マレー蘭印紀行 (中公文庫)

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著者 : 金子光晴
  • 中央公論新社 (2004年11月25日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (184ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122044487

マレー蘭印紀行 (中公文庫)の感想・レビュー・書評

  • 在インドネシア中に読了。風景が美しい詩のように描写され、なかなかページが進まない。何度も読み返す。いくつかの旅に持っていったが、やっと読み終えた。

  • なんだろう。この引き込まれる感じ。読んでいるうちにタイムトリップして、自分まで現地にいるような錯覚を覚えた。

  • まず、本の表紙が素晴らしい。そして、期待に違わず金子氏の散文は詩でもあるような印象を持った。熱帯地方の生ぬるい、じめじめした大気が體にまとわりついてきそうだ。泥河から沸き立つ、人間の糞尿やナッパ椰子の腐った饐えたような臭いにも搦めとられそうだ。森千代との旅なのだが、そのとき彼女には別の男がいたのだ。金子氏はどのような気持ちで旅を続けたのであろうか。とても辛い旅であったのかも知れない。

  • 本当に詩人だったんだ、この人・・・。
    「三部作」と比較すると、動きのない話なだけに
    本領発揮!です。これはもう散文詩です。

    梅雨明けのヤケクソのよーなピーカン天気の下、
    日よけシェードのなくなった京浜東北線で
    ダラダラ読むにはこの上ない選択でしたね、全く。

    噎せ返る熱気。澱んだ空気。倦んだ街。爛れた世界。
    虫は出る。食べ物は腐る。街はぬかるむ。
    ただ生きているだけで、未来も希望もない自由・・・・
    ちょこっとだけ羨ましい。

  • どこを切り取っても詩のよう。いきものの命のあかるさと暗さ。
    自分の感情とか当時の状況(妻と浮気相手を引き離そうとしてお金全然ないのに旅に出るなどの。)より景色やそこに暮らす人たちの描写が多いなか、屋台で食べたお粥の中に烏賊の子を見つけて日本に置いてきた子供を思い出すシーンがあって、そこにしか出てこない事で強く印象に残った。
    マレーシア旅行の予習にと読んだもの。
    スコールやそれで木々が光る様子とか、80年以上経ってるけど変わらないと思う。はやく行きたいなぁ。

  • マレーシア・シンガポール・インドネシア。現代の区分けだとこうだが、まだそうではなかったころ。

    南洋の風土が、数百年の華僑の侵食を経て、帝国主義に蹂躙、腑分けされる。

    島原の女性たちの足跡もあり。

    物悲しくも色とりどりで美しい描写。褪せないはずだが、今からは想像するしかない。

  • マレーシアは11月のクアラルンプールのホテルで読了。
    言葉の力に驚いた。
    マレーシアの雨季のじめついた気候、スコール、植物、時間の流れ方・・・描写があまりに正確。その描写のいちいちに感動。
    実際に来てみて初めて確認できたが、実際に旅をしなくても、本を読むことで旅を経験できるのだと思った。

  • 現在、アジアを中心に旅行記を執筆する様々な作家に影響を与えた作品。昭和3〜7年、シンガポール、マレー半島、ジャワ、スマトラでの体験が詩人ならではの描写で綴られている。数多の旅行記にはない魅力溢れる書である。

  • 「狩られ、蹂躙され、抽出され、亡ぼされてゆく命たちの挽歌なのだ。耳をそばだてよ。きこえるものは船側に流れてゆく海水のひびきだけだというのか。」
    シンガポールからジャワへ向かう旅の刹那、著者は船べりに立ち「南の海の夜の悲しい性格」を思う。
    南方の自然は「明るくても、軽くても、ときには洗料のように色鮮やかでも」それは「嘘」で、繁茂する木々、驟雨、河の臭気、海、その一つ一つがひたすらな哀しみでもって著者に迫る。

    しかしそのことは、必ずしも本書がペシミズム一辺倒に傾いでいることを意味しない。
    落魄した日本人居留民や「土民」、果ては射ち落された蝙蝠まで、虐げられた者たちへの著者の視線は、限りなく温かい。
    「私は、藤の腕椅子に黙りこくって沈み込んでいた。この社会がいかなる形をとって変化しても、人と人とのあいだの冷淡を狩りつくすことはできない。信じられるものがなにもないということが、私に、ほどけ口のない悲しみの種となっていた」

    この眼差しあればこそ、本書はハイカラな南方旅行の道中記でも、
    著者の寂寥感や苦悶を風景に託して書きつける一種の私小説でもなく、
    近代日本の生んだ最も優れた旅行記の一つとして読み継がれるのである。

  • @yonda4

    この本のように、読んでいて臭気を感じたことはない。

    活字を読んでいるのに、臭いがしてくる。

    昭和初期に著者がマレー半島を旅する紀行文。

    ぜひ、ご一読を!

