八日目の蝉 (中公文庫 か 61-3)

著者 :
  • 中央公論新社
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本棚登録 : 21407
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  • Amazon.co.jp ・本 (376ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122054257

作品紹介・あらすじ

逃げて、逃げて、逃げのびたら、私はあなたの母になれるだろうか…。東京から名古屋へ、女たちにかくまわれながら、小豆島へ。偽りの母子の先が見えない逃亡生活、そしてその後のふたりに光はきざすのか。心ゆさぶるラストまで息もつがせぬ傑作長編。第二回中央公論文芸賞受賞作。

感想・レビュー・書評

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  • 1.著者;角田さんは、大学在学中にジュニア小説でデビュー。「お子様ランチ・ソース」で集英社のコバルト・ノベル大賞を受賞しました。その後、「対岸の彼女」で直木賞、「ロック母」で川端康成賞など、数々の文学賞を受賞。文学以外には、学生時代からボクシングを始め、音楽はサザンオールスターズのファンだそうです。
    2.本書;(1)第1章は、主人公(希和子)が不倫(秋山)の子を懐妊。しかし、説得され、堕胎する。所が、相手の妻には子供ができ、希和子がその子を誘拐し、逃亡を続ける話。
    (2)第2章は、誘拐した子(薫)も、不倫(岸田)の子を妊娠。自分で育てる決意をするという話。◆ちなみに、本書は「中央公論文芸賞」受賞作品です。
    3.個別感想(気に留めた記述を3点に絞り込み、私の感想と共に記述);
    (1)第1章より、「薫に何を与えてやることが出来るのか。私には何をしてやることも出来ない。私と一緒にいる限り、この子には父親も親類もいない」「戸籍も住民票もないあの子を、どうやって学校に入れてやるのか」
    ●感想⇒この誘拐は営利目的ではありません。だが、これは犯罪であり、許されざる行為です。所で、不倫相手の赤子を誘拐した理由は書かれていません。読者の受止めは、読者の生まれ育った環境や思い・拘り等により、様々でしょう。不倫相手への報復とか、馬鹿な女だと詰る人もいるかもしれません。
    私は、希和子が堕胎した子の幻影を見て、償いの気持ちと同時に母性本能が芽生えたと思いたい。本書の所々にある母娘の交流を読むと、主人公が実娘と思えるほどの愛情を注ぐ場面に出くわし、不憫で切ない気持ちになります。
    (2)第2章より、「子供ができたかも(薫)」「路地に立っていた暗そうな人、今付き合っている人、奥さんと子供がいるんだよ。・・・面倒な事からは逃げる人だから(岸田)」
    ●感想⇒薫は、岸田に子を身籠ったことを言わず、自分で生んで育てる決意をします。小説とはいえ、批判がよいのか、同情がよいのか、悩ましい問題です。究極的には、当事者同士の問題なのでしょう。
    老婆心ながら、愛情だけで子育て出来ません。シングルマザーの子育ての厳しさは想像以上です。子供ができたら、どうすべきかを二人で十分に話合い、解決策を見出すのが、人間としての最低限の責務です。道徳心の無い似非愛で、周囲に不幸な人を決して作ってはいけないのです。
    (3)第2章より、「なぜこんなに嘘ばかりつく男(秋山)を好きでいたんだろう。・・・取り合うような魅力のある人には思えないし、思いやりがあるようには思えない」
    ●感想⇒不倫は、人の道を外した罪深い行為です。男女双方に責任はあります。だが、子供ができて、女性に丸投げする男は最低です。世間では、だらしのない男に惚れた女性も悪いと言うかもしれません。
    当事者と傍目の違いがあるかもしれませんが、私は男が見て見ぬ振りをして、逃出す態度を許せません。仮に相思相愛としても、女性を一時の欲望で食い物にする卑劣かつ卑怯な男に嫌悪感を感じます。そういう人間は、いずれ相応の報いを受けるでしょう。
    4.まとめ;本書を読んで、考えさせられたのは、家族とは何かという事です。家族は、血のつながりが基本です。主人公が赤子を誘拐して育てたのは、自分に辛い過去(堕胎と子が産めない体)があるからだと思います。親子関係は、血のつながりだけでなく、日常生活の中での愛情の注ぎ方次第と思います。「生みの親より育ての親」は至言です。わが子への暴力や子育て放棄の新聞記事を目にする度に辟易します。
    さて、本書のラストシーンである、フェリー乗り場での希和子と薫のすれ違いについて、著者は読者に何を語りたかったのか、その後の二人は幸せだったのか。私はハッピーライフを期待してやみません。
    本書は、結末を知りたくて、先へ先へと読みたくなる小説です。角田さんの読者を感情移入させる力量に脱帽です。ただ、薫が希和子と類似した不倫と懐妊する設定はフィクションとは言え、やや違和感があります。不遇な子供ほど、人一倍に努力している現実を間々知っているからです。創作活動だからと割切れば、これも“是なり”という事なのでしょう。  ( 以 上 )

