日本の歴史 (7) 鎌倉幕府 (中公文庫)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (565ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122044555

感想・レビュー・書評

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  • この巻はとても分かりやすく書かれていて、鎌倉幕府の成り立ちから執権政治の確立までよく理解出来た。

  • 鎌倉幕府の成立をいつとするかは諸説ある。
    治承四年(一一八〇年)十二月十二日に頼朝が鎌倉の大倉御所に入り、鎌倉殿と呼ばれるようになった時からとの説がある。朝廷から何かを認められたことが重要ではなく、東国武士団が朝廷とは無関係に頼朝を自分達の主と認めたことが重要とする立場である。一方で頼朝は独立国を建てるつもりはなく、日本史上の制度としての幕府の始まりとしては弱い。
    寿永二年(一一八三年)の十月宣旨を受けた時とする説がある。ここで頼朝が東国の荘園や国衙領の年貢を京都に送ることを名目として、頼朝の東国の支配権を認めた。後の守護・地頭の設置は東国においては、これの追認に過ぎなかった。
    元暦元年(一一八四年)の公文所と問注所の設置とする説がある。幕府の機関が誕生した時とする。
    文治元年(一一八五年)の守護・地頭の設置とする説がある。現代の最有力説である。全国的な制度としての鎌倉幕府は守護・地頭の設置が重要になる。御家人との関係で征夷大将軍よりも日本国惣追捕使と日本国惣地頭が重要であった。
    建久元年(一一九〇年)の右近衛大将就任とする説がある。幕府という唐名は近衛府や近衛大将、近衛大将の居館を指していた。
    建久三年(一一九二年)の征夷大将軍就任とする説がある。かつての通説である。「いい国作ろう鎌倉幕府」の語呂合わせで有名である。後の室町幕府や江戸幕府が征夷大将軍就任を契機としていることから、後世では征夷大将軍就任が幕府開設と受け止められたことも事実である。
    これらのどれが正しいかという議論は、あまり意味がない。ある日突然、鎌倉幕府が成立したというものではないためである。
    「政治組織の機構についていうならば、まず最初に存在するのは仕事であり、その必要に応じて政務をおこなう人が配当される。それがある程度永続したのちに、はじめて一つの組織のかたちがそなわり、やがて職名が生じる。これが原則だったからであり、今日のわれわれを悩ましているあの複雑膨大な官僚機構(そこではしばしば人のために組織が設定され、仕事が発見されている)とはまったくその原理を異にしていたからである」(石井進『日本の歴史7 鎌倉幕府 改版』中公文庫、2004年、229頁以下)
    ここには仕事(役割、ロール)があって、そこに人をアサインするというジョブ型の発想がある。ビジネスの世界では官僚的な日本型組織からグローバルな民間感覚への転換が言われている。歴史も日本型組織の感覚ではなく、グローバルな民間感覚で見ることが正しい。
    この感覚からすれば征夷大将軍就任を鎌倉幕府の開始とする説はポスト就任が大事という公務員感覚であり、どうしようもなく古い。批判されることは当然である。守護・地頭の設置という役割ベースの観点が重視される。しかし、一一八五年の時点で守護・地頭という名前の役職が置かれたかは疑問視される。既に東国では実質的な支配がされており、それを朝廷から追認されたに過ぎないという面がある。
    このために頼朝が鎌倉に入って鎌倉殿となった時点が鎌倉幕府の体制が始まったとする説が有力になる。その後の出来事は発展過程となる。故に2022年NHK大河ドラマのタイトルは『征夷大将軍の13人』ではなく、『鎌倉殿の13人』となる。

  • この7巻はまるで叙事詩を読んでいるかのようで、歴史の本ながら物語を体験しているように引き込まれた。明月が見守る京から鎌倉に視点がうつったり、親鸞と道元を対比させてその一生を紹介したりと、とても面白い語り口だった。

  • 中央公論の歴史本第7巻。平家を滅ぼせという以仁王の令旨に呼応した源氏が各地で立ち上がる。伊豆に流されていた頼朝もその一人だった。全国のいたるところで燃え上がる反抗の火の手に追われるかのように清盛が熱病で死に、平氏は安徳天皇らを連れて西国に逃亡する。木曽義仲が挙兵するもその乱暴狼藉ぶりは目に余り、義経と範頼によって殺される。義経は壇ノ浦で平家を滅ぼして大スターとなるがしかし後白河天皇から勝手な官位授与をされたとして頼朝の逆鱗に触れ、奥州の地で滅ぼされてしまう。一般に義経を捕縛するために置かれたのが守護・地頭と言われているがこの設定理由は吾妻鏡の歪曲によるものだという作者の考えは興味深い。詳細→
    http://takeshi3017.chu.jp/file9/naiyou31601.html

