告白 (中公文庫)

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著者 : 町田康
  • 中央公論新社 (2008年2月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (850ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122049697

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告白 (中公文庫)の感想・レビュー・書評

  •  河内十人斬り事件が題材という事で、内容は大体想像できていたが、読んでいて熊太郎が幸せになってほしいと願う自分がいた。
     
     
     

  • この作品が私が生きているこの世界に傑作として受け容れられているという事実は、私にとって救いとなっている。まじめに悩みを抱えたことのある人間なら必ず、熊太郎の中に自己を見る。思弁に陥って堂々巡りを抜け出せぬどつぼ。もがいてあがいて辿り着く結末には涙を禁じ得ない。

  • あれ?おかしいな
    熊太郎は少数派だったはず。
    すくなくともあの物語の、明治初期の人らのなかには、熊太郎ほど思弁的な人間はいなかったはず。

    だのに告白を読了したという人たちの口から出てくるのは
    「熊太郎の気持ちがよくわかる」
    というもの。

    それは単に日本人の読書好きには内向的、ないし、もと内向的な人間が本を手に取る確率が高いからという理由もあろう。ましてこれだけ厚みのある本を読もうと思い、最後まで読みきり、ここにたどり着くということは、そこまでの過程で「ふるい」がかけられており、必然的に熊太郎共感組が残った、ということかな。

    レビューなのかな、これは。


    にしても、現代とはなんと捌け口の多いことか、

    昔の人らで思弁的だった人間は、誰に訴えかけることもできず、かりにそのようなことを訴えかけたとしても、「なにいうてんね、こいつ」みたいな目で見られるのがオチだったのかもしれない。
    そう考えると、心の空虚さとかなんとなく感じる孤立感とかはあるにせよ、圧倒的な孤独感に襲われることがない現代は恵まれた時代なのかもしれない。


    それにしても面白いのは、平次のことを誰も言及していないことである。
    この物語の一番の被害者は平次この人であろう。笑
    苦笑したそこのあなた、ほんとはわかっているじゃないですか。

    みなの意識が知ってかしらずか、「平次とはそういう役回りの人間である」と認識されているような、

    同情すらされない平次。

    一方、熊太郎はある意味、しあわせものかもしれない…

    サブタイトルは平次の悲劇、で決まりやね。


    付箋だらけの最高の読書体験になりました。
    町田康「告白」、おすすめです。

  • 明治26年に実際に起こった大量殺人事件「河内十人斬り」をモチーフにした大作。作者得意の関西弁を駆使して、実際の事件をモチーフにしつつもあくまで町田節。たまに入る作者からの「あかんではないか」というツッコミや、ロックバンドを引き合いに出しての例えなど、本来重くシリアスになりがちなテーマを軽妙にしていて大好きです。

    根っからの残虐非道な悪人というわけではない主人公・熊太郎が様々な紆余曲折を経てついに大量の殺人を犯すまでにいたる経緯を丹念に拾ってゆく作者の目線は、弱いもの、はぐれてゆくもの、滑稽で哀れなものへの深い愛情と共感があって、赤ん坊まで殺した残酷な殺人者でありながらどこか憎めない熊太郎という人間の一生を描き出します。どんな理由があっても、人を殺していいということはないですが、それでもこの熊太郎には共感せずにいられません。

    熊太郎の弟分で、一緒に大量殺人を行う弥五郎も、まあ言ってしまえばただのゴロツキでチンピラなわけですが、直情的で単純な性格、少年の頃に一度だけ助けてくれた熊太郎を死ぬまでアニキと慕う一途さなんか、いっそ愛おしいくらい。どこかで少しづつ少しづつ歯車が狂っていって、取り返しのつかないところまでいってしまう、その残酷な悲しさ。この分厚さを読みきるだけの価値ある傑作だったと思います。

  • 2012/06/29
    いやぁ長かった〜笑
    独特の文章。独特の間。どぎつい河内弁。
    この人スゴイなぁ。
    私の中では、この作品はパンクな金閣寺です。笑

