マレー蘭印紀行 改版 (中公文庫 か 18-8)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (184ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122044487

感想・レビュー・書評

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  • 本当に詩人だったんだ、この人・・・。
    「三部作」と比較すると、動きのない話なだけに
    本領発揮!です。これはもう散文詩です。

    梅雨明けのヤケクソのよーなピーカン天気の下、
    日よけシェードのなくなった京浜東北線で
    ダラダラ読むにはこの上ない選択でしたね、全く。

    噎せ返る熱気。澱んだ空気。倦んだ街。爛れた世界。
    虫は出る。食べ物は腐る。街はぬかるむ。
    ただ生きているだけで、未来も希望もない自由・・・・
    ちょこっとだけ羨ましい。

  • 「狩られ、蹂躙され、抽出され、亡ぼされてゆく命たちの挽歌なのだ。耳をそばだてよ。きこえるものは船側に流れてゆく海水のひびきだけだというのか。」
    シンガポールからジャワへ向かう旅の刹那、著者は船べりに立ち「南の海の夜の悲しい性格」を思う。
    南方の自然は「明るくても、軽くても、ときには洗料のように色鮮やかでも」それは「嘘」で、繁茂する木々、驟雨、河の臭気、海、その一つ一つがひたすらな哀しみでもって著者に迫る。

    しかしそのことは、必ずしも本書がペシミズム一辺倒に傾いでいることを意味しない。
    落魄した日本人居留民や「土民」、果ては射ち落された蝙蝠まで、虐げられた者たちへの著者の視線は、限りなく温かい。
    「私は、藤の腕椅子に黙りこくって沈み込んでいた。この社会がいかなる形をとって変化しても、人と人とのあいだの冷淡を狩りつくすことはできない。信じられるものがなにもないということが、私に、ほどけ口のない悲しみの種となっていた」

    この眼差しあればこそ、本書はハイカラな南方旅行の道中記でも、
    著者の寂寥感や苦悶を風景に託して書きつける一種の私小説でもなく、
    近代日本の生んだ最も優れた旅行記の一つとして読み継がれるのである。

  • 高橋源一郎の小説家になるための推薦本である。金子光晴全集(中央公論)六巻で読んだ。100ページ弱である。土地や国名が当時の漢字で書いてあるのでわかりにくいこともある。印象的なことはジャパユキさんの境遇について書かれていることである。聞き書きでもあろう。

  • バトゥパハほかのマレーシア、インドネシア各地の昔の旅行記。戦争前に、かなり奥地まで日本資本が食い込んでいた様が感じ取れる内容。
    文は詩人の書く散文なので、いつ読みかえしても良いであろう。また読み返したい

  • ママレーシア・バトゥパハの茶餐室で本書を読むという、この世で1番趣のあることをしてしまった。
    金子光晴文章うますぎる。
    朝霧のところと、バトゥパハの最後の女の人の描写。

  • 自伝三部作にえがかれた旅の途中で著者が立ち寄った、東南アジアの国々の土地と文化およびそこに暮らす人びとのようすをえがいた旅行記です。

    「跋」のなかで著者は、「旅行記の方法は、自然を中心とし、自然の描写のなかに人事を織込むようにした」と述べています。ゴム園や鉱山の現場についての取材も含んでいますが、紀行文というよりも、詩人である著者のまなざしを通して見られた土地の印象がつづられている作品といえるように思います。

    東南アジアおよび南洋の旅行記は、これまで多くの日本人作家によって書かれていますが、本書もそのうちのひとつにかぞえ入れられる作品です。自伝三部作では、さまざまな土地をおとずれながらも、どん底からのまなざしによってとらえられた普遍的な「人間」が中心的なテーマとして浮かびあがっているように感じましたが、本作では詩的な表現によって現地の自然と文化が描写されており、いわゆる「南洋幻想」の一端をかいま見ることができます。そのことについて、現在の観点からどのような評価をくだすにせよ、興味深く読むことのできる作品であると思います。

  • 女と現地の人をごくごく自然に見下しているのが
    昭和初期の価値観なんだろうな

  • 作者45歳の時の作品。

    その8年前、欧州から帰国の際に立ち寄ったマレー半島の風物。
    次第に戦争の色合いが濃くなる中、海外植民地で働き暮らす日本人、中国人、土地の人々の模様。

    70歳代半ばで書かれた東南アジア・欧州3部作に較べると、暗く重たい。

  • どこを切り取っても詩のよう。いきものの命のあかるさと暗さ。
    自分の感情とか当時の状況(妻と浮気相手を引き離そうとしてお金全然ないのに旅に出るなどの。)より景色やそこに暮らす人たちの描写が多いなか、屋台で食べたお粥の中に烏賊の子を見つけて日本に置いてきた子供を思い出すシーンがあって、そこにしか出てこない事で強く印象に残った。
    マレーシア旅行の予習にと読んだもの。
    スコールやそれで木々が光る様子とか、80年以上経ってるけど変わらないと思う。はやく行きたいなぁ。

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著者プロフィール

金子 光晴(かねこ・みつはる):詩人。1895年、愛知県生まれ。早稲田大学高等予科文科、東京美術学校(現・東京芸術大学)日本画科、慶應義塾大学文学部予科をすべて中退。1919年、初の詩集『赤土の家』を発表した後に渡欧。23年、『こがね蟲』で評価を受ける。28年、妻・森美千代とともにアジア・ヨーロッパへ。32年帰国。37年『鮫』、48年『落下傘』ほか多くの抵抗詩を書く。53年、『人間の悲劇』で読売文学賞受賞。主な作品として詩集『蛾』『女たちへのエレジー』『IL』、小説『風流尸解記』、随筆『どくろ杯』『ねむれ巴里』ほか多数。1975年没。

「2023年 『詩人/人間の悲劇 』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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