世界の歴史〈19〉中華帝国の危機 (中公文庫)

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  • 中央公論新社 (2008年12月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (485ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122051027

世界の歴史〈19〉中華帝国の危機 (中公文庫)の感想・レビュー・書評

  • 香港はいかにしてイギリス植民地となったのか。19世紀、アヘン戦争前後から列強の覇権競争と「太平天国運動」など国内の大動乱に直面し、辛亥革命に至るまで、近代を探っていった「中華帝国」の人びとの苦闘の歩み。

  • 19世紀から20世紀初頭にかけて国内外から蹂躙された中国。列強との戦争では連敗を続け、不平等条約を押し付けられ、国内では太平天国など長期間のほぼ小さな国家規模の反乱がおこり、清朝政府は無力さを露呈した。国内の意識では、まず「敵は内部にい」た[p128-129]。これだけ主権を侵害されながら中国伝統の「華夷思想」ではそれを「一視同仁」とみなしたらしい[p217]。とはいえ、もはや清朝は腐敗して、権力の運用は「公的なたてまえではわりきれない」[西太后の着服[p389]、李鴻章などの私兵的な北洋軍[p269]] ほどで、中央権力は瓦解[もちろん、これは自滅[p398]]していた。

    曾国藩を中心に[p188]「洋務運動」で既存権力(清朝)内部からの近代化をはかるが、日清戦争(1894年~1895年)の敗北で失敗とみなされる[p258]。そもそもそれは例えば「官督商辮(かんとくしょうべん)」というような政治的な権力と結び付いて特権がなければ経済活動がたちゆかないなど[※のちの社会主義的?p189]成長を妨げるような限界があった。

    一方では列強による中国分割は着々と進行。それぞれが互いに牽制しあう[「抜け駆けの牽制」[p405]、また日清戦争で日本は列強の動きに「非常に神経をとがらせ」た[p257]]など世界規模。その過程で租借された上海などで西欧の近代文明に接した中国の知識人(おもに若者)が革新派として改革を進めようとする流れになる。それが康有為の変法(戊戌の変法)など内部(既存権力)からの改革を促そうともするが、西太后らによってやはり挫折[「戊戌の政変(1899年)」p288]。

    その後、「扶清滅洋」の義和団事件(「巨大な反応」[p331])が起こるなど混乱で列強の武力介入を招くと、「東南互保」[p343]といわれるのちの「(光緒)新政」につながる地方と中央のベクトルの違いが明白になる。これは革命の伏線になるが、革命後の政府の懸案にもなった[p362]。

    ついに辛亥革命がおこり、清朝は滅亡[1912年、p386、※科挙の完全廃止は1905年]。その財源は「民辮」、上海の買辮として力をつけたもの(家系)[p148]や、華僑などであった。しかし革命後も袁世凱を大統領にせざるをえないなど不安定で多難(軍閥混線[p419])な道を歩んだ(そもそも孫文の求心力が弱かったか[p385])。

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