  • 河内十人斬りの事件を題材にしているにも関わらず、河内弁で語られる熊太郎の思弁的な心情が、実にコミカルに写実的に描かれていて独特な世界観を生み出している。
    思ったことと言葉が一致しないという苦しみに悩みながら、思ったことと反対の行動をとってしまう熊太郎は、どうしようもない侠客に成り果てるが、どこか憎めない。やっぱり私は熊太郎が好きだ。
    十人も人を殺した熊太郎が、これ程までに愛嬌のある人間なのだから、最後はやはり切なくなる。
    長編だが読みごたえたっぷりの独特な世界観は他に類を見ない。

  • 主人公、熊太郎の一生を描ききった快作。

    なんかうまくいかんなぁ、あかんなぁ。そんな気持ちが、バッキバキに音を立てて転がって、どっかにぶち当たって、ムカッときて、腹が立って、泣いてしまって、信じてしまって、そんな熊太郎に自分を重ねずにはいられないじゃないか。幼少期からその最期まで、ひたすらに描かれた、熊太郎の生き様は、滑稽で、パンクで、恐ろしくて、悲しい。

    長い小説ですが、その長さにもしっかりと意味がある作品。皆が皆、絶賛するような作品ではないだろうけども、このパワーは圧巻。感情が溢れました。それは、泣ける。とかという意味だけでなく。

  • ここ10年読んだ小説の中でも最高傑作になりそう。

  • 熊太郎
    甘やかされてきた
    賢い
    独楽回しで自分が偉くないことに気づいた
    世間と家の中での評価の違い

    「俺の思想と言語が合一するとき俺は死ぬる」
    独特の思弁癖が「渋滞」している

    世の中には、世間の常識とはどうしても反りがあわず、それなりの良識と純真を持って自分を律してゆこうとするが、いつしかそれが破綻して人生の敗残者となってしまう人もいる。

    貸してもらった本。予想以上によかった。 きにしーの主人公の話。

  • 実際にあった事件が基になっていると知らずに読んでいたので、終盤の展開は読んでいてつらかった。思春期のぐちゃぐちゃな感じとも似ている熊太郎の内面と外面のギャップ。チャンスも幸運もそれなりにあるのに自分でフイにしてしまってどんどん悪い方へ転がっていくダメダメだけど愛すべき人物の物語かと思っていたらあんなことに。独特の文体とユーモアに救われるけど、読後感は重い。

  • 一つの過ちが、どんどんふくらんでいく。
    あの時ああしていれば…
    あと時に戻りたい。
    そう思う時は何回もある。
    けど、そう思えた時にいくらでも引き返すチャンスがあるんだよ。

    真実、嘘とはなんなのだろう。
    みんな、自分の中の真実嘘の区別ができてるのか?

    葛藤の物語。

  • 本の惹句が「人はなぜ人を殺すのか、その本源的な問いに迫る」みたいなので、この本はそういうことを言っていないように思える。

    また、石牟礼道子の解説も、この人ほんとうに読んだんだろうかと思うほど的はずれだった。

    こんな分厚い本を、こんなにねちっこく書いてあるのに、こんなに書いても、ぜんぜん伝わっていないし、誤解されているし、もしかして間違っているのは自分なのかもしれないし、と主人公が本の中であれだけ経験したことを、今度は読者が自分の身になって知ることができるという、ものすごい構成の本。狙ったのだったら革命級にすごいと思う。

