- Amazon.co.jp ・本 (376ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122054257
感想・レビュー・書評
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読んでいる間中、自分も一緒に逃げている気分になってしまってとても辛かった。傍観者でいられなくて、逃げて逃げて、どこまでもどこまでも。
読み終わった後に自分の感情を表す言葉が見つからなくて、暫く引きずってしまっていた。言葉にできたら、楽になれたわけではないけれども。
愛情も、罪も深すぎて。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
物語が進むに連れて、希和子と薫の視点が頻繁に切り替わるようになって、それぞれの心理が重なり合う部分とすれ違う部分は、読者としても心が動かされました。
それぞれの母と子としての物語、女であることも考えさせられる作品でした。
個人的なエピソードなのですが、この作品を母に勧められて読んだので、その辺も少し感慨深いなぁなんて思ってます。 -
希和子の目線と薫の目線の2部構成なのが読みやすく、すらすら読めた!
話としては面白く読めましたが、じゃあ希和子の行動に同情出来るかと聞かれたら全くできません。
大人の都合で、普通の人生を歩めなかった薫と千草にはこれからの人生幸せに暮らしてほしいです。
最後の解説で、「過激なフェミニズムな小説」や「生理の犯罪」って表現があったのが残念。ちょっとこの考えには納得できなかった。 -
なぜ私なのかは、裏を返せば大人の勝手な都合に翻弄されるということで、その大人もまた、人間関係に傷つく。それでも、海や木や光や、きれいなものをたくさん子供に見せる義務があると、野々宮希和子も、恵理菜も、同じことを考えるのは、どんな母親も考えることだろう。いつか希和子と恵理菜が出会い話すときが来るのだろうか。
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表紙に惹かれなかったので(写真のじゃなくてピンク色のやつ)読むつもりはなかったけど、映画が良かったので原作を手にとってみた。ストーリーを知ってるけど夢中になって一気に読んでしまった。映画は薫が大人になってからの話が割と長かったけど、原作はあくまで希和子がメインという印象を受けた。映画は心理描写をより丁寧にしたがスリルはない印象だったのに対し、原作ではスリルも楽しめた。それぞれに良さがあるけど、自分は原作のほうが好きかもしれない。
自分は斜め読みしてしまうタイプで特に、面白い本だと早く読みたいくてそうなってしまう。そうすると一つ一つのセリフを味わうことはできなくなってしまう。だから映画で「その子はまだ朝ごはんを食べていません。」というセリフを聞けたのは良かった。
あと映画にはなかったが紀和子がそのくらいの年頃の女の子を見て薫…と呼びかけてしまう(実際、薫だった)というシーンが好きなのでこれは映画の中で見たかったな〜。
本の中にセミのくだりはあったけど「八日目の蝉」という題名の意図がよくわからなかった。考察などあれば返信で教えてほしいです!
最近入った本ではないのに、この本を借りたのは自分が一番最初だった!(地域の図書館)面白いし、映画の知名度あるのに… -
角田光代さんの作品はこれで2作目です。
前回は、「対岸の彼女」を読みましたが、この「八日目の蝉」も2章の構成が似ているなぁと思いました。私はこのような二つの次元の話が交錯して交互に進められていくのが好きです。
今作品は、とにかく1章の逃亡劇も目を見張るものがありますが、タイトルにある八日目が始まるのは2章からだと思っています。たとえ血が繋がっていなくても愛は変わらずそこにあることを示した貴和子、血が繋がっているが母親足り得なかった恵津子、そして恵里菜。一回で出てくる登場人物全員の気持ちに寄り添うことはできなかったが、物語の至る所に母親から子への愛情を感じ取ることができた。もう一度読み返したいと思う一冊。 -
もともと、NHKドラマから入り、原作読み、
映画を見て、かなりどハマり。
そして再読。
せつない。
一言で言えば。
ラストなんてわかっているのに、
そのページが迫ってくると、あわあわしてしまう。
そりゃ、犯罪だし。
キワコに寄りすぎてはいけないとは、思うけど。
それでも、親子の絆を改めて考えた。
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「なんかさ、毎日あって話をする人って、いそうでいないと思わない?大学でおんなじ顔ぶれに会うけど、そんなの通勤電車に乗ってるのとかわらないんだよね。そうじゃなくて、会って、話して、笑ったり、質問したり、そういう人ってめったにいないでしょ?昔っから、そんな感じなんだよね。だから、たとえば岸田さんと、あ、岸田さんって例の暗そうな人だけど、あの人と毎週会ってると、なんていうか安心するんだよ。先週の自分と今週の自分が同じだって、ちゃんとわかるっていうのかな」