日本の歴史 9 改版 (中公文庫 S 2-9)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (557ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122044814

作品紹介・あらすじ

宿願の幕府打倒に成功した後醍醐天皇は、旧慣を無視して建武の新政を開始した。しかしそれは、もろくも三年にしてついえ、あとに南北朝対立、天下三分、守護の幕府への反抗の時代がおとずれる。この七十年にわたる全国的動乱の根元は何か。

感想・レビュー・書評

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  • 他の巻と同様、膨大な資料や研究の成果を背景に南北朝時代を解説した書。
    室町幕府が開かれても鎌倉幕府の焼き直しに見えてしまう点は、そもそも直義が鎌倉を模範としていたからであった。
    義満の有力大名潰しによる勢力均衡や自身の権威付けがうまく進むところは読んでいて爽快だが、このような体制がうまく続くとは思えなかった。本書のまとめ部分にある、支配する側は被支配層の支持があって権力を保持できたという仕組みができ武士の間にも徳治が成立したとのこと、今後の支配関係の展開が楽しみになった。

  • 建武の新政により鎌倉幕府の支配制度は瓦解するが、後醍醐天皇による政治も混乱を極める。動乱を制したのは足利尊氏だが、完全な権力掌握とはならず、北朝、南朝、足利尊氏が率いる幕府、の3すくみの状況になり、群臣は都度自分たちの都合で各勢力に加勢する。
    この状況が安定するのは3代将軍足利義満を待たなければならない。
    農村や地方の武士が力をつけていき、中央に対抗できる力を持つに至ったため、絶対的な強者が出ず、ゆえに政治的な混乱が収まらないように見受けられる時代。

  • 内容もわかりやすく面白く、スムーズに読み進めてきた日本の歴史シリーズもここにきて初めて壁にぶち当たりました。戦に次ぐ戦、しかも度重なる寝返りで誰が北朝方で誰が南朝方なのかわからずに読む手が止まることも。 太平記や別の資料の助けを借りつつやっとの思いで読み終えました。

  • 一連の戦乱を南北朝の争いという。そして、南北朝の争乱が終わった後も、各地で小豪族同士の抗争が続いた。このような騒乱状態は続くことになる。

  • 南北朝時代は60年弱と短いため、中学や高校の授業では少しだけ触れる程度である。

    ところが本書を読むと、後醍醐天皇や足利尊氏はもちろんのこと、数多くの有力人物が登場し、それら人物間の覇権争いも絡んで、実に複雑な時期になっていることが分かる。紛れもなく、日本史上の転換点の1つである。このことが理解できるように書かれている著者の力量に驚くばかりである。

    また、本書のような歴史書を読むと、並行して読んでいる塩野七生氏の『ローマ人の物語』はやはり歴史小説であることがよく理解できる。

    足利義満という人物がとんでもない怪物であったということも本書から伺える。

  • 公武水火の世、建武の新政、新政の挫折、足利尊氏、南北両朝の分裂と相剋、動乱期の社会、直義と師直、天下三分の形勢、京都争奪戦、南朝と九州、苦闘する幕府政治、守護の領国、名主と庄民、室町殿、王朝の没落、日本国王

    光厳天皇(1313~64)の肖像画がやけにリアルでずっと見入ってしまった。

  • 南北朝時代の知識は教科書に書かれていた内容ぐらいしか、知識を持っていなかった。
    鎌倉幕府が倒され、建武の新政が実行されたが武士が不満を持ち、室町幕府が建てられた。最後に義満が南北合体をなしたといった感じだ。
    しかし、この本を読む限りは大筋はあっているんだろうけど、もっと混沌としていたみたいだ。どことなく戦国時代っぽい感じがした。

  • 宿願の幕府打倒に成功した後醍醐天皇は、旧慣を無視して建武の新政を開始した。しかしそれは、もろくも三年にしてついえ、あとに南北朝対立、天下三分、守護の幕府への反抗の時代がおとずれる。この七十年にわたる全国的動乱の根元は何か。

