- Amazon.co.jp ・本 (334ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122050761
作品紹介・あらすじ
ある日作家のもとに現れた、哲学者の言葉を語る不思議な猫。「語の意味とは何か?」「"私"は誰?」-哲学の諸問題を、猫と作家が案内する。サルトル、ウィトゲンシュタイン、ハイデガー、小林秀雄…古今東西の哲学者、思想家たちの核心を紹介。時空を旅する猫とでかける、「究極の知」への冒険ファンタジー。
感想・レビュー・書評
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エッセイめいた哲学入門書。猫と主人公との関係とかはどうでもよかったが、この本の功績はファイヤアーベントなどの科学哲学への興味を持たせてくれたこと。
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面白かった。哲学の入門書的な性格のものなので、こればかり読んでてもどうかと思うのだが、改めて手に入れたいなと思う。
ウィトゲンシュタインのところで、言葉は、それぞれがその意味を存しているのであって、そこに一般的な概念を重ね合わせようとするからわからなくなる、というくだりは成程!と結構腑に落ちた。 -
摂南大学図書館OPACへ⇒
https://opac2.lib.setsunan.ac.jp/webopac/BB99136529 -
後輩に借りた本。
哲学に関して予備知識も何もない初心者なので
正直なところ小難しい部分が多かったです。
それでもなんとなくの考え方と哲学に触れることで
日々の思考や感情の機微がすごく些細なことのように感じられました。
もっと哲学について詳しく勉強してみたいです。 -
ソフィーの世界のように哲学を物語で紹介している
本著の方が哲学の中身に踏み込んでおり読み応えがあった
ウィトゲンシュタイン、サルトル、ニーチェ、ソクラテス、カーソン、サン=テグジュペリ、ファイヤアーベント、廣松渉、フッサール、ハイデガー、小林秀雄、大森壮厳と名を連ねる
彼らの思索を一気に並べ読むと言葉は違えど重なり合う部分などの気付きがあり、それぞれの理解を深める助けとなった
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理学博士竹内薫、文筆家竹内さなみによる哲学の入門書。ただの解説書ではなく、作家と哲学者の言葉を語る不思議な猫を主人公にして、物語風に書かれているので、少しは敷居が低くなっていると思います。サルトル、ウィトゲンシュタイン、ハイデガー、小林秀雄など古今東西の哲学者たちの思想をそのまま説明、解説するのではなく、著者が掘り下げながら、著者の考えを展開しています。その辺は注意が必要。
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竹内薫 「 シュレディンガーの哲学する猫 」
哲学エッセイ。形而上学(ものの存在について考える) と認識論(存在するものをどう認識するか考える) の哲学テーマを中心に、サルトル、ニーチェ 、フッサール、ハイデガーなどの論点を整理。
科学への警鐘的な哲学者の言葉が多い。もっと詳しく読んでみたいと思ったのは、ファイヤアーベント 、廣松渉 、大森荘蔵
特に ファイヤアーベントの文化的相対主義は 面白そう
*世の中に客観的な事実など存在しない→〜事実が存在しないなら正義も存在しない
*科学は宗教である
*読書には濫読が必要〜何でも知ることによって 判断力を働かせることができる
*意見の多様性は 客観性のために必要である
*成熟した市民とは 選択できる人間〜たくさんのプロパガンダとイデオロギーに接することが必要
ニーチェ 「神は死んだ」の恐怖は 無宗教の日本人には伝わらない。「科学は死んだ」と同じくらいの価値観の崩壊を意味。
ニーチェ 永劫回帰=同じことが永遠に繰り返される=一回しかない=今生きてる現世しかない
ウィトゲンシュタイン
*日常生活は 言語なしにはあり得ない〜言語から離れたものは その存在を失い、幻想になってしまう(言語ゲーム一言論)
*一般化、法則化を嫌い、常に具体的な思考を貫く〜哲学は科学と違う〜哲学は世界をありのままの姿で記述すること
サルトルの実存主義
*実存=人間の存在→実存主義=人間を 存在としてでなく 実存ととらえる→実存が本質に先立つ=人間はまず実存し〜そのあとで定義される→人間はあとになって初めて人間になる
*人生を生きていく過程で徐々に人間が形成される
*人間は 自分で自分を 将来に向かって投げる〜人生は自ら計画して切り開いていくことが人間の形成
*人間は常にアンガジェする→一人の行動が世界に影響を与える
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プロローグ わたしは人間だ
1 ウィトゲンシュタインの章 ラプソディー・イン・ブルー
2 サルトルの章 君は自由だ、選びたまえ
3 ニーチェ/ソクラテスの章 ブラザーサン・ブラザームーン
4 カーソンの章 沈黙の春
5 サン=テグジュペリの章 カイロの赤い薔薇
6 ファイヤアーベントの章 オペラ座の怪人
7 廣松渉の章 四つん這いのエロ松
8 フッサールの章 巨大なエポケー
9 ハイデガー/小林秀雄の章 ひひじじい
10 大森荘蔵の章 過去は消えず、過ぎ行くのみ
著者:竹内薫(1960-、東京都、サイエンスライター)、竹内さなみ(翻訳家) -
哲学者と共同で『誰にでもわかる哲学本』を執筆している作家のもとへ、1927年のウィーンから灰色の毛並みの「シュレ猫」がやってくるところから、本書の物語ははじまります。生と死、時間と空間、存在と存在をかさねあわせる能力をもつシュレ猫が、さまざまな哲学者や文学者の意識と一体となり、彼らの思想を語ります。
とりあげられている哲学者・文学者は、ウィトゲンシュタイン、サルトル、ニーチェ/ソクラテス、カーソン、サン=テグジュペリ、ファイヤーアーベント、廣松渉、フッサール、ハイデガー/小林秀雄、大森荘蔵の10章12人です。
それぞれの哲学のイントロダクションにとどまっていて、あまり哲学の勉強にはならないように感じました。 -
ウィトゲンシュタイン
私の言語の限界は、私の世界の限界を意味する
実存主義
自らの責任で自らを将来に向けてプロジェ(投企)すること。それが人間の形成である。
いつから人間が動物の主人になったのか?
人間が飼ってる動物しか生きる権利はないのか?
ただの人間じゃないか!
文化的免疫力
サリンは、純粋培養された科学者が宗教に傾倒してしまった説。小さい頃から「良いこと」しか学ばなかった人たち?
フッサール
エポケー(カッコ入れ)
セザンヌ
小林秀雄
徒然なる心がどんなに沢山のことを感じ、どんなに沢山な事を言わずに我慢したか
文理の垣根を超える事。どちらかしか知らないのは世界の半分しか知らない。それができていた文筆家は、小林秀雄、宮沢賢治、サン=テグジュペリ
科学をしているからといって、神や霊を信じていけないことはない。
科学的でないものが悪かというとそうではない。
どちらも知っている幅が必要。