    • ダイちゃんさん
      村上マシュマロさん、今日は。ダイです。コメントして頂き、ありがとうございました。非常にご丁寧かつ分かりやすい文章で、お誉めの言葉も頂戴し、恐...
      村上マシュマロさん、今日は。ダイです。コメントして頂き、ありがとうございました。非常にご丁寧かつ分かりやすい文章で、お誉めの言葉も頂戴し、恐縮しています。私事ですが、若い頃、経理部に異動して、簿記と会計学に悪戦苦闘しました。今、振り返ると、経理経験がその後のビジネスマン生活に大変役立ちました。私も、当時の上司に感謝しています。今後も、よろしくお願いいたします。
      2022/05/26
    • ダイちゃんさん
      ご隠居さん、返信コメントして頂き、ありがとうございました。私も、別の作品で、お会いすることを楽しみにしています。よろしくお願い致します。
      ご隠居さん、返信コメントして頂き、ありがとうございました。私も、別の作品で、お会いすることを楽しみにしています。よろしくお願い致します。
      2022/05/26
    • 村上マシュマロさん
      こんばんは、ダイちゃんさん。コメントの返信及びフォローをありがとうございます。今後とも宜しくお願い申し上げます。
      こんばんは、ダイちゃんさん。コメントの返信及びフォローをありがとうございます。今後とも宜しくお願い申し上げます。
      2022/05/26
  • 不倫相手の子供を誘拐し、3年半逃亡し続けた女と、誘拐された子のその後の生き様、成長、気付きが描かれた作品。

    悲しい、切ない、でも狂おしいほど愛おしい。
    男の私が読んでも、そう感情が応答した。

    そして、本作で描かれるどうしようもない男ども。
    はしたない、みっともない、兎角情けない。
    同じ男として、お詫び申し上げたいほどに不様で気持ち良い。

    誘拐し、奪った他人の子に注ぐ愛情の在り方。
    誘拐され、戻った我が子に注ぐ愛情の在り方。
    そして、本書が描く親子の在り方。

    それぞれに垣間見えるジレンマがとても生々しく描かれていて、魅了された作品であった。

  • 『僕のへそのを緒を見せて!』母親にそうねだった私。そのものを見たいわけじゃない、自分の母親が本当に自分の母親なんだという証拠が欲しかった私。桐箱に入れられた貝の干物のようなそのへその緒を見て安堵する私。小さい頃、自分の親が本当の親かどうか不安になる瞬間、気持ちって多かれ少なかれ誰にでもあるのではないでしょうか。一方で、生みの親と育ての親という役割で説明されるように、親と子は必ずしも血が繋がっていることがすべてというわけではありません。そういった場合、そのことについて、子どもが物心ついたタイミングを見計らってその関係を伝える場合が多いのではないかと思います。自分と親の関係を正しく理解してその関係を深めていく。では、今この瞬間まで母親だった人と、強引に引き離され、代わりに現れた見も知らぬ女の人が、私があなたのお母さんよ、と告げたとしたら、そして今まで母親だと思っていた人とは二度と会うことない未来が、なんの前触れもなく突然訪れたとしたら、その時、その子は何を考え、どのように行動していくのでしょうか。この作品はそんな数奇な人生を送ることになる赤ん坊の物語です。