  • 藤代冥砂がきれいな言葉だと形容している、それは気になるはずだ

  •  シンガポールからマレーシアに旅することになり、その道中のお供にと購入。同時期に購入した「深夜特急」と交互に読んでいたが、これは戦前に書かれたものなのに、「深夜ー」と似たような放浪記であり、ついでに言うと「深夜ー」にもこの本の記述が出てきたりと、なんだか不思議なつながりを発見。古今東西、旅するということは、人間にとって何らかの魅力のある行為なのだなあと実感。
     この本ではマレー半島のプランテーション農園にまつわる話がけっこう出てくるが、実際旅してみると、その風景が、今も変わらず広がっていて、感慨深かった。旅の気分にちょっと深みが出る一冊。

  • 「ねむれ巴里」の続編は「西ひがし」なのだが、よく判らず本書を手にする。しかし、この段階で本書を読んだのは良かったと思う。冷徹で透明度の高い文章は第3楽章の趣。

    「ねむれ巴里」の始まりでは、三千代夫人をパリに送った後、自身はシンガポール、マレー、スマトラなどを金策のため旅したとある。徒歩で細道を超えたり、原野でスコールに会いずぶぬれになったり、ジャングルを刳木舟でのぼっていったとある。しかし、この段は至極あっさり。どんな旅だったんだと思う。その事情が判るのが本書。

    弛まぬ川の流れ、凶暴な相を見せる植物、溢れかえる陽光、突然の驟雨、闇に蠢く野獣たちの気配。著者はこの豊潤さの中で空虚を見ている。
    幾らでも引用したくなる切れ味鋭い文書が続く。著者自身の事情についての記述は殆ど無く、ろくでもない知人達は登場しない一人旅は、前2作と印象がかなり異なる。単独でも十分読み応えある純粋な紀行文。スラスラと文章を堪能しながらの読書ができた。

    後半は炎天の下、鉄鉱石を拾う痩せ老いた中国人苦力や売られて奥地へ進んでいく女性達の姿が描かれる。
    悲しき亜熱帯なんて詰らない冗談が頭に浮かぶ。
    爪哇(ジャワ)の段では、三千代夫人も登場する。Mとして表記されている。時系列で並べられた紀行ではないわけだ。

    さて、この後は「西ひがし」に取りかかろう。

  • 近代日本を疎外し、また疎外され続けた一人のろくでなしの詩人が、モロモロの理由(妻を愛人に会わせたくない、とか)で、ほとんど無銭状態で、日本を飛び出し流浪の旅を続ける様を描いた「旅行記」。

    などと書くと私小説じみたバカバカしい自己愛が描かれているかと言えば、全然そんなことなくて、ただ淡々と、美しく静かな言葉がつづられるのみ。まるでマレー半島の自然そのままに。
    いろんな場所で引用されてるけど、少しも古びないこの言葉たち。


    「迂曲転回していく私の舟は、まったく、植物と水との階段をあがって、その世界のはてに没入してゆくのかとあやしまれた。私は舟の簀に仰向けに寝た。さらに抵抗なく、さらにふかく、阿片のように、死のように、未知に吸いこまれてゆく私自らを感じた。そのはてが遂に、一つの点にまで狭まってゆくごとく思われてならなかった。ふと、それは、昨夜の木菟の目をおもわせた。おもえば、南方の天然は、なべて、ねこどりの眼のごとくまたゝきをしない。そして、その眼は、ひろがって、どこまでも、圧迫してくる。人を深淵に追い込んでくる。
     たとえ、明るくても、軽くても、ときには染料のように色鮮やかでも、それは嘘である。みんな、嘘である。」


