ピアニストという蛮族がいる (中公文庫 な 27-4)

著者 :
  • 中央公論新社
3.91
  • (13)
  • (19)
  • (13)
  • (2)
  • (0)
本棚登録 : 196
感想 : 24
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (317ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122052420

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 「中村紘子」のエッセイ『ピアニストという蛮族がいる』を読みました。

    先月… 7月26日に癌により72歳で亡くなった「中村紘子」の追悼読書です。

    -----story-------------
    西欧ピアニズム輸入に苦闘した先人や世界のピアノ界の巨匠たち。
    その個性溢れる実像を大宅賞受賞の現役ピアニストが鮮やかに描く

    音楽に魅入られたピアニストたちの、すべてが極端で、どこかおかしく、しかもやたらと大真面目な世界。
    「ホロヴィッツ」、「ラフマニノフ」ら巨匠たちの奇行、伝説、そして本邦ピアニストの草分け、「幸田延」と「久野久」の悲劇が、不思議な感動を呼ぶ。
    文藝春秋読者賞受賞作。
    -----------------------

    『文藝春秋』の1990年(平成2年)1月号から約1年半にわたり連載されたエッセイをまとめた作品、、、

    「大体みんな、三、四歳の時から一日平均六、七時間はピアノを弾いているのだ。
     たった一曲を弾くのに、例えばラフマニノフの「ピアノ協奏曲第三番」では、
     私自ら半日かかって数えたところでは、
     二万八千七百三十六個のオタマジャクシを、頭と体で覚えて弾くのである。
     それもその一音一音に心さえ必死に籠めて……。
     すべてが大袈裟で、極端で、間が抜けていて、どこかおかしくて、
     しかもやたらと真面目なのは、当たり前のことではないだろうか。
     そしてここでも類は友を呼び、蛮族の周りには蛮族が集まる……。」

    という『はじめに』の一節で表現されているとおり、ピアニスト=蛮族という前提で語られたユニークでユーモアたっぷりのエッセイです。

     ■はじめに
     ■Ⅰ ホロヴィッツが死んだ
     ■Ⅱ 六フィート半のしかめっ面
     ■Ⅲ 神よ、我を許したまえ
     ■Ⅳ 女流探検家として始まる
     ■Ⅴ タイム・トラベラーの運命
     ■Ⅵ 音楽が人にとり憑く
     ■Ⅶ 久野久を囲んだ「日本事情」
     ■Ⅷ 最初の純国産ピアニスト
     ■Ⅸ ピアニッシモの残酷
     ■Ⅹ 鍵盤のパトリオット
     ■ⅩⅠ カンガルーと育った天才少女
     ■ⅩⅡ 銀幕スターになったピアニスト
     ■ⅩⅢ キャンセル魔にも理由がある
     ■ⅩⅣ 蛮族たちの夢
     ■参考文献
     ■あとがき
     ■二十年後のあとがき
     ■解説 向井敏


    『Ⅰ ホロヴィッツが死んだ』は、大ピアニスト「ウラディミール・ホロヴィッツ」の「ワンダ婦人」との結婚と、結婚後の義父「トスカニーニ」との難しい関係や娘「ソニア」の悲劇を語ったエッセイ、、、

    結婚により精神を病んだ「ホロヴィッツ」は、その死により初めて精神的に開放されたのでしょうが… ミラノにある「トスカニーニ家」の廟に埋葬されたらしいので、もしかしたらあの世で永遠に苦しんでいるのかも。


    『Ⅱ 六フィート半のしかめっ面』は、「ラフマニノフ」の大きな手や長い指による独特な演奏技術等を語ったエッセイ、、、

    ピアノの演奏には有利だった体型は、マルファン症候群という病気だったんじゃないかという説や、生きていた時代にピアニストとしては評価されつつも作曲家としての評価が惨澹たるものだったということを初めて知りましたね。

    生前はいつもしかめっ面だったとのこと… 病気で苦しんでいたことや、作曲家として評価されなかったことが影響していたのかもしれませんね。


    『Ⅲ 神よ、我を許したまえ』は、「バッハ」のことや、共産圏での芸術家の扱いについて語ったエッセイ、、、

    「バッハ」は、女好きだったのかな… そんな印象が強く残りました。


    『Ⅳ 女流探検家として始まる』と『Ⅴ タイム・トラベラーの運命』は、本邦ピアニストの草分け「幸田延」について語ったエッセイ、、、

    この方、初めて知りましたが作家「幸田露伴」の妹なんだそうです… 男尊女卑が当たり前だった時代に欧米に留学してクラシック音楽を学び、日本で教えるってことは想像以上に大変だったんだろうなぁ。

    ホントに当時の環境下では、探検家であり、タイム・トラベラーのような存在だったんでしょうね。


    『Ⅵ 音楽が人にとり憑く』、『Ⅶ 久野久を囲んだ「日本事情」』、『Ⅷ 最初の純国産ピアニスト』、『Ⅸ ピアニッシモの残酷』は、「幸田延」に続く本邦ピアニストの草分け「久野久」の悲劇を語ったエッセイ、、、

    邦楽を学んでいたものの、兄「弥太郎」の助言から片足が不自由というハンディもあり成功が厳しいと判断して、15歳からピアノを始め、不屈の闘志と凄まじい練習によりピアノを始めてから9年で母校(東京音楽学校)の教官を努めるまでに評価された「久野久」… 身体を震わせながら、満身の力をこめて鍵盤叩き、時には指先から血を流しながら演奏を続け、着物は乱れ、帯は緩み、花かんざしはステージのどこかに吹っ飛ぶと表現されているように、魂の込められた、情熱的で或る意味狂人的な演奏に現れているように、芸術家肌の烈しい性格だったようですね。