    『氷を握ったように冷たい。その冷たさが、もう後戻りできないと告げているみたいに思えた』と、ドアノブを掴むのは野々宮希和子、二十九歳。この時間帯は『ドアは鍵がかけられていない』ことを知っていた希和子。『ついさっき、出かける妻と夫を希和子は自動販売機の陰から見送った』という希和子はドアノブを回して部屋の中に入ります。『何をしようってわけじゃない。ただ、見るだけだ。あの赤ん坊を見るだけ。これで終わり。すべて終わりにする』と思う希和子。そのとき『襖の向こうから、泣き声が聞こえてきて、希和子はびくりと体をこわばらせた』、襖を開けると『赤ん坊は手足をばたつかせて泣いている』という光景を目にする希和子。そして『爆発物に触れるかのごとく、おそるおそる手をのばし』ます。『妻は夫を、最寄り駅まで車で送っていく。赤ん坊を連れていることはなかった』という予定された結果論としての目の前の光景。『私だったら、絶対こんなところにひとりきりにしない。私がまもる。すべてのくるしいこと、かなしいこと、さみしいこと、不安なこと、こわいこと、つらいことから、私があなたをまもる』と思いつめる希和子は、『コートのボタンを外し、赤ん坊をくるむようにして抱き、私はがむしゃらに走った』と、赤ん坊を連れ出します。『向こうからやってくるタクシーが空車であると読みとるやいなや、反射的に手を挙げていた。「小金井公園まで」』、そして朝の閑散とした公園に着いた希和子は『まずすべきこと。名前だ。そう、名前』、『薫。真っ先に思い浮かぶ。かつてあの人と決めた名前。男でも女でも通用する、響きの美しい名前をいくつも挙げ、そのなかから選んだのだった』と赤ん坊の名前を決め『薫、薫ちゃん』と呼びかけるのでした。行く宛のない希和子は『あのね、康枝、助けてほしいの』と友人に電話をかけ、数日間面倒を見てもらいます』。そして、新聞記事を気にする希和子。『昨日も、新聞には何も出ていなかった。きっと今日もだいじょうぶだ』と毎日不安な日々を送ります。そして、康枝の元を後にする希和子。『解約したばかりの永福の住所と、でたらめな電話番号』を書いて康枝に手渡した希和子。『ふりかえって私も幾度も手をふった。ひょっとしたらもう二度と会えないかもしれない友だちに』、と希和子と薫の逃避行が始まりました。

    他人の赤ん坊を連れて逃げるという大胆な展開を軸とするこの作品。二つの章から構成されていますが、第1章では、希和子と薫の逃避行が、そして第2章では大学生になった恵理菜(薫)の日常生活と過去の振り返りが描かれていきます。作品の構成からいってもメインとなるのはあくまで第1章だとは思いますが、読み終わって後に残る印象は圧倒的に第2章の重苦しい雰囲気でした。

    まずその第1章ですが、そもそもそれ以前にこの作品はとても不思議な作りをしているように思いました。子供が連れ去られるという大きな犯罪がこの作品の核を占めているにもかかわらず、描かれるのは子供を連れ去った側の理屈です。第1章の全てに渡って視点はあくまで希和子視点。そこには複雑な背景に立つ希和子の事情が語られ、そして読者が魅かれていくのは薫を自らの子供のように見る『母』としての眼差しです。育児は当然初めての希和子。『隅々まで洗った風呂にお湯をため、薫と入る。薫は、お湯に浸かると大人みたいな顔をする』と薫の表情の変化に見入る希和子。『目を細め、口を開け、ほうと息をつくのだ、なんという幸福がこの世のなかにはあるんだろう』という母と子の幸せな瞬間の描写。また、『うっすらと目を開けると、真ん前に薫の寝顔があった』と添い寝する希和子。『ちいさな顔、薄く開いた唇、したたる透明のよだれ。薫の、なまあたたかい息が私にかかる。なんという幸福』という希和子の心から幸せを感じる表情が目の前に浮かびあがる描写。これらが二人の関係を仲睦まじい本物の母と子であるかのように感じさせていきます。目立たないように息を潜める日々、当て所なくあちらこちらを彷徨う日々、そして未来の姿が見えてこないふたりの日々が描かれていくと、読者としては逃避行する希和子に自然と感情移入して、思わず『逃げ切って欲しい』とさえ感じてしまう、この感情が生まれるのは必然の流れとも言えます。でも、どこまでいっても、これは『幼児誘拐』という犯罪行為です。薫の本当の親である秋山夫妻視点から見れば、ここで読者が抱くことになる感情は全くありえない話です。この辺り、少し冷めて見てしまうと、そこには全く違う世界が見えてくるようにも思いました。もちろん、この作品のテーマ的には問題にするのはそこではないとは思いますが、視点の位置をどこに置くかで全く違う世界が見れるということをとても感じました。

