1989(底本1952年、初出1933~41年)年刊。「関東防空大演習を嗤う」執筆のため信濃毎日新聞を追われ、その後自主発行の「他山の石」で、軍部やこのおコボレにあずかる産業界に舌鋒鋭い批判の筆を執り続けた著者。彼の手による論考のうち、戦前昭和期、殊に昭和10年以降の時代相を読み解いた作品を集積したもの。「他山の石」で驚嘆すべきは、英文書の抄訳を掲載し続けたこと、一貫したテロリズム(相沢事件や五・一五事件は勿論、二・二六事件が手厳しい)批判、発禁処分(=発送直前の郵便局中での差押)にもめげなかった点。
また、本土防空戦が敗亡寸前の徴表である点は勿論、国家総動員法が物資不足の徴表と看破する点、また、徐州殲滅戦や漢口攻略が軍事物資の不足を招来する危惧、バトルに勝っている日中戦争はウォーに勝てていない等透徹した時局分析も同様。◆しかし、この桐生悠々をして、満州事変を対欧米目線でしか捉えず、中国民衆の抗日意識の軽視する傾向。対中戦争に対し根拠なき楽観主義に陥っていた点。当時の報道の管制・陥穽を見破れなかった点(南京事件の実相、独トラウトマン仲介に関する日中の実際の行動に対する無知)もまた読み解くことができる。
加えて、言葉の端々に見受けられる中国の過小評価(なかには、中国とだけなら戦争に勝てるという言がある)も同様か。◇とはいえ、補足するに、日中戦争長期化を受け、中国政府のヌエ的な粘り腰を漢の高祖の有り様に準えたり、また、英文の情報から得た毛沢東の対日政戦略、すなわち国土利用の縦深陣とゲリラ戦推奨。日と英米の離隔狙いに対し、適切な反駁ができず「顧慮すべき言」との認識に至ったのは流石。◆この海外情報入手の意義と、その基礎となる語学力。現代にも意味あるお手本を示していると言えようか。