  • なんか長編が読みたいなあと思って、前から気になっていたというか、いつか読まなきゃなあと思っていた、町田康「告白」を読んだ。
    持ち上げて読み続けるのがしんどいくらい、長い。文庫本なのに重い。寒村の貧乏百姓の息子、熊太郎の一生を描いた物語。熊太郎は、実在した人間らしい。10人殺したきちがいだ、という歌が残っているそうだ。ではどう、気が違っていたのか。それを、ながーい話で教えてくれたのが、この「告白」なんだけども、長いとどうしても、熊太郎に肩入れしたくなってしまう。愛着がわくというか。
    けれど客観的にみると、熊太郎が悪い。畑仕事は手伝わないし、酒と女と博打ばかりですぐ一文無しになるし、自分が一目惚れして結婚した妻にお金も渡さず、家にも帰らず遊びほうけている。喧嘩もする。クズだ。
    10人殺したのだって、長ーい話で、熊太郎のことを知った読者には思うところあっても、寒村の人たちからしたら全く理解できない。おかしい。きちがいだ。となる。

    物語は、客観から見える事実以外のところを教えてくれるものだと思う。分厚い文庫本を閉じた時、自分の人生に熊太郎という人が加わったような気がした。

  • 以前の仕事では、熊太郎や弥五郎のような人にしばしば出会った。純粋すぎて世間の常識からはみ出してしまった人、周りとかみ合わない居心地の悪さから粗暴になったけど、話せば感受性豊かな思慮深い面がある人。
    世間からドロップアウトしてしまうのにはなんらかの理由がある場合があって、その人たちが罪を犯さないですむように生きることができる鷹揚な社会も必要なのではないかと思う。

  • 2006年本屋大賞7位

    明治26年5月25日に起きた殺人事件『河内十人斬り』のお話。

    殺人に至るまでの「城戸熊太郎」の思弁的な考えがそのまま文章になっており、そのため「面白く」も「怖く」も取れるようになっている。
    「自分でも内向的な部分ってこんな感じかも!?」とちょっと怖い気がしたw

    熊太郎を現代に当てはめると「思弁的な考えを吐き捨てるために2チャンネルに投稿する輩」なんではないかと連想してしまったww

  • 久しぶりにずっしりくる本を読んだ。まず重い、何が重いかって物理的に重い。そして100頁くらいまで読むのがつらい。河内のしゃべりはよくわからないし、思考のループに慣れるまでに時間がかかった。でも「ようじょこ場」の話までくるとだんだんその思考のループが癖になる。

    なんていうかこの「告白」というのは、一言で言えば悲しい駄目人間の話だ。幼い日の過ちとそのトラウマに人生を駄目にされてしまう、というか自分自身で自分が駄目である理由はこれだと決め付けて、呪いをかけてしまう。
    幸福で安穏な日常に突然蘇ってきて、思わず「あっ」と仰け反ってしまうような、一瞬にして天から地へ落とされるような、激しい罪の意識や罪障の記憶。そういうものに苛まれることは私にもあるし、熊太郎のように葛木ドールを殺戮するような残虐なものではないにしろ、生きていれば後ろめたいことは誰にでもあるはずだ。
    ただ熊太郎は思弁的で、自らの思いを安直に言葉にできないせいで、そして直截に口にできる村の人々を見下してきたせいで、罪と恐怖を外にぶちまけることができず、内で消化することもできなかった。そんな可哀想な熊太郎の脳内のグルグル、思考のるつぼを町田康独特の文体で見学するのは楽しかった。
    はじめは「あるある」「わかる」「なんだこの言い回し」と吹き出しつつ読んでいたが、物語が終盤に近づくにつれ、熊次郎への憤怒と、あまりに不器用な熊太郎への苛立ちや同情と、頼もしく純真な弥五郎への慕情(笑)に一喜一憂した。
    600ページを過ぎると、もはや熊太郎が他の人とは思えない親近感を抱いてしまっていた。「河内十人斬り」を下敷きにしてあることはすでに知っていて、主人公たちが破滅・滅亡に向かって行くこともわかっていたが、辛かった。
    もう最期の言葉なんて駄目だった。
    「あかんかった」って、もうね。