  • 1巻から順に読んでいった7巻目。鎌倉幕府の成立についての巻。ちょうど時期的に、大河ドラマ、鎌倉殿の13人と時代が被った。
    源頼朝の挙兵から話が始まり、源平合戦を経て、鎌倉幕府の成立、北条執権政治の確立が描かれる。
    頼朝の血筋の将軍は3代で途切れ、貴族を将軍に立て、政治的な決定事項は有力者の合議制で決まる体制に。後鳥羽上皇の幕府への挑戦である承久の乱を経て、貴族が介入しない、武士政権は盤石になる。
    鎌倉幕府以前は、天皇や貴族の下で政治を動かすしかなかったが、鎌倉幕府は、貴族等の意向を気にしない独立した政権を体現した。

  •  鎌倉殿の13人の予習のために再読。一度読んだはずなのに全然おぼえてなかった…でもホント鎌倉時代は面白い!
     経済的に力をつけてきた武士のための政権。改めて政治は強者のためにあるんだと実感。まぁ庶民はそのおこぼれである安定や安穏を待つしかないのかな?

  • 再読。物語り調で始まり、終わる、軽快な文章。のんびりと暮らしたかったような頼朝が、いつのまにか駆け引き上手に。だが、晩年の大姫入内では輝きが消えている。人は変わるものだ。変わるといえば、承久の乱の時の泰時とその後の天皇に対する変わりようも面白い。

  • 日本中世の開幕、東の国々、鎌倉殿の誕生、政治家頼朝の成長、東西武士団の群像、天下の草創、鎌倉幕府の新政治、貴族文化の革新、悲劇の将軍たち、『平家物語』の達成、承久の乱、北条執権政治、親鸞と道元、東への旅・西への旅

    何をもって鎌倉幕府の成立とするかについては諸説あるが、当時、鎌倉幕府という言葉が存在しない以上、そもそも正解はないだろう。
    1180年(治承4)の10月、源平両軍が対峙する富士川で水鳥の大群が「バサバサバサッッ!」と一斉に羽ばたいた。
    「バサバサバサッ」の一番最初の「バ」。
    ここが、個人的には鎌倉幕府が確立した瞬間ではないかと思う。
    ただ、これを一問一答の試験の答案用紙に書いても◯がもらえる自信はない。
    「鎌倉幕府の成立はいつか?」と各種の学力試験で出題する事は不適切であるように思う。
    先生方の中で「そんな事わかってるよ」という意見が大勢を占めているのであれば、大した問題ではないだろうが。

  • 鎌倉幕府の成立から元寇の前まで。

    ドラマ等では“悪役”として描かれることも少なくない源頼朝であるが(三国志における曹操も同様だが)、本書では武家政治を確立した優れた人物として捉えられている。

    多くが幕府成立や政治に関する話に割かれているが、後半から終盤は人々の生活や仏教についても紙幅が割かれている。この時代には法然、親鸞、栄西、道元といった日本における仏教史上の重要人物が登場するので、仏教について詳しく書かれるのは自然だろう。

    中学・高校の授業では執権政治についてそれほど詳しく触れなかったので、その意味でも読む価値がある。

  • 昔世界史の先生に勧められて、中公文庫の「世界の歴史」を読んでみたが、一巻の途中で挫折した。以降読んでないのだけれど、日本史の方はなかなか名文だとか面白い巻があると聞き、その一つがこれだと言うので読んでみた。

    意外と読みやすく、面白い。

    知らなかったのは源通親。平家全盛になれば清盛の姪をめとり、平家が西走すれば後白河関係の女をめとり、法皇の近臣として活躍。

    頼朝と政子の娘大姫は、木曾義仲の息子義高と婚約するが、のち頼朝と義仲は不仲になり、そして頼朝は義高を殺してしまう。ショックで大姫は鬱に。別の縁談にも応じない。しかし後鳥羽天皇なら嫌だとは言わないだろうと頼朝に耳打ちする。冷静さを失った頼朝は通親に接近する、というような話が興味深かった。

    表面的にしか理解してなかった北条家の歴代実験や、法然、親鸞、道元らの活躍も面白く読んだ。

    第9巻の「南北朝の動乱」も評判が良いので、チャンスがあれば読んでみたい。

  • 中央公論社の「日本の歴史」シリーズの第7巻。1180年の源頼朝の平家打倒の挙兵から、1266年の鎌倉幕府第六代将軍である宗尊親王の鎌倉追放までの鎌倉時代前期を取り扱っている。文化史の部分は大隅和雄が担当。

