日本の歴史 (4) (中公文庫 S 2-4)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (567ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122044111

感想・レビュー・書評

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  • 菅原道真は寛平六年(八九四年)に遣唐大使に任命された。前回の遣唐使は承和五年(八三八年)であり、約六〇年前であった。奈良時代のように頻繁に遣唐使を送っていた訳ではなく、既に遣唐使は忘れ去られていた。朝廷は外交政策を持っておらず、遣唐使を送る必要性を感じていなかった。唐の文物の輸入という点では民間貿易船があり、遣唐使は必要なかった。

    この時期に遣唐使を復活しようとした理由は新羅にあった。新羅の流民や海賊が対馬や北九州を頻繁に襲って略奪や放火を繰り返した。彼らは新羅王朝の衰退によって生まれた流民や失業者であり、国家の統制が効かない危険な存在であった。彼らは新羅の名を借りて暴れまわった。国境地帯は恐怖に包まれ、この状況に人々は強い憤りを感じていた。朝廷は遣唐使を復活して唐との関係を強化し、新羅に圧力をかけることを狙った。

    しかし、遣唐使は新羅問題の解決にならない。「新羅との関係に唐帝国の圧力を利用するという今はまったく通じそうもない陳腐なゆきかた」と評される(北山茂夫『日本の歴史4平安京 改版』中央公論新社、2004年、362頁)。

    九州を襲う新羅人は新羅王朝の衰退によって生まれた流民や海賊である。新羅王朝に力がないから生じている事態であり、新羅王朝の統制に期待できない。唐も内乱を抱えており、新羅に圧力をかける力はない。新羅の海賊対策は九州や対馬の防衛強化を提案した。地域の武士や国司と協力し、海賊の侵略から自らの土地を守るための計画を練り始め、訓練や装備の充実を進めた。

    道真は遣唐使の廃止を提案した。その理由は以下の通りである。
    第一に民間貿易が発展しており、遣唐使を送らなくても唐の文化を吸収できる。
    第二に遣唐使の遭難や沈没の危険がある。
    第三に唐は戦乱で国力が衰退している。
    第四に遣唐使派遣に莫大な費用がかかり、財政を圧迫している。

    遣唐使の廃止を江戸時代の鎖国のように考えることは正しくない。民間の貿易は活発に行われていた。「当時文物の輸入は民間の貿易とともにますます盛んになり、もはや遣唐使の必要がなくなったというのが実際である」(伊藤正敏『寺社勢力の中世 無縁・有縁・移民』筑摩書房、2008年、118頁以降)

    数年に一度の遣唐使よりも民間貿易船の方が海外文化の流入にインパクトがある。民間貿易船は公的なものではないため、遣唐使と異なり、役所の文書には記録されない。そのため、歴史学者の目に留まりにくく、取り上げられにくい。

  • 平安京はちっとも平安な世の中ではなかったわけで。

  • 770年光仁から967年冷泉。
    桓武が民衆を苦しめながら築き、平城が受け継ぎ、そして嵯峨以下が浪費することで、ぐっと雅になる。京の外は死体累々だが。

    斜陽だった藤原北家が巻き返し、そして台頭、良房が初めて摂関政治をするまでに急成長。娘一人しかいなかったのに、養子をもらったりあれやこれ…あれよあれよという間に天皇家を取り込んでしまった。政治をしないで選挙活動ばかりしている感じ。

    だから宗教もたくさん派生してきた。

    ぐっと幅広いキャラクターが登場して、戦争もたくさんたくさん。事件的にもキャラ的にも盛り上がってきた四巻

  • 道長の登場前まで。この時代の中央と地方の実態が描かれている。奥羽、坂東、西国の兵乱と、中央の無気力無関心。中央の権門と地方の受領。少しずつ律令制が崩れていく過程が丁寧に記述される。
    上から下までグルになっての地方での搾取、それに対抗した平将門への英雄視。武士が少しずつ出現。

  • 本巻で平安時代をすべて網羅していない(藤原道長は次の第5巻に登場するらしい)というのは、平安時代が約390年という非常に長い時代であったというだけではないだろう。

    東京遷都まで京都は首都であったわけだが、その基礎が出来上がったのがこの時代であるし、長期間続いたということは、それだけ様々な文化が生まれたということでもある。

    つまりバラエティに富んだ時代であっただけに、取り上げなければならないことがらも多く、五百数十ページではとても収まり切らないということだろう。

    解説でも指摘されているように、確かにこの時代の国際情勢については本巻はやや弱いが、政治、軍事、文化、風俗が網羅されており、読み応えがある。

    これ1冊でも十分だが、本書が書かれた後に明らかとなった新たな学説や、個々についてより深く知りたいのであれば、類書を読めばいいだろう。

  • [評価]
    ★★★★☆ 星4つ

    [感想]
    桓武天皇が即位し、天皇による親政下での蝦夷征伐や租庸調を正しく取り立てるための政策などで一時は政権も力を取り戻したようだ。
    その後、嵯峨天皇が即位した辺りでは平安京へと遷都しており、その綺羅びやかな都で文学が発展していく様子は現在の日本文化の発展が始まったということなのだろう。まだ、中華文化の模倣であるが文化を味わう余裕ができたということでもある。
    まあ、傾倒し過ぎて政治のほうが疎かになってしまったようだけどね。
    さらには摂関政治が始まり、地方を顧みない政治で荒れていったけど地方は有力者が民を支配し、力を蓄えて独立勢力として発展し始めたようだ。これが後の武士に繋がるのだろう
    政治は文化以外でも仏教でも大きな進展があったようだ。かの有名な最澄、空海もこの時代に唐に渡り、新たな教えを身に付け、日本仏教を発展させたようだ。

  • 中央公論の歴史本第4巻。称徳天皇が死に、道鏡が失脚した後、天武朝の血筋は途絶え、天智系の光仁天皇が即位する。その次に、桓武天皇が長岡亰に移るかと思えば藤原種継暗殺事件が起き、疑いをかけられた早良親王が死去、後に桓武や平城は彼の祟りにおびえるようになる。平安京に遷都後は安定をとりもどした皇室。征夷の事業に精を出す。その後薬子の変、承和の変、応天門の変、と続く。忘れちゃならないのが空海や最澄が唐から帰り新仏教を開いた事だ。詳細→
    http://takeshi3017.chu.jp/file9/naiyou31301.html

  • 平安とは程遠い、地方の混乱についても詳述されている。

  • 桓武天皇の治世から始まり、村上天皇の治世に置いての天皇親政の崩壊まで。
    奈良時代に成立した律令国家は、貴族の荘園の確保や土着化した受領の力により徐々に実態がなくなっていく。
    平安京遷都後は、蝦夷征討を行うほどの政治への意欲も詩文に耽る生活を始め出した天皇の元で、徐々にかがやきをうしなう。
    摂関政治により、幼帝の擁立が一般化し、天皇の政治的影響力が失われていったのが、いわゆる平安時代と呼ばれる時代の初期の流れであるように感じられた。

  • 光仁・桓武親子の登極によって安定をとりもどした皇室は征夷に力を注ぐ一方、千年の都平安京を作り出した。そして詩宴・仏事・歌合と王朝絵巻をくりひろげる間に、地方では浮浪人が続出し、藤原氏は徐々に権力を高めていく。律令体制崩壊の過程を壮大に叙述。

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