- Amazon.co.jp ・本 (246ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122052727
感想・レビュー・書評
-
文章・論理が明解で読みやすい。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
司馬遷について、勝手な思い込みがいくつもあったことに気づかされた。
最大のものは、代々史官の家系で、若い時から史記を編纂するべく生活していたということ。
ところが、本書によれば、司馬氏は武官の家柄で、文官になったのは遷から六代前に過ぎず、「太史公」になったのは父の司馬談であるという。
太史公は武帝が初めて置いた官職であるから、世襲も何もない状況だったようだ。
本務は天文や祭祀を司ることであったという。
父、談は太史丞、太史令と昇進してきた、たたき上げの人。
息子の遷は二十三歳で「郎中」という近習の役職になるも、十三年後の父の死まで、その官にとどまり続け、昇進していないとは。
また、本書によれば、『史記』は、父談の始めた、あくまでも私的なプロジェクトだった。
これも、武帝の命なり、職掌としてなりで始めたことだと思い込んでいたことだ。
父が志半ばで病死し、その遺言で父の仕事を引き継いだ遷は、それから三年して太史公となったという。
加地さんによれば、父にはまだ黄老思想(神仙術と老子の思想が混ざったもの)が影響し、息子は師匠が董仲舒であったこともあり、儒教思想であり、また天人相関説がバックボーンにある、と解説されていた。
それが「八書」の構成に影響しているのでもあるとのこと。
李陵事件は、やはりよくわからないことが多いらしい。
加地さんは「平準書」という、国家財政を扱った部分の存在から、李陵擁護は武帝の対外強硬政策を批判であり、それが武帝の逆鱗に触れたのだと考えている。
そこで宮刑(贖罪金を払うことができなかった)に処せられた時、失職しただろうとのこと。
意外なのは、その二年後、改元による大赦で再び武帝に召され、中書令(宦官である秘書官)という、遷のために作った地位を与えられたこと。
しかし、それもまた、歴史を記すのが本務ではないのだ。
当時の政治的な布置、思想史の流れ、孝の思想など、司馬遷を描く背景が与えられた感じがする。
そうして、ほんの僅か、知ったことが増えると、分からないことがたくさん出てくる。
最後に武田泰淳の『司馬遷』をめぐる加地さんの批判、援護者への再批判の文章も収録されていた。
それから更に時が流れたことになる。
その後の史記研究で、どんなことが明らかになっただろう? -
目次:
はじめに
第一章 歴史家・司馬遷の誕生
1――青春放浪
2――司馬遷の系譜と生い立ちと
3――放浪以後の司馬遷
4――道家思想と儒家思想と
第二章 『史記』の時代――呪術と迷信とのなかで
1――漢代の呪術と迷信と
2――武帝の性格
3――司馬遷の武帝像
4――天人相関説
5――司馬遷の世界観
第三章 『史記』完成への道
1――李陵事件
2――腐 刑
3――不孝者の意識
第四章 司馬遷の世界
1――去勢コンプレックス
2――『史記』の構成とその意味と
3――論賛の成立
4――自画像
おわりに
別 表
あとがき
付論――「後記」に代えて
(一)武田泰淳の虚像
(二)再説「武田泰淳の虚像」―石上玄一郎氏に答う
(三)「武田泰淳の虚像と実像」について