    そして、次にとても重い内容が展開する第2章ですが、そこには『誘拐犯に育てられた子』というレッテルを貼られた恵理菜(薫)の苦しみが描かれていました。『払っても払ってもつきまとう蝿のようなもの』と表現されるその毎日。学校生活のみならず、数多く出版される書籍の記述によって奇異な目で見られる毎日。『私の感じていたうっとうしさと、本に書かれた事件とは、私のなかで結びつかなかった』という自分のことなのに他人の話を読んでいるかのような感情の交錯。そして、それは恵理菜(薫)の『なんで?なんで私だったの?』という素朴でありながら核心を突く叫びへと繋がっていくのは必然のこととも言えます。しかし、そんな苦しみを『私のいる場所はもうここしかないのかもしれない』という現実への理解と諦観の気持ちに持って行かざるをえない恵理菜(薫)。想像を絶するような苦しみ、誰にも分かってもらえない苦しみ、そして終わりの見えない苦しみからくる心の叫びが章を通じて息苦しいまでに伝わってきました。

    『ここではない場所に私を連れ出せるのは私だけ』、かつて抱いた気持ちが恵理菜(薫)の心に蘇る瞬間、『どこかにいきたいと願うのだったら、だれも連れていってなんかくれやしない、私が自分の足で歩き出すしかないのだ』と顔を上げる恵理菜(薫)。大人の身勝手な理屈に翻弄されることで始まったその人生。『八日目の蝉は、ほかの蝉には見られなかったものを見られるんだから』という視点の切り替え。『見たくないって思うかもしれないけど、でも、ぎゅっと目を閉じてなくちゃいけないほどにひどいものばかりでもないと、私は思うよ』という千草の言葉を思い出す恵理菜(薫)。『憎みたくなんか、なかったんだ。私は今はじめてそう思う。本当に、私は、何をも憎みたくなんかなかったんだ。あの女も、父も母も自分自身の過去も』と気づいたその先に、恵理菜(薫)だからこそ見える、恵理菜(薫)だからこそ歩むことのできる誰も見たことのない、新しい未来の景色が見える結末が待っているのだと思いました。

    重くのしかかるストーリーに圧倒されながらも、希和子と恵理菜(薫)がそれぞれ歩んできた過去と、これから歩んでゆくことになるそれぞれの未来に、静かに思いを馳せることになる読後の深い余韻。海面で光が踊るその感動の結末に心が震わされる角田さん渾身の傑作だと思いました。

    • さてさてさん
      naonaonao16gさん、ありがとうございます。

      後半の第2章の重厚さにとても息苦しさを感じた作品でした。主人公の視点をどこに置い...
      naonaonao16gさん、ありがとうございます。

      後半の第2章の重厚さにとても息苦しさを感じた作品でした。主人公の視点をどこに置いて描いていくかで見えてくるものが違ってくるということをとても感じました。
      2020/06/19
    • ロニコさん
      さてさてさん、こんばんは^_^

      さてさてさんは、今、角田光代週間なのでしょうか?
      「八日目の蝉」は、読んでいる時も読後も心が掻き乱され、レ...
      さてさてさん、こんばんは^_^

