- Amazon.co.jp ・本 (309ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122056312
作品紹介・あらすじ
大正十五年十二月十五日未明、天皇崩御。その朝、東京日日新聞は新元号は「光文」と報じた…。世紀の誤報事件の顛末。歴代天皇の柩を担いできた八瀬童子とは?最晩年の森鴎外はなぜ「元号考」に執念を燃やしたのか?天皇というシステムに独自の切り口と徹底取材で迫る。
感想・レビュー・書評
-
昭和天皇の崩御前後の、妙な空気は体験している。連日のご容態
報道、日に何度も行われるバイタル・データの発表。行き過ぎた
自粛ムードはCMの「お元気ですか?」の台詞までを消した。
そして、故小渕恵三が掲げた新しい元号「平成」の文字。
本書では大正天皇崩御の際に起こった東京日日新聞(現・毎日新聞)
の元号誤報事件が、晩年の森鴎外が執念を見せた「元号考」に繋
がって行く。
新元号は光文。東京日日新聞はどこよりも早く新元号を報じた。
しかし、蓋を開けてみると新元号は「昭和」に決まっていた。
世紀の大誤報と言われる事件はいかにして起きたのか。その後の
東京日日新聞社内の対応が詳細に綴られている。
そして、この誤報事件の真相は鴎外が「元号考」執筆の際に助手を
務めた吉田増蔵の話へと繋がって行く。
本来は天皇の棺を担ぐ八瀬童子について書かれたものを探して
いて本書を手にしたのだが、この元号「昭和」誕生の話は面白
かったなぁ。
勿論、八瀬童子がどのようにして時代を乗り切って来たのかも
興味深かった。でも、もっと詳しい資料はないのかな。知っている
方がいたら教えて下さい。
多くの資料と当時を知る多くの人に取材し、丹念に書かれている。
猪瀬直樹もこの頃の作品はよかったんだなぁ。
昭和の元号についてを読んでいるうちに、桐生悠々の「昭和よ」
ではじまる文章を思い出した。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
天皇の葬礼になると八瀬の山から現れる「八瀬童子」にまつわる壮大な歴史ミステリーを期待していたが、本編では明治後の記録に残る事実を淡々と述べるに止まり、作者はせっかくいい題材を見つけたのに、結果は大いに期待外れだった。
-
途中まで
-
数冊も読んではいないのですが、どうも説明が下手なのではないか?同じレベルの人には出来てもすべての人にはどうなのか?マスターベーションと指摘されそうな。だから都知事も途中で……。
-
テレビでいつだったか八瀬童子のことをやっていたことがあり、非常に興味が湧き、本書のことも知りました。
まるまる一冊八瀬童子のことと思いきや、八瀬童子エピソードの割合はそんなに多くありません。
メインはむしろ昭和になる際にあった元号誤報事件や、元号制定の裏側、終戦時に松江で起きた県庁焼き討ち事件です。
小説と思い込んでいたのですが、ドキュメンタリーでした。
元号に関する報道をする記者の人たちも、元号の制定に携わった人たちも、そして太平洋戦争の敗戦を受け入れられずテロにおよんだ人たちも、八瀬童子の方たちも、天皇本人に会ったわけではありません。
どの人たちも実際の天皇ではなく、影法師のような幻影に翻弄されたのだと思います。天皇個人というよりも、元号も含めた”天皇制”というシステムに翻弄されたと言うべきでしょうか。 -
東2法経図・開架 210.09A/I56t//K
-
いやー、大きく何を切り口にまとめた本かも理解したつもりで言うけど、個別のエピソードは凄く興味深いものもそこここにあるけど、やっぱり全体としてはなんかとっ散らかった印象…。
-
天皇制とは合理主義に覆われたかに見える近代日本にあって、その中心に鎮座するある種の「不合理」である。本書はその「不合理」にあるいは吸い寄せられ、あるいは翻弄された人々の物語を鮮やかな筆致で描き出していく。
今上天皇が譲位(生前退位)の意向を示され、その具体的な日程なども報道されるなかで、本書は(初出は30年以上前だが)時事的な関心に適うものと言える。例えば、「不合理」の一側面として「元号」というものがある。日本は今や元号を有する唯一の国家とされるが、思えばこの元号というものは不思議なものである。21世紀にもなってそんなものが必要なのかと問われれば言葉に窮してしまうだろうし、実際ネット上では、例の「ご意向」発表以降「元号不要論」がちらほら聞こえてくる。本書に収められた4篇のエピソードのうち2篇は元号をめぐるものであり、この問題を考えるうえで重要な示唆を与えてくれるだろう。
なお、巻末には網野善彦による解説と、猪瀬直樹+東浩紀の対談が収められている。特に対談は2012年に行われたもので、近年の猪瀬の考えを知ることができる。そういえば、猪瀬は天皇の譲位(生前退位)に対してやや懐疑的な立場をとっているようだ。近代天皇制は「不合理」であるがゆえに重要な役割を担っている、との考えだろうか。 -
先日に今上陛下の「生前退位」にかかわるお言葉があったが、そもそも天皇とは何かを考えるうえで豊饒な知見を与えてくれる一冊。ある断片的なエピソードから始まり、それを綿密に追うことで闇に隠れた歴史を明らかにしていく、その見事な筆致はさすが猪瀬直樹。
本書は大きく4章に分かれる。
大正天皇の崩御から新元号「光文」誤報の顛末を描く「天皇崩御の朝に」。
八瀬童子と呼ばれる歴代天皇の棺を担ぐ村民を追った「棺をかつぐ」。
森鴎外は最晩年になぜ『帝諡考』『元号考』という歴史を書かねばならなかったのかを問う「元号に賭ける」。
敗戦ののちに松江で起きた擾乱とその顛末から見える戦後「恩赦のいたずら」。
どれも興味深い話だが、とりわけ「元号に賭ける」は、40ページほどの掌編だが、先に述べた天皇を考える上での重要になると思う。猪瀬は「生前退位」に関しては、「懐疑的」というアンビバレントな態度を示しているが(右のリンク先の動画10分過ぎを参照 https://youtu.be/k3IFr5p0GVc )、本書を読めばその意味がわかるだろう。印象的なテキストを引用する。
"「まさかお父う様だつて、草昧の世に一国民の造つた神話を、その儘歴史だと信じてはゐられまいが、うかと神話が歴史でないと云ふことを言明しては、人生の重大な物の一角が崩れ始めて、船底の穴から水野這入るやうに物質的思想が這入つて来て、船を沈没させずには置かないと思つてゐられるのではあるまいか」
提出されているのは、神話と歴史、信仰と認識を峻別した上で、なおかつそれらを統合する倫理基準を築くことは可能か、という問いである。"(pp.205-206) -
2013.1.4-2013.1.5
猪瀬直樹氏の本の面白さは、着眼点の良さだけではなく、関係者に対する広範な取材に基づく事実の積み重ねにある。
元号についての誤スクープ、八瀬童子、鷗外と吉田増蔵、終戦後の松江のクーデターなど、いづれも不勉強で知らなかつた事実で興味深く読んだ。
解説を網野善彦氏が書いてゐて、巻末に東浩紀と著者の対談がついてゐるといふのもお得だ。
文体は必ずしも好みではないし、編集も少し甘く、例へば鷗外の墓に名前以外の文字を彫らせなかつた理由など、説得力に欠けると思はれる部分もあるが、一読の価値は充分。ある程度の予備知識がないと面白さがわからないので、若い人には少し手強いかも。