    最期まで利己的な善意と正義に突き動かされた熊太郎は、救いようのない駄目人間に見えるし、地獄に落ちるのも当たり前な人でなしにも思える。
    でも私は、この最期の熊太郎の告白で、急に鏡を見せられたように戦慄した。本当は良いことをしたい、奉仕したい、でもすぐに報われたい、善行を積んで地獄に行くのは避けたい、人に良く思われたい、自分を救いたい
    こういう思いは私もずっと抱えてきたからだ。自分のエゴの強さに悶絶し恥じ入り、落胆しながら、博打を打つ者が勝利の目を祈るように、私にツキがやってくる、努力なしで救われる道がひらけることを信じてしまう。私が良いことをするのは良いことをする自分に酔っているか、情けが自分に返ってくることを意図したものだからだ。あかんではないか、だ。だから他人事とは思えず、読み終わってしばらく呆然としてしまった。でも、みんな本当はそのくらい利己的な感情があって、それをひた隠しているだけなんじゃないの? そんなことありません他者に尽くしてこそ我が命は輝くのですみたいな顔して飄々と。
    で、今は唖然としている最中なので、最後までうまくまとめられなかった。熊太郎は可哀想だ。熊太郎も悪いけれど、ツイてなかった。それで狂人ではなかった。弥五郎がそばにいてくれて本当によかった。それだけが救いかもしれない。

  • 文字だけの筈なのに、河内弁のリズムや熱量が再現されているかのような途轍もないエネルギーを感じる。
    主人公熊太郎の本人曰く思弁的過ぎる傾向は、彼を追い詰め、堕落させ、破滅させる。
    その最中にありながらも思考を止めぬ熊太郎は、時に哲学的にもなるのだが、見栄っ張りで俗っぽい側面が顔を出しては笑いを誘う。

    ドストエフスキーの地下室の手記を彷彿とさせる熊太郎の独白は、いつだって見当違いで愚かで滑稽で、少し悲しい気持ちにさせる。

    個人的には弥五郎の存在が切なくてならなかった。
    熊太郎のようなある種の怪物ではないが、忠実で真っ直ぐで卑怯な真似のできない彼にとって、熊太郎との出会いは不幸な出会いだっただろう。
    ただ弥五郎は決してそうは思わないから、なおさら切ない。

  • とにかく圧倒される。
    本の厚さにも、テーマの重さにも、文体の軽やかさにも。

    主人公の熊太郎は、小さいときこそ素直な良い子であったのだろうけど、ある時ふと気がついてしまうのである。自分はそんな大したことない奴だ、と。
    でも、全力で頑張ってできなかったら、ほんまにあかんかったことになってしまうので、「俺はまだ本気だしてないだけ」を装って自分と世の中を偽って生きることにするのである。

    そしてまた熊太郎は、できん子のくせに思弁的なのである。
    いいことをしようとは思うのだが、そうすると「あいついい子だと思われたいんやな」と思われるかもしれないことに堪えられない気がして、いいことをやめてしまう。
    何をするにもその調子なので、結局行きつく先は極道もんの博奕うち。そして家族や村の人たちから煙たがられているのである。

    ふと気がついた熊太郎。
    子どものころ一緒に遊んだ村の仲間は、自然と女の子なんかとうまいことやっているけど、どういう決まりごとがあるのか今一つ自分はわかっていないということに。
    コツコツ農作業や村の行事に参加しているわけではない熊太郎は、自然な挨拶から女の子たちに話しかけるというのができない。
    あろうことか道でばったりあった女の子を捕まえて、蛇がにゅうめんを飲み込んだ話をするもんだからドン引きされてしまう。

    村の人々を観察するに、言葉と気持ちと行動が一直線でつながっていることに気がつく。
    「今日も暑くて大変やなあ」と汗をぬぐう。
    しかし熊太郎は、考えて考えて考えた結果出てくる言葉はとんでもないものであり、また、思ってもいないことを言ったりやったりする羽目になるのである。

    そもそも熊太郎はええかっこしいである。
    だからおだてられると、気が進まなくても後に引けなくなってしまう。そして、結局のところ人の嫌がることを押しつけられたりもするのである。
    熊太郎の本質を理解している奴らに、いいように使われたり、金を巻き上げられたりすることもしょっちゅうなのである。