      さてさてさんは、今、角田光代週間なのでしょうか?
      「八日目の蝉」は、読んでいる時も読後も心が掻き乱され、レビューが書けませんでしたが、さてさてさんが、鮮やかなレビューを書いて下さり、記憶が掘り起こされ、深いため息が出ました。

      私も偶然、角田光代さんの作品を読み終えたところです。
      「森に眠る魚」という少し前の小説ですが、20年ほど前に実際にあった事件をモデルにしたと話と言われています。
      角田光代さんは、「母親」という生き物の特殊性を実にリアルに書き上げる方ですよね。
      読むたびに自分を振り返らずにはいられません。
      2020/06/21
    • さてさてさん
      ロニコさん、ありがとうございます。
      角田光代さんの世界に三日間浸らせていただきました。
      この「八日目の蝉」は実は先に映画を見て予習をしてから...
      ロニコさん、ありがとうございます。
      角田光代さんの世界に三日間浸らせていただきました。
      この「八日目の蝉」は実は先に映画を見て予習をしてから臨みました。後半に行けば行くほど重くなる内容にとても衝撃を受けました。
      私もまた、角田さんの作品を読みたいと思います。「森に眠る魚」の感想を楽しみにしています。
      2020/06/21
  • 地上の蝉は一週間の命…
    はかないけど、もし八日目の命を与えられたら、果たしてそれは幸せなのか?

    「八日目の命」が何をさしているのか?
    終盤にその意味が解き明かされていく。

    「母性」がテーマだという。
    不倫相手の娘を誘拐した女の逃亡生活(一章)と、逮捕された後(二章)を描く。

    一章は、僕が男だからなのだろうか、誘拐犯に感情移入できなくて、気持ちの持って行き場のない展開で、読み進めるのがとてもきつかった。

    誘拐された娘の視点で書かれた二章になってから、ぐいぐい引き込まれた。

    最終的には、母(育ての?)と娘のストーリーに収斂していく。
    ほかの蝉が見ることができなかったものを見られる八日目の蝉。救いはあった、と考えるべきなのか…

  • 誘拐は許させることではないけれど希和子が薫に注いだ愛情が真っ直ぐで愛おしくどうか逃げ切ってほしいとさえ願ってしまった。妻帯者と知りながらも関係を続けた希和子の愚行を諌めたいが、産めない身体になってしまった背景には同情した。何もかも捨てる覚悟で本当の母親以上に薫を大事に育てていることが痛い程伝わりこのまま平穏に暮らしていければどんなに良かったか…
    誘拐犯に育てられた子ども恵理菜は、実母は母親らしくない母親で家族とのわだかまりを解消できずに成長していた。全部誘拐したあの女が家族をめちゃくちゃにしたと憎んでいた。しかし、恵理菜自身身籠り、小豆島を眼の前にしてふいに連行され離れ離れにされたときの母親の叫びを、「この子はまだ朝ごはんを食べてないの!」と思い出す。認めたくない、思ってはいけない、と気づかないようにしてきたけれど心の奥底に潜む思い、あの人とずっとあそこで生きていたかった。恵理菜を誘拐したあの人は、薫にとっては間違いなく世界に一人の優しかった「お母さん」だったと、そしてまた母親らしくない母親も「お母さん」なのだと、この子と共に生きていくことを決意したところで気付いた場面にジーンとした。

  • ん~思ってたのと違ったかなぁ…と思いました

    最初の1~2ページ目で違和感を感じてしまって
    女の子を誘拐する、犯罪を犯す前に シチュエーションが
    【実の親が毎朝八時十分から二十分ほど留守にする】
    【旦那を最寄りの駅まで奥さんが毎朝送る…赤ん坊を1人にして…】
    【その最寄りの駅まで送迎の間、鍵はしめないで開きっぱなし…】
    【なんならカーボン系のストーブつけっぱなし…】

