検証 戦争責任〈上〉 (中公文庫)

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  • 中央公論新社 (2009年6月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122051614

検証 戦争責任〈上〉 (中公文庫)の感想・レビュー・書評

  • 昨年、とあるTV局のお偉いさんと戦後70年の雑談をしていたら、「10年前に読売新聞が戦後60年で戦争責任の検証を改めて行った特集があって、それが面白い」とおっしゃっていたので、調べて買って読んでみた。非常に複雑な昭和初期の日本と世界の状況や内部構造を新聞記事的な字数の制約の中である時は俯瞰で捉えある時は詳細に解説をしていて、この種の本は数多く読んできたが改めて勉強になったり、70年前の日本に思いを馳せるとやるせなくなる本だった。以下、上下巻の感想。

    この本は、石原莞爾が陸軍と参謀本部の将校で結成した「木曜会」の第五回会合で「満蒙の確保」の構想をぶちあげた1928年(満州事変は31年)から日本が敗戦となり陸海軍が解体される1945年までに至る日本の引き起こした戦争の原因、経過、結末を検証し、その個々の局面の指導者、権力者の責任の有無、軽重について判断を行うことを以って、日本国民が"自らの手で"この時代の戦争の責任をどう認識するのかの材料を提供するという体になっている。これは当時の渡辺主筆の肝いりプロジェクトで、おそらく多くのエース記者がこの特集に投入されたと思われる。"戦後"の出発は連合国によっ行われた東京裁判と、連合国によって作られた日本国憲法によるわけなので、それを60年目で自ら再検証しようとするのだから意欲的取り組みと言えよう。(の割にはこの取り組みがあまり有名でないのは残念である)

    1928年から45年までの日本国の崩壊は筆舌に尽くしがたい。。前から勉強していたつもりではあったが、そのプロセスの詳細を改めてみると結果論として本当に愚かしいし、またその"時代の空気"といえる過程論から類推すると不可避であったのではないかと思え、そうすると今度は日本人ないし社会的動物である人間の愚かしさの本質を見るような気がして本当にせつなくなる。太平洋戦争のどの反省本にも共通して言えることだが、これは日本人が、あるいは人間が組織的な行動を取る限りは必ず再現性のある事象なので、よくよく過去の愚考を肝に銘じておく必要があると思う。

    この本の最終章ではかなり明確に局面、局面での日本の戦争指導者あるいは集団の責任者を明記している。東京裁判と対比して出色なのは、やはり石原莞爾ら陸軍参謀本部の中堅、石川信吾などの海軍や軍令部の中堅幹部の罪が重いとしている点であり、これは東京裁判時点ではこのあたりの物証が発見されていなかったこともあり、時の経過により判明した断罪をここでおこなっているような気がする。また、この本全体を通じて感じるのは、やはり戦争に対し一義的責任を負わない参謀本部や軍令部、その中の若手幹部の暴走が主原因であり、またそれを抑えるべき上層部の壮年幹部が結局のところ暴力の恐怖により迎合してしまったところに後の終戦の遅れ、ひいては沖縄戦、原爆投下、ソ連の参戦とシベリア抑留につながる全体の深刻な構造があるように思える。

    この本では他にも上記の軍部の若手を抑えることのできなかった議会(特に政党政治)、外交官、そして国民とその国民に正しい情報を提供しなかったマスコミの責任にも言及している。また、日本のみならず東京を始めとした日本の各都市への無差別爆撃や、広島、長崎への原爆投下(アメリカ)やシベリア抑留(ソ連)など諸外国の加害責任も追求している。

    それらすべてが「そういう時代だったよねー」と言えるほど前の時代のことではないことにこの問題の深刻さがあるし、生臭さがまだ残っているうちに、我々はもっとこの時代の詳細とそこから、これからも再現される構造についてひとりひとりがよく理解をして肝に銘じておかねばならないと新年早々、強く思いました。

  • 「太平洋戦争」、「大東亜戦争」、「15年戦争」等先名称すら確定出来ていない「先の大戦」である。あの戦争を正しく理解し、諸外国と協調していくためには、そこから出発しなければいけないのだということを痛感した。あとがきにあった「昭和戦争」という言葉は、良い悪いは別として新鮮だった。

  • ・新聞連載時の記憶は断片的にしか残っていなかったため、改めて読み直すと、記憶が蘇ってくる点、再認識する点がある。もともと記者による新聞連載のため、専門家の書に比べると内容も平易で読みやすい。
    ・陸軍参謀が指揮官を引きずり込む「幕僚統帥」で拡大したそうだ。政策立案・決定を軍官僚が独占した「幕僚政治」が失敗の原因、ともある。柳条湖や盧溝橋を見るとその通りだと思うけど、今の感覚で言うと、佐官が下克上してたってのがとても不思議。それだけ統制が効いてなかったのか、出先だと今とは比較にならないほど現地での佐官の権限が強かったのか。
    ・関東軍の独走、というだけでなく、中央も黙認状態だったのかな。参謀本部の建川作戦部長は、柳条湖の後関東軍を説得に行くとしつつ、だらだら時間かけてやる気なかったよう。
    ・南部仏印進駐によって米は決定的に対日硬化、石油の全面対日禁輸。対米関係ではこれがポイントオブノーリターン?
    ・北岡伸一の名言。「当時の日本は軍国主義ですらなかった。本当に軍国主義なら、もう少し軍事的に勝てそうな判断をしただろう。」
    ・天皇機関説が軍や右翼等から攻撃されたってのは知っていたけど、戦後、天皇の戦争責任を否定する人々は天皇機関説を持ち出したのと同じ、というのは目から鱗の指摘。
    ・メディアは必ずしも無理やり言論統制させられたわけではなく、積極的に協力した面もあるんだよね。本書ではあまり多くを書いていないけど。礼賛記事で部数を伸ばしたともある。
    ・塘沽停戦協定以後抑えてたら、その後の日中戦争はあそこまで拡大しなかったのかな。でも、満州国に権益を確保したら、お隣の華北も安全地帯とすべく分離工作を…というわけで、満州事変に踏み切った時点で日中戦争まで不可避だったんだろうか。作戦部長・石原莞爾や戦争指導課長・河辺虎四郎は不拡大派だったとは言え、河辺兄は現地にいるし、作戦課長・武藤章からは「部長が昔やったこと」だと言われる。
    ・松岡外相や大島大使、また軍内の親独派はドイツの実力を買いかぶると共に三国同盟へ動いたとか。ある国や地域の専門家となると、対象に対し冷静な判断ができなくなってしまうものなのかなあ。
    ・日本海軍は伝統的な艦隊決戦思想(大艦巨砲主義)から抜け切れなかったわけね。真珠湾攻撃と直後のマレー沖海戦では自ら航空主兵論を実践していたのに。中央に航空の専門家が少なかったためだとか。所詮、自分の正面の専門以上の広い視野を持つのは困難ってことだろうか。
    ・海軍軍令部はアリューシャン列島攻略を、連合艦隊司令部はミッドウェー島攻略を主張。結局兵力を二分したのがミッドウェー大敗の一因だそうだ。
    ・海軍がガダルカナルに飛行場を建設していたけど、米軍が上陸して海軍が陸軍に対し応援要請するまで、陸軍は何も知らなかったそうだ。で、その後両軍で責任の押し付け合い。

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