補給戦: 何が勝敗を決定するのか (中公文庫 B 14-10 BIBLIO S)

  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (422ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122046900

作品紹介・あらすじ

ナポレオン戦争から第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦に至るまでの代表的な戦闘を「補給」という観点から徹底的に分析。補給の計画、実施、戦闘への影響を、弾薬、食糧等の具体的な数値と計算に基づいて説明し、補給こそが戦いの勝敗を決するということを初めて明快に論じた名著。待望の復刊。

感想・レビュー・書評

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  • * 兵站について学べた。
    ** 戦略 / 作戦 / 戦術 / 兵站 の違いについて理解したくて読んでみたが、その違いについては記述されていなかった。
    * 翻訳書なのと、軍事史について予備知識がないため、かなり読みづらかった。実際、時間もかかった。
    ** とはいえ、兵站に関しては読めば概ね理解できる内容だった。地理とかルートとかその辺はイメージが沸かなった。
    * 16 世紀以降のヨーロッパにおける戦争とその兵站に関する調査結果と考察が書かれており、戦争における兵站の占める割合の大きさについて理解することが出来た。
    * 現地調達はずっと行われてきていたことも驚きだが、それが近現代では弾薬等は現地調達できないため、結果として現地調達を行わなくなったというのは、興味深かった。

  • 軍隊は略奪と徴発の為に移動し続けるしかなかった。と、いう一言を詳しく説明する一冊。

  • おそらく訳者の日本語能力の貧困さに起因すると思われる文章の読み辛さを除けば、非常に面白い本です。
    他の方も指摘されていますが、この訳者はちょっと酷いです。
    本文中に何度となく「領収書または現金で支払う」といった文章が現れるのですが、どこの世界に領収書で支払いをする馬鹿がいるのでしょうか?
    想像するに、この訳者は「military payment certificate」という言葉を「軍用支払証明書」すなわち「領収書」と直訳したのではないでしょうか。
    言うまでもなく「military payment certificate」とは、軍隊が占領地等で発行する紙幣、軍票のことを指す言葉であり、領収書ではありません。
    しかし、仮に軍票という言葉を知らないにしろ、「領収書で支払う」などと自分で訳していて違和感を感じなかったのでしょうか?
    馬鹿なのでしょうか?
    せっかくの名著ですので、訳者を変えての新訳を期待します。

  • 戦争において補給というのはとても大事である。その大事さを三十年戦争から第二次大戦までの事例を用いて的確に語りかけてくる本がこれである。この本を読むと、いかに河川交通が大事だったか、いかに馬という生き物が弱い生き物だったか、飼い葉が信じられないぐらいの戦略資源だったか、鉄道というのが初期においてどれぐらい使えなかったかなどがいやでも頭に入ってくるだろう。

  • 戦争における補給=兵站について取り扱った、マーチン・ファン・クレフェルトによる古典的著作。細かく数字を用いて戦役の展開に補給が与えた影響をつぶさに分析している。ただ、訳が控えめに言って下手くそなのが玉に瑕。原著通りヤードポンド法のままなのは仕方ないとして、それについての説明がないのは不親切。当該箇所を忘れたが、'Forty'と'Forteen'を間違えている(何度計算してもその数字にならなかった!)ようなところもあったと記憶している。原著を図書館でパラパラとめくったが、さほど難しい英語ではなかったので、難解な日本語と同じだけコストをかけて格闘するくらいなら、原著を読んだほうが得するかもしれない。原著は悪くない、いや良い。

  • 「兵站を熟慮した者が勝つ!」という結論ではないところが面白い。補給をテーマにした戦争研究は珍しい。他の職種の人にとっても学ぶべきこと多し。

  • RTSなどで補給が簡略化されている理由がわかった。
    まじめにやったら操作の80%は補給関係に費やすことになる。

  • 三十年戦争以降,近代の大きな戦争において,兵站が果たした役割を定量的に分析した一冊.まず兵や馬に必要な糧食を賄うこと自体が一大事であって,現地徴発に頼っていた時代は意外と長く,第一次大戦でもなおその傾向があったというのが意外.その観点からしても軍はマグロのように動き続けて略奪することでしか生きられなかったが,Louvoisが貯蔵庫を整備したことで,基地から支援を受けて行動する軍というモデルが作られた.以降のWWIまでは往々にして輸送に必要な車両数を確保できなかったり,確保したものの様々な不備で数の通りの力を発揮できなかったりといった問題が多くなった.Napoléonは,準備不足で臨んだAusterlitz会戦で,中世型の,空腹に任せて進撃する道を選んだことが結果的に功を奏した一方,綿密に計画を立てたロシア攻撃は失敗した.19世紀に鉄道という輸送機関が登場したが,敵国に攻め入る場合には敵国の鉄道をそのまま利用する上で課題も多く,道路優先になりがちな攻勢の中で鉄道防御が疎かになって鉄道が破壊されたり,貨車の徴発に依存したりといった問題がある.プロイセンは鉄道をよく利用したことで成功したという通説も,実際には普仏戦争でもフランス側のほうがよく鉄道が整備されていた.WWIIにおいても,輸送アセットの不足問題に悩まされたナチスのロシア攻撃は不調となり,ロンメルは補給線の長さを無視した攻勢で失敗をもたらした.一方,史上初めて・最大の規模と綿密さをもって行われた連合軍の反攻は,その綿密さ故に不調をきたした一方,現場の機転が功を奏した事例でもあり,これはNapoléonのAusterlitz会戦と似たところがある.今日は高度に情報化が進んでおり,戦場と中枢との間で絶えず連絡をとり,綿密かつ柔軟な計画を立てることが可能であることから,ここで書かれていることから進んだことが起きていると思う.「軍事とロジスティクス」をこの後読むので,それも含めていろいろと考えたい.