    んんん…無理あるなぁ…
    誘拐の前に実の親が【たいした人達ではない、訳あり確定】
    最後に親がどんな人達かも出て来るが…

    んんん…1ページ目から【出オチ】って感じで
    内容は内容で重いので…
    何か 勿体ない…と思いました

  • 全体的にとても美しくて読みやすい文章でした。
    赤ちゃんの描写が読んでいてとても可愛らしくて、自分の子どもが小さかった頃のことを思い出しながら読みました。
    前半の逃亡劇にはハラハラさせられっぱなしで、気づいたらページをめくる手が止まりませんでした。逃亡中に関わる個性あふれる人々も魅力いっぱいでした。千草の存在もあたたかかったです。
    希和子が捕まるシーンでの一言には号泣でした。
    小説を読んで泣いたのは久しぶりでした。

  • 『8日目の蝉、涙堪えるの大変だった。』
    『聖地巡礼したもん!』

    そんな風に会社の先輩におすすめされ
    手に取った『八日目の蝉』。

    全2章からなり
    1章では、不倫相手の奥さんが産んだ娘を誘拐し、
    薫と名付け、逃亡しながら自分の娘として深い愛情を注ぎ続ける4年間。希和子の目線で話が進んでいく。

    2章では、実の家族の元に戻った娘、薫目線で
    話が進む。
    実の両親と自分を誘拐した母親たちについて。
    1章では語られなかった事実やそれぞれの関係性、
    家族と暮らす薫の葛藤が書かれる。

    実の家族からの愛情を感じられない事を
    全て希和子のせいだと恨みながら生きていく薫。
    そんな薫自身も不倫相手の子供を妊娠してしまう。

    薫の人生が切なくて、このお話のゴールはどこに向かって行くのかなと心配しながら読み進めていたが、
    最後、薫がお腹の子供を産もうと決意した時に、抱えていた不安や恐怖が消え、不倫相手や自分を誘拐した母への憎悪から解放される場面で、やっとホットできた。

    全てを受け入れて前進しようとする薫のたくましさに頑張ったね!と声をかけてあげたくなるような気持ちでいっぱいに…安堵と感動の不思議な読書体験でした(^^)

  • 読んでいる間ずっと苦しかった。どの女性に感情移入しても苦しい。逃げ場のない部屋にいるような気分でした。

    希和子の薫(恵理菜)への愛情は本物の母娘だったけれど、それは自己満足でしかない。
    人を憎むことで救われ、望むことも選ぶこともできなかった恵理菜(薫)。小豆島を訪れ、見られなかったものが見られてたらと願った。

  • 衝撃でした!
    産まれてすぐに連れ去られた薫。
    衝動的に女児を連れ去っても、どう考えても育てるのは難しい。後悔はなかったのか?本当に幸せだったのか?それでも、その後も4年間の逃亡生活を忘れられない希和子。小豆島での出来事に囚われて、でもその先へは進めない。辛いねぇしんどいねぇ、、、人生の歯車を狂わせたのは間違いなく責任も取れないくせに身勝手な男達。最後、2人が出会ってしまったら、フェリー乗り場で気づいてしまったらどうなるのか?胸が締め付けられた。恵理菜も同じにならぬよう、そして2人がどんなかたちでも幸せになって欲しいと心から思いました。映画見たい!小豆島いきたい!凄い!

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著者プロフィール

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部文芸科卒業。90年『幸福な遊戯』で「海燕新人文学賞」を受賞し、デビュー。96年『まどろむ夜のUFO』で、「野間文芸新人賞」、2003年『空中庭園』で「婦人公論文芸賞」、05年『対岸の彼女』で「直木賞」、07年『八日目の蝉』で「中央公論文芸賞」、11年『ツリーハウス』で「伊藤整文学賞」、12年『かなたの子』で「泉鏡花文学賞」、『紙の月』で「柴田錬三郎賞」、14年『私のなかの彼女』で「河合隼雄物語賞」、21年『源氏物語』の完全新訳で「読売文学賞」を受賞する。他の著書に、『月と雷』『坂の途中の家』『銀の夜』『タラント』、エッセイ集『世界は終わりそうにない』『月夜の散歩』等がある。

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