢字や異体字や単語が頻出しており、しかもそのほとんどにルビがふっておらず、又注釈も無いために、一般読者に対しては非常に苦読を強いられる。一方で、孔子の生まれ育ちや、亡命・放浪の話、弟子達の話等、白川氏独自の推測を自由に述べている項などは比較的分かりやすいです。ともあれ、一読して分からなかった部分を、もう一回調べ直して検討したい一冊。
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個人的な話。中学入学のとき、幼馴染で1年先輩のAさんがyuuちゃん、僕のクラブへおいでよ、というので入部した。何と校長先生の元、論語を読むクラブ。毎週1回だったけれど、論語って読みやすくて、記憶に残るんですよね。
白川先生の孔子論。期待に違わず。
儒教は坐祝を母体としている。孔子は学を好んだが、それは古典ではない。古典は未成熟だった。
陽虎は孔子の影のようだと云われるが、実際、占いをし、門下を持ち、孔子に良く似た存在だった。
仁は全人間的なありかたを表現する言葉。老荘思想は南方の楚、また滅んだ殷の人々の国、宋から生まれた。
へ〜、と思うこと多し。魯からの亡命が孔子の思索を深めたという指摘がこの本の論旨の中心。学而篇はその晩年のエピソード。
中学時代に読んだ論語を思い出し、納得。
論語の成立の謎も明らかにしている。亡命時代に孔子に最後まで付き従ったのは子路と顔回。顔回の記録したエピソードに孔子の死後に家を守った子貢が纏めたものに後の時代の思惑が幾重にも追加されていったと論証されていく。
「論語の文章は、簡潔で美しい」
確かに、その通り。その簡潔な文章で伝えられる孔子と弟子たちのやり取りを読むのは楽しい。子路は忠義者の一番弟子。いつも孔子に怒られたり、へこまされている。ヤクザ上がりで、オツムが弱いのかと思っていたが、本当は家宰としての能力もあるのだという。
白川先生は子路は師に誉めてもらいたくて話をふっているという。ああ、そうか。顔回か子貢が記したのだろうか。そう思うと、兄弟子と師への尊敬と愛情が感じられる。
顔回のことを記したのは子貢か。顔回への称賛も、その早すぎる死を悼む気持ちが書かせたものだろう。世俗的な立身出世に無頓着。孔子の後を継げるはずの英才。孔子が手放しに誉めた弟子。
こうしたエピソードと昔、授業で読んだ孟子の長くクドイ文章を比べ、まったく雲泥の差だと思う。
しかし、孔子の思想とは何なのだろう。本当のことを云えば、論語を読んでもさっぱり判らない。礼を重んじた。仁という言葉でイデアに名を与えた。周を理想とした。顔回だけが孔子のイデアを理解した。でも、そのイデアとは。
昔から論語を読んで不思議なのは、顔回への称賛。他の弟子が宮仕えをする中、かなり無口で貧しい暮らしをするこの弟子の何が凄いのか、判らなかった。他の弟子も顔回の凄さを認めていたのだから、孔子のイデアはある程度教団内では共有されていたということか。一を聴いて十を知るの段を思い返す。子貢だからこそ顔回を惜しんだのだ。
論語の素晴らしさを再認したが、謎が深まったような気がする。 -
諸星大二郎「孔子暗黒伝」の元ネタ。
白川先生の孔子の伝記。
白川先生ならではのアプローチ、漢字から孔子の出自や教えを推理していく展開はスリリング。
諸子百家との比較もコンパクトで良い。特に墨家との類似点・相違点は興味深い。 -
少し背伸びして読みました。
文章がきれいなのでまだ読みやすいです。 -
渋沢論語を読んでから、白川静の漢字学と共に孔子を再考。