    そんな彼女が日本一のピアニストという声望と自信を持ち、世界での活躍を夢見て訪欧… しかし、本場での演奏水準の高さに驚き、師事したドイツ人のピアニスト「ザウワー」から基礎からやり直せとまで言われ、すっかり自信を失う、、、

    そして、ホテル4階の屋上から飛び降りる… 悲劇ですね。


    『Ⅹ 鍵盤のパトリオット』は、遅咲きのピアニストでポーランドの初代首相として政治家としても活躍した「イグナッツ・ヤン・パデレフスキー」について語ったエッセイ、、、

    24歳にもなってからチェルニーの教則本から基本を本格的に練習し始めたにも関わらず、欧米で空前絶後のカリスマピアニストとしてスターとなった人物… ただし、政治家生命を終えて、ピアニストに戻ってからの演奏は、熱狂的に迎えられたものの、二度と過去の輝きを取り戻すことはなかったようですね。


    『ⅩⅠ カンガルーと育った天才少女』と『ⅩⅡ 銀幕スターになったピアニスト』は、タスマニアでの極貧の生活の中から、ピアニストとしての才能を見出され銀幕スターとして活躍した「アイリーン・ジョイス」について語ったエッセイ、、、

    辺境の地で生まれ、友達はカンガルーだったという野生の少女は、欧州でピアニストとして成功するが… あまりにも美貌だったことや映画スターとして成功したことが災いし、ピアニストとしての評価が歪められてしまったようですね。


    『ⅩⅢ キャンセル魔にも理由がある』は、キャンセル魔だった「アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ」について語ったエッセイ、、、

    彼はキャンセルするたびに、大真面目に、
    「私は大変に高額なギャラを貰っている。
     それなのに不充分な演奏をしたら、聴衆に申し訳ないではないか」
    と語ったとのこと… これだけのことを言える存在になりたいものです。


    『ⅩⅣ 蛮族たちの夢』は、ピアノの魅惑や拷問器具にも似た指の強化器具、ピアニストの競争環境等、終章として作品の全体をまとめたようなエッセイ、、、

    女性ピアニストに関する、
    「女性ピアニストというのは、
     どうしても性格的には勝ち気で負けん気で強情でしぶとくて、
     神経質で極めて自己中心的で気位が高く恐ろしく攻撃的かつディフェンシヴで、
     そして肉体的には肩幅のしっかりとした筋肉質でたくましい、
     というタイプになってしまう。
      ~中略~
     社会との健康的なつき合いが才能のある人間ほど少なくなってしまうため、
     一般の常識からみれば、
     どこかピントの狂った頓珍漢が多いのである。
     ゆめゆめピアニストなんぞを女房にするものではない。」
    という分析が印象に残りました。


    なかなか愉しく読めましたね、、、

    名だたるピアニストの逸話やゴシップ、奇行、珍談を材としており、純粋なエッセイというよりは、ノンフィクション作品っぽさを感じさせるエッセイでしたね… 「中村紘子」の他のエッセイを読んでみたくなりました。

  • 文章こなれていて、うまい。
    (音楽家って、文章のうまい人、多いなあ)

  • 文春文庫から中公文庫へお引っ越しの、ピアニスト・中村紘子さんのエッセイ集です。文章は「名手」の呼び声の高さのとおりで、やや硬質な中に、ときどき軽さをふっとはさんだ感じ。「蛮族」ピアニストの横顔を面白く読めました。あえて言うならば、エッセイのうち半分くらいには、ゴシップ好きの人なら結構知っている事実が連ねてあるように思うので、もうひとつ踏み込んだものを知るために読むものとはちょっと違うように思います。あくまでもイントロもしくは、重めパートのフレーバーという感じでしょうか。そうはいっても、幸田延や久野久など、重ための素材を扱ったパートでは、パイオニアというにはあまりにもハードな局面に置かれたピアニストたちを丹念に描かれており、「音楽が人にとり憑く」という熱さ、寒々しさが印象的でした。音楽につかず離れずで楽しんできた(というよりも、あちらに好かれてなかったような:笑)私にはちょっとわからない感覚だけど、文字通りとり憑かれた人もいるだろうし、そう考えて生きていくしかなかった人もいるというのは、実に因果な商売だなぁと思ってしまう。ピアニストのかたの文章にはなぜか、「わかってもらいたいのにわかってもらえない欲求不満」的なにおいが漂っているような気がして、この本でも「そんなに思わなくても…」と正直に思ってしまったところがあるのと、重い軽いのバランスがもうちょっと取れていてもいいように思った(←エラそー)ので、この☆の数です。ごめんなさい。

  • 以前、中村紘子が出演する音楽番組を見たことがある。新進ピアニストの演奏を聴いて彼女がアドバイスをするという企画。彼女は模範演奏も交えつつこうアドバイスする。「音楽をやる者にとって何よりも大切なのは、音楽を通じて自分が何を表現したいのか、何を伝えたいのかということなのよ」ああ、かっくいー人だなあ、とぼんやり思っていたけれど、なるほど、この人は文章でも自分をしっかりと表現していて、がんがん伝わってくるものが。美しく洗練されていながら、力強さと音楽に対する熱い想いが感じられる文章がかっくいー。久野久のことは初めて知った。とてつもなく残酷な話だと思った。

著者プロフィール

2001 年 神戸女学院大学人間科学部卒業
2006 年 名古屋大学大学院環境学研究科博士後期課程単位取得後退学
現職 愛知淑徳大学人間情報学部 助教
専門分野は,認知心理学,思考心理学

「2019年 『心理学実験演習 図表作成マニュアル』 で使われていた紹介文から引用しています。」

中村紘子の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×