    嘘なのは「南方の自然」だけなのか?そんなことはないだろ。

    どれだけ逃げても追ってくる「(近代的)自己」とやらから徹底的に逃げ出そうと試み、それでも残ってしまうなにものかをそっと掬い出してしまうこと。
    そして、そこにある深い絶望とそれに静かに寄り添うことしかできない無力なひとりの詩人。
    「人間」のふりをしてるだけで精一杯な者のみが抱える切実な美しさがやっぱり泣けます。

    これを読むといつも、まだまだ絶望が足りない、と打ちのめされます。


    もっともっと眩暈がするような絶望を。そして美しさを。愛を。

  • 反骨、無頼、ってこういう人のこと。

  • 昭和のはじめのマレー半島,シンガポール,ジャワ,スマトラの紀行.「考える人」 2011年 02月号 の特集をみて読みたくなる.
     正直かなりきつい読書だった.はじめから詩人特有の凝った文章や言い回しが続き,そのなかに難読漢字がしばしば現れる.自然や風土の描写が延々と続く中,人間は散歩をしたり人の話を聞いたりするだけで,心情を表す言葉はいっさい出てこない.あとがきを読むとそれが詩人の意図するところだったらしい.それがようやく変わるのはジャワの章で,それ以後は人間を感じることができる.感想しか書いていない紀行も困ったもだけど,逆に,何を見て,どう感じ,どう行動したかがない紀行も私には物足りない.
     この凝った文章自体を楽しめる人にはいいだろう.私のような詩心のない人間にはちょっと無理だった.

  • いま、ここまで詩情豊かに紀行文を書けるトラベルライターがいるだろうか。

  • 一番最初にこの本が出た昭和初期には、マレーなんて日本人にとっては未開の地だったろうから、相当に刺激的な内容だったに違いない。21世紀の現代で読んでも、当時はそんな生活をしていたのか、と思うから。

    土人は、おのれが土で作られたものと信じている。
    夜が来ると森は、人も世界も溺らせ、太陽よりも深く、大きく、全身をゆさぶってざわきはじめるのであった。
    馬来人ほど余韻のない人間はいませんね。
    馬来人をかたるものは、彼らを蓄積心のない遊惰な民だという。

  • まだ未読。

    NHKの「私が選ぶこの1冊」でナレーターさんが文章を読んでくれていて
    その文章の美しさに感動した一冊。

    ぜひ目でも堪能したいと思った。

  • 金子光晴のこの本に憧れて、タイからペナンまで列車に乗り、シンガポールまではバスで旅行した。
    さすがに詩人であるだけに金子の文章は美しい。25年前のマレー半島はすでに詩人が見た風景とは異なっていたが
    それでも行間から伝わる空気は同様であった。
    またもう一度バックパックにこの文庫本を持ってマレー半島を訪れてみたいものだ。

  • フィクション?

  • 「どくろ杯」などで著名な、金子光晴のアジアを
    旅行した際に感じたことや、風景などを
    独特の世界観で語っています。

    本書の中に出てくるマレーシアの部分で
    「バトゥパハの日本人倶楽部」というところに滞在した際の
    記述に「ゆったりとした独特の時の流れ」の記述が
    実際に現地を旅した私にとっては正に言い得ているなという
    感じだった。

    他にも彼の独特の視点で描かれたディープなアジアが
    見えてくるはずです☆

  • こんなに美しく格調高い紀行モノはないだろう。
    詩のように、風景を正確に描写することができるなんて、彼以外の誰にもきっとできない。

  • 日本人、華僑、マレー人、インド人などがどろどろと生きた時代を生き生きと描写。

  • ジャカルタに行く際に読んだ。最初はとっつきにくい印象だったが、次第にそれも慣れてきた。戦前のマレー半島、蘭印地域の熱帯特有の蒸し暑さを含んだ熱気が文章から感じられ、それと同時に、今日の飛行機を使った旅と金子の時代のゆったりした時代の違いや決して変わらないものを見つめる機会になった。上質の紀行文と言える。

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マレー蘭印紀行 (中公文庫)の作品紹介

昭和初年、夫人森三千代とともに流浪する詩人の旅は、いつ果てるともなくつづく。東南アジアの圧倒する自然の色彩と、そこに生きるものの営為を、ゆるぎない愛と澄明な詩心で描く。

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