    頼朝による鎌倉殿専制体制から、頼朝という「一代限りのカリスマ」亡き後の御家人たち同士の内ゲバを制した北条義時・泰時の執権政治体制、評定会議による合議制が崩壊し、第6代執権である北条時頼から始まる得宗専制体制の流れがとても解りやすく、ビビットに描かれている。鎌倉殿頼朝の下に集った御家人たち、東国武士団の生態も面白い。本書はいわゆる「東国国家論」に立って書かれている。開拓農場主だった関東武士団たちは、中央の政変によって、その土地の権利がいつでも奪われかねない不安定な立場に置かれており、その利害を擁護してくれる新たな指導者として、かつて関東に縁のあった源義朝の遺児で「貴種」の頼朝を求めていた。「武士の棟梁」たる頼朝は、彼らの求心性と自身のカリスマによって、ついには平家政権を打倒した感じである。

    筆者の石井進は優れた歴史家であると同時に、文才溢れた書き手でもある。冒頭の伊豆夜討ちの描写を引用しよう。

    「ちょうどこのころ、国府の南方10キロほどの北条の村あたりから、突然一体隊の騎馬武者があらわれた。身なりもととのわぬ田舎武者の一群だが、ヨロイカブトに身をかため、完全武装でしきりにやせ馬を急がせている。まっすぐ大路を北上して国府へ駆けさせるのかと見えた。一隊は、原木の村をすぎ、牛鍬から東南の山麓へと曲がる小道を選び、山木の村の南方、小だかい丘の上に立つ山木判官兼高の館へと殺到した。夜討ちである」(P.14)

    引用部分で、描写の上手さがとてもよく解ると思う。描写が上手いので、鎌倉時代はほとんど知らないにも関わらず、スラスラと楽しく読めた。鎌倉時代を知るにはまずはこの本が断然おすすめだ。2022年放送予定の大河ドラマ『鎌倉殿の十三人』の予習に最適だろう。世評に違わず、不朽の大大名著である。ちょっとでも鎌倉時代に興味があるのなら断然読むべき。絶対後悔はさせない一冊だ。

  • [評価]
    ★★★★☆ 星4つ

    [感想]
    鎌倉幕府というと、どうしても北条氏が執権となり政権運営したイメージで源頼朝は幕府を開いただけというイメージが強かった。
    しかし、この本を読むとそのイメージが間違いだったことがよく理解できた。東国武士を取りまとめ、日本の運営を実質的に天皇家、公家から武家へと奪った手腕は非常に優れていたということが理解できた。
    また、頼朝死後に徐々に集団運営となり、集団運営が北条氏による専制となる過程がわかりやすく書かれていた。
    また、宗教や芸術といった文化面に関しても触れられており、この時代のことをまんべんなく理解することができた。
    すぐに上洛せずに地盤を固める様子は後年の家康にも繋がるものを感じた。

  • 平氏の滅亡から承久の乱を経て、北条時頼の得宗専制体制までの歴史を収めた第7巻、非常に有名な表紙の源頼朝の肖像画は現在では足利尊氏の弟の足利直義ではないかという説が注目を集めるようになっている(頼朝の頭が異様に大きい本書に掲載された頼朝の木像のイメージと比べるとこの絵は恰好が良すぎるので怪しい。)本作を読むと一見頼朝を中心に万全な体制でスタートしたと思われる鎌倉幕府の体制は実はかなり脆い点が多く、御家人の様々な思惑が一触即発の状態であったことが本書で知ることができる。この時代の歴史資料である「吾妻鏡」が北条氏に都合のいいようにまとめられており、頼朝の不審な死、頼朝の子供の実朝の死についても、私たちが信じている真実とは全く異なっている可能性があることを知ることができる。千葉氏、梶原氏、和田氏、畠山氏といったライバルを巧妙に蹴落としていく北条政子(名前がはまりすぎている)と北条義時のやり方は現代の政治にも共通する世界だと思う。この時代は魅力のある登場人物が多く登場するので非常に読みやすいので、これから本シリーズを読破したいと考えている方は第1巻ではなく、本書から読み始めることをお勧めする。

  • 鎌倉時代前期の政治史を中心とした通史ものでは最高傑作だと思う。

  • 中学生の時に購入して、はや20年が過ぎようとしていますが、その間、何度読み直したことか・・・。古典的名著。

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著者プロフィール

1931-2001年。東京大学文学部国史学科卒業。東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。東京大学名誉教授。専門は日本中世史。主な著書に『鎌倉幕府』,『日本中世国家史の研究』,『鎌倉武士の実像』,『中世のかたち』,『石井進著作集』全10巻,『石井進の世界』全6巻がある。

「2019年 『中世の罪と罰』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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