    それはおかしいではないか、と思っていろいろ考えるのだが、損ばかりの人生を積極的に歩いてしまうのだからしょうがない。

    見栄っ張りで、器が小さくて、ケンカも弱くて、博奕も弱くて、何かと不器用な熊太郎ではあるが、根は単純で、お人好しで、憎めないやつなのである。
    弟分の弥五郎が熊太郎について思ったことは「弱きを扶け強きを挫くというが、この人の場合は、自分を挫いている、しかもその自分は弱い。でも自分を挫くときの姿勢は無茶苦茶強気や。ということは、いったいこれは弱いのか、強いのかどういうことやね?わけわからんわ。」

    弥五郎が子ども時分、悪い大人たちに袋叩きにされたのを見ているのがいたたまれなくて助けに出るのだが、ケンカ弱いのでぼこ殴りに殴られる熊太郎。
    「鼻先の痛みが去る前に後頭部に、ぐわん、今度は重苦しいばかりでなく熱と痺れをともなう強烈な打撃を受け、頭脳を白熱に支配された熊太郎はなにも考えることができなくなって、ギターを弾くカルロス・サンタナのような顔をして前にのめった、ところへさして正面から腹を蹴られ、さらには横鬢を拳固で殴られて、ついに熊太郎は一発も殴り返さないうちに地面に倒れた。」

    自分と世間との違い。
    何も考えずに誰かの尻馬に乗って、暴力をふるったり弱い者いじめをしたりがどうしてもできない。
    傍観者のような顔をして他人を嘲笑うことができない。

    だからどう頑張っても村の人々からはみ出してしまうけれども、そしてそれは熊太郎にとっては不本意なことではあったけれども、そうやって日を過ごしていた熊太郎が、なぜ「河内十人斬り」というような大量殺人事件を起こしてしまったのか。
    そしてなぜ、こんな内容の、こんな文体の小説の読後感が、こんなに切ないのか。

    熊太郎の最期の言葉。
    「あかんかった」

  • 好き放題やられた感じ。もう知らんわ、といいたくなるレベルの傑作。

  • うねる文体が河内音頭そのものなのかもしれないが、推敲はしてないよね。そんなことしたらグルーブがなくなるよね。歌にまで歌われたドラマ性からカタルシスだけを抜き去った手腕が見事。ぐだぐだぐだぐだと怨念のみを延々積み重ねまた掘り崩し、の繰り返し段がさんざん「やきもき」させてくれつつ、最期は上手にはずしてくれた。
    「人は何故人を殺すのか」そんなことがテーマではない。この本がいいたいのは個人という概念が知識として西洋から輸入されるよりも前に、既に市井の人々の中に言語化こそできないにせよ、自我を内在化させていた者はいたはずだ、ということであり、個人の存在を前提としない世間の中では壮絶な破局を迎えざるを得なかった、という推論である。自我が明治知識人の輸入によるものだというのはよくよく考えてみれば胡散臭い神話である。

  • 泣ける
    熊太郎の言動に共感しながら笑っているうちに気付くと感情が物語に入り込んでいる 恐ろしい

  • 1900年頃に実際に大阪であった事件「河内十人斬り」がモチーフとなった本作。第41回谷崎潤一郎賞受賞。
    思弁的な性格ゆえに周りの人間とうまく意思疎通が出来ず、うじうじと自省するもまた繰り返す主人公・熊太郎。そんな間抜けで放蕩な彼が、ある裏切りをきっかけに殺人に手を染める。

    不条理、不毛、不器用・・・何がどう悪いのか分からないけどうまくいかない苦悩。それを酒・女・博打で晴らすいわゆる”ダメ人間”な熊太郎。良くも悪くも喜びや怒りを素直に爆発させる辺りに、どうしようもないけれど困った奴と、親近感を感じてしまう。でも熊太郎の周りはそうは思ってくれなかった。熊太郎の徹底した心理描写とその変化に、この作品の本質を見た気がする。1人の青年の溜息のような一言に『告白』の2文字がずっしりと応えた。最後まで熊太郎は不器用だ。