  • 兵站という裏方?に興味を持ったのは、学生のころにヴィリリオの『速度と政治』(1975年に書かれたのがなぜか当時はやっていた)を読んだのが最初だと思うが、本書も同じ頃1977年に書かれたらしい。著者はヘブライ大学のイスラエル人歴史家で当時31歳だと言うから驚き。

    兵站の歴史とは、現地徴発への依存からの脱却することであるという。技術的には、馬、鉄道、トラックと変化してきたが、一次大戦までは馬の大量のマグサが支配的で、軍隊は移動し現地徴発し続けることを余儀なくされた。だから、包囲戦で困るのは攻め手側なのである。
    本書は欧州が舞台だが、そう考えると史上最大版図のモンゴル帝国を築いたのが定住しない遊牧民だったことも理解できるような気がする。停止したら大軍は維持できないのだ。

    最初から現地徴発を期待できなかった北アフリカ戦線のロンメルは、如何に軍事的な天才であろうと延びきった補給線を維持できないため敗北は予期されていたと言う結論になる。
    ドイツに攻め寄せる連合軍は、逆に兵站を悲観的に精緻に計画しすぎて足かせになり、可能だった早期の終戦のチャンスを逃したというから、難しい話である。

  • 補給戦というと「失敗の本質」に取り上げられたインパール作戦が思い出される。連合軍の補給基地を攻略するというあまりにひどい作戦だが、この本を読んだ後ではまともに補給を計画してたとしても実行はほぼ無理だったのだと思える。ヨーロッパ戦線ですら補給が戦略を制限していたのだ。

    この本で取り上げたのは17世紀の戦争に始まり、軍事の天才ナポレオン、鉄道を補給に使ったプロイセンのモルトケ、第一次大戦下のドイツ、トラック輸送を使ったナチス・ドイツ、砂漠の狐ロンメル、そしてノルマンディ上陸以降の連合軍だ。

    ナポレオンの兵站制度に間しては「戦争論」のクラウゼヴィッツが誤解の根源だと言う。1805年の三帝会戦ではナポレオンの兵站の計画は充分なものだった。しかしナポレオンが主力の11万6千の兵のために25日以内に75万人分のビスケット・レーションを準備しろという要求は一ヶ月後にも半分しか準備できず、さらに30万食が後方で準備されたが作戦開始時には届かなかった。輸送隊の準備も全く間に合わず現実的には「大陸軍」の進路を分け現地で食料を徴発し、支払いはともかくそれは充分巧く機能した。弾薬の補給についても当時は使用量が極めて少ないためまったく問題なくナポレオンの意図して形ではなかったが組織は機能し補給は上手くいった様だ。一方で1812年のモスクワ敗戦は兵站の不足と冬将軍に負けたということになっている。ではナポレオンが兵站を軽視していたかというとそうではなく24日分の食料を準備し、戦争開始が6/24になったのも兵站上の理由だ。ナポレオン軍の最悪の不足状態は進撃最初の2週間におこり徐々に改善された。規律の守られた軍においては現に現地調達は巧く機能しナポレオン軍は住民に歓迎されたしモスクワに近づくほど土地は豊かになっている。ナポレオンは完全な兵站はできないことをわかっており、補給が完全に破綻する前にモスクワを攻略するという計画を立てた。それは必ずしも分の悪い賭けではなかったが。

    普仏戦争のモルトケは補給に鉄道を活用したと評価されている。これは一部正しく、大部分では謝っている様だ。たしかに国内の最前線へ兵を集結させるには鉄道は圧倒的な威力を発揮したのだが最前線では結局馬車が輸送の中心だった。しかもこれは第一次大戦まで変わらない。馬車の何が問題化というと大量に必要な飼い葉だ。しかも一般の軍隊と輜重隊が一緒に移動すると輜重隊は後回しにされたりする。結局人間の食料を送ることさえ難しい軍隊では飼い葉はとても手に負えず、現地調達に頼ることになっていた。現地調達の場合移動していれば何とかなるのだが一旦同じ場所に留まり続けると食い尽くしてしまう。籠城といえば日本では鳥取の飢え殺しなど包囲された方が飢えるイメージだが、適地での包囲戦では調達が出来なければ包囲側も大変だったのだ。これは同じ道を大群が通る場合にも似た様なことが起こるので、大軍団は分散して進軍せざるを得ない。鉄道による後方からの補給に関しても駅での荷下ろし能力が不足すると汽車は倉庫になってしまい、先が詰まると結局輸送も思う様にならない。船の輸送の場合も港での荷下ろしがネックになっている。結局戦車軍団や騎馬軍団がいたとしても軍団全体としては輜重隊の行動能力、せいぜい1日15マイル程度に制限される。補給部隊の規模が大きくなればなるほどこの距離を達成するのは難しくなっていった。

    トラックの時代になってもすぐに兵站が改善されたわけではなく、道が悪かったりするとタイヤの補給が問題になったりする。砂漠の狐ロンメルはもし補給が充分にあればイギリス軍をエジプトからたたき出すことが出来たというがこれはかなり怪しい。まず補給港トリポリの港湾能力が小さく、次にトリポリから前線までの距離は非常に離れている。地中海で輸送船が沈められたことよりもアフリカでの輸送そのものが当時の能力を超えるものだった様だ。ビルマの山奥のインパール作戦はどうやっても上手くいかない計画だったのだろう。唯一の可能性は地元民を味方につけて現地調達することしかなかった様に思える。

    面白い研究なのだが原文のせいか翻訳のせいか少し読みにくい。それにしても飼い葉が戦略を規定してしまっていたとは知らなければなかなか想像できない。

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