- Amazon.co.jp ・本 (270ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122041851
感想・レビュー・書評
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煬帝だけでなく、父の文帝や前の時代の南北朝時代についても詳細に記述され、煬帝の生きた時代、煬帝の生き様に与えた影響など、とてもわかり易く丁寧に、また時にはユーモアも交えた筆致で書かれていて、興味深い。
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暴虐な皇帝として知られる隋の煬帝の伝記です。
「中国人物叢書」(人物往来社)の一冊として刊行された本で、中国史に深い関心をもたない一般の読者にとっても読みやすい文章で書かれています。
その一方で、著者自身の中国史にかんする時代区分の考えかたが踏まえられています。世界史の教科書では、文帝によって建国された隋が南北朝時代の終わりをもたらし、それにつづいて大唐帝国の時代を迎えると説明されています。しかし著者は、隋の煬帝は古い時代の皇帝であり、隋末の混乱のなかに登場した李密や竇建徳、あるいは李世民といった人物の型とは異なると主張します。すなわち、「従来の旧勢力の上にただ乗りかかって、それを自己に有利に利用するしか能のない人間とは違い、自分の力で新しい局面を打開しようとする人」が、著者のいう新しい型の人間であり、煬帝は「古いやり方で権力を握り、古いやり方で権力を弄び、最後に古いやり方で殺されたのであった」と述べられています。
なお「後記」のなかで著者は、「近ごろの歴史学派権力者を描くことを回避し、人的関係を蔑視したがる風があるようだが、これは何かの考え違いから出たのであろう。歴史学の最後の目的は、結局、人的関係を究明するに落ちつくであろう」と述べています。著者が反発しているのは、史的唯物論のような枠組みにもとづいて歴史を裁断し、歴史を生きた人間を捨象する発想なのでしょうが、その後アナール派にはじまる社会史の観点によって歴史のリアリティがより詳細に把握できるようになったことを考えると、現在の読者には多少注釈が必要な発言であるような気もします。 -
[評価]
★★★★☆ 星4つ
[感想]
「隋の煬帝」という題名とはなっているが内容としては隋王朝よりも前の時代から書き始め、隋の誕生、南北統一、煬帝の即位、そして煬帝の最後までが書かれている。
印象に残っているのは隋以前も隋も身内での争いが非常に激しかったということだ。元々が地方軍だった勢力が王朝へと変化する上で合議制が専制になるには必要なことだったのかもしれないが、それにしても激しいという印象だ。 -
意外と文章が堅苦しくなく面白く読めた。
単なる事実や仮説の羅列でなく、著者の人物に対してのツッコミみたいなのも交えてあるので笑えるところもある。 -
隋の煬帝といえば淫乱暴虐な、中国史上稀にみる暴君というイメージが先行する。しかし私は二つのことから、この煬帝という人物に興味を持った。
まず一つ目は、その昔聖徳太子が遣隋使の小野妹子に持たせた、
「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや。」
という有名な文句で始まる国書に激怒したという隋の皇帝とはどんな人物だろうと思ったこと。
もう一つは、中国を縦断する通済渠、永済渠と称する長大運河を建設し、以後の中国発展に極めて大きなインパクトを与える土木工事を成し遂げた人物であることだ。長さにすると青森県から山口県までに匹敵するそうだ。
地図や系図、そして風俗画などを効果的に配置して、宮崎流の引き込まれるような語り口で、歴史絵巻が展開していくようだ。
初出は1965年(昭和40年)だか、少しも古さを感じさせない。歴史というのは、描き方によっては特別な新しい発見でもない限り新鮮味が薄れないのかもしれない。 -
宮崎市定『隋の煬帝』を読む。
中国史上で悪名高い煬帝の生涯を独自の視点で読み解く。
礪波護の解説にこうある。
軽やかな筆致でつづられた本篇が、
この付篇のごとき厳密をきわめた文献考証の積重ねによって
裏打ちされていることを知って驚嘆される方もおられるだろう。
(p.270)
確かにそうなのだ。
宮崎の文章を読んでいると煬帝の頃の中国王室や
それを取り巻く人物模様がくっきりと浮かび上がってくる。
権力への欲望、そして肉親同士が疑い殺戮しあう世界である。
宮崎の文章は付篇「隋代史雑考」を読めば分かるとおり
史料を注意深く丁寧に読み解くことから生まれる。
決して面白おかしく読ませるための創作ではない。
漢文ばかりのこうした史料を独力で読むのは僕には難しい。
宮崎の本篇と読み比べてようやく中身が想像できる。
宮崎はこれまでの歴史学の常識を疑い、
それをくつがえす論考をたびたび試みる。
こうした史料に別の角度から光を当て
文脈を探し出す地道な作業の果てに新学説が誕生する。
宮崎の高弟・礪波が「隋代史雑考」を文庫に収めた意図は
そうした宮崎の思索過程を読者に示すためにある。
碩学であり異端児。
歴史の見方を変えるための補助線を随所に持つ著作。
宮崎との対話は今年もやめられない。
(文中敬称略) -
隋の煬帝を通して南北朝の終わりから隋の終わりまでを非情に面白く書かれている。
この時代に興味があれば満足できること間違いなし。
高島俊男翁も指摘していたが、やはり煬帝は父の文帝を殺害していないのだろうな。