    討ち入りからの流れは圧巻。厚みのある作品ですが、駆け抜けるように一気に読み切れます。

  • ひとりの世界音痴の破滅を描く、河内弁の奔流で埋めつくされた800ページを越える文庫本。そのリズム感にさすがミュージシャンは違うなあと感心しつつ、弥五郎は最後まで格好良いのに熊太郎のテンプレどおりなぐずぐずさといったら! 問題は思考過多ではなく見栄っ張りでしょうよ。

    そして明治の話なのに現在の語彙が混じるのが(笑いの手法なのはわかるけれど)どうしても水を差されてしまってあまり好きではなかった。熊太郎の幻視するものは尋常じゃなくてなかなか興奮させられたけれど、むしろ町田康の普通じゃない感覚が伝わってくるようであり。たぶん作者がもっと後ろに引いた書き方のほうが好きなのだ。

    こんなふうに思うくらいなので良い読者ではなかったかもしれないけれど、最後まで面白く読んだ。骨組みがしっかりしているから趣味じゃなくても楽しめたんだと思う。

    同じくハードな世界音痴を題材にしたフィクションとして、大津事件をモデルにした藤枝静男「凶徒津田三蔵」を思い出した。ページ数は少ないけれど、重くて硬い。人殺しの心に分け入りたい人にはこちらもおすすめ。

  • 至極近代的な熊太郎の思弁に同調するところもあり、その幻惑的主観の記述に理解できないところもあり、それがこの河内弁の文体と、町田氏の独特の文体に合間って、なにやら不安すら覚えた。怪作。
    異様なパワーに突き動かされて読み切った800頁。他に読んだことのない小説という意味で★4つ。

    思ってることと、言葉が一致しないなんてことは、現代では当たり前のことだと思う。
    それどころか、言葉として表せる形での思弁と、言葉にすらならない感情・感覚と、常にない交ぜになっていて、たとえば夜中にこうして考えている自分の主体の主体の主体はなんであろうか…なんてことについて考え出すと夜も眠れないなんてこと、誰でも一回はあるんじゃなかろうか。

    話してる言葉、思っている言葉、隠している言葉、だいたいどれもちぐはくだけど、どれもだいたいが本当で嘘だ。
    本当に、言葉は不自由だ。
    けれど、だったらみんな熊太郎みたいになるのかというと、それも違うと思う。
    やはり、地の文で散々いうように「あかんではないか」というところはあかんのだ。

    下手の考え休むに似たりというけれど、まこと考えることは毒のよう。
    他の人と同じように、考える前にただ体を動かして、畑を耕せなかった熊太郎の告白も、結局弥五郎の反響も確認できないまま、あかんかったという独白に帰結して終わる。なんだか切ない。

  • 「河内十人斬り」という実際の殺人事件をモチーフに書かれた長編小説。
    800ページ超の分厚い文庫本。

    読み出したらのめり込んで一気に読んだ。
    読み終わった瞬間、また最初から読みたくなった。

    主人公の熊太郎は、極度に思弁的で、その思弁を表す言葉を持ち合わせていない。
    それが原因で世間と乖離した熊太郎の人生はどんどん狂っていく。
    読んでいると熊太郎の思弁が自分に向けて語られているように感じてきて、
    いつの間にか自分と熊太郎を重ね合わせていた。

    ラストは鳥肌。

    とにかく面白くて、800ページがあっという間。
    何度でも読みたい。

    長旅(国内)に小説を1冊だけ持って行くなら、これにする。

    短い小説で町田康の文章に慣れて、好きなら、絶対におすすめしたい。

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人はなぜ人を殺すのか-。河内音頭のスタンダードナンバーにうたいつがれる、実際に起きた大量殺人事件「河内十人斬り」をモチーフに、永遠のテーマに迫る著者渾身の長編小説。第四十一回谷崎潤一郎賞受賞作。

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