  • 六波羅探題の滅亡(1333)から足利義満の死(1408)までを描いた歴史書で、この時代を扱った名著として有名。確かにかなり良く書けていて読みやすい。南北朝の対立期に当たるこの時期は、南朝・北朝のみならず九州の足利直冬の勢力などもあり各勢力が多様に分散している時期。そのため、ある人が一度は北朝側についたと思えば次の時期には南朝側についていたり、奥州・畿内・四国・九州と各地でそれぞれの戦いが繰り広げられ、バラバラな記述になりがちだろう。この本はそうした流れをきちんと押さえ、まとめている。北朝と南朝の対立は、鎌倉幕府の再興勢力と新勢力の代理戦争でもある(p.248ff)という軸も面白い。

    個人的には最近、後醍醐天皇という人物に着目している一環でこの本を読んだが、後醍醐天皇自身の建武の親政についての記述はそう多くない。けれども、武士を排除して天皇専制を取り戻そうとする後醍醐の理想(p.21f)とその無理はよく書かれている。そもそも後醍醐という諡号そのものが醍醐天皇の延喜期、村上天皇の天暦期が天皇専制の時代であったことへのオマージュである。その親政はおそらく中国の宋の政治体制に影響を受けた君主独裁制(p.115f)であって、既存の貴族勢力どころか、「法といえども天皇の意志を拘束することがあってはならない」(p.38)というまでに強いものだ。ただし、(1)貴族層が日本ではまだ残存しており、すでに貴族が没落して科挙によって広く官僚が構成されていた宋とは異なり、天皇専制を支える官僚制が構築できなかったこと、(2)宋の軍人はすでに政府の給与で賄われる軍隊であったが、日本の武士は地主・領主であり、中央集権に抵抗する存在であったことなど、宋とは違う日本の社会構造を把握せずに一挙に天皇専制を導入しようとしたところに建武の親政が2年で瓦解した原因が見られる(p.114-118)。

    本書の特徴の一つは、後醍醐天皇・足利尊氏・高師直・足利義満といった主要人物たちについて、その性格や気性を捉えていることだ。それによって人物像が鮮明に浮き上がる。例えば、足利尊氏は北条時行の乱に対して挙兵するかどうかついて歯切れが悪い。総じてムラの多い尊氏の行動について、著者は「尊氏は、性格学でいう躁鬱質、それも躁状態をおもに示す躁鬱質の人間ではなかったと思われる」(p.139)と述べる。さらに実直な足利直義や、既存権益をものともしない豪快な高師直・師泰兄弟(p.238-244)の記述も魅力的だ。

    南北朝の対立とはいえ、北朝の皇室はあまり現れないが、足利政権はともかくも天皇によって征夷大将軍や鎮西将軍の称号を受けることによって武士の中でその地位を確保していた。ところが、1352年に3上皇が南朝に連れ去られ、幕府の根拠が失われてしまう。このときに足利義詮がとった、後光厳天皇の無理矢理な定立が天皇と幕府の権威をそいだ(p.301ff)。また、この背景には貴族層の精神の荒廃もあると指摘されている。こうした天皇の権威に対する苦悩は、足利義満の北朝接収の背景となるだおる。「幕府が義満の段階で北朝政権の接収にのり出したことは、幕府の質的な発展を意味するばかりでなく、日本国家史の転機をなす重要な事実」(p.459)なのである。他に義満について書けば、日本国王を名乗る背景には九州の大内氏から明との貿易を奪い取る意図がある(p.497-507)という指摘が目に留まる。

    著者はこうした南北朝の70年に渡る動乱を、国家権力が下部組織に浸透していく過程を見る。単に権威上の理由であるだけで後継者に選ばれるのでなく、「器用の仁」があるかどうかで選ばれるようになっていることに、被支配者層の支持によって初めて成り立つ権力の成立を見ている。

    「思想的にも武家政治はこの段階ではじめて徳治主義に到達することができた。それはすでにたんなる儒教からの借り着ではなく、現実社会の上下一貫した支配・非支配関係に根をおろした武士固有の政治思想となったのである。」(p.517)

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