青い絵具の匂い - 松本竣介と私 (中公文庫 な 44-2)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (205ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122056749

作品紹介・あらすじ

静謐な空間に時代の不安定な様相をも描出した夭折の画家松本竣介。親しく過ごした著者がその出会いから死まで、さらには没後の竣介絵画の評価と画壇事情を歴史的に記す貴重な証言。

感想・レビュー・書評

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  • 松本竣介との邂逅を書いた評伝的自伝。
    Y市の橋の表題がもとは「運河風景」だったとか、Y市の橋が一部カットされて発表されているとか、そういう話が面白い。

  • 油絵画家、松本俊介と親しかった著者の眼から描いた伝記。
    時代は第二次世界大戦中。
    自分の街が焦土と化していく中で、死が迫るのを恐れながら、画家としての
    アイディンティーを保ち、絵を描き続ける。日記のように状況がリアルに書かれているので、すごい時代だったな・・・と思った。
    第三者がその人が生きた時代も含めて、その人の周りから生き方を浮き彫りにしていくというのが面白いなーと思った。

    よかった言葉。
    ~『絵の制作には、ふだん栄養をたっぷり摂っておいて、描くときには一気に吐き出すんだ』栄養を摂るというのは、良い絵に接すること、デッサンを蓄えることだった。~

  • 2012年夏、神奈川県立近代美術館の葉山館にて開かれた「松本竣介展」は忘れ難いものです。

    ひとつめの広い展示室を逍遥しつつふたつめの部屋に足を踏み入れると、並べて飾られた「立てる像」と「画家の像」は存外に大きいのでした。

    その気負いのない姿。それでいて、思索が彼を立たせているかのような、知恵の熱のある表情。

    戦争に日本絵画がどう立ち回ったか、の美術史の記録であり、何より、中野氏自身の青春の記録でもあります。

  • 新聞書評欄の隅、文庫・新書の短評でちらっと見て、むしょうに読みたくなって、中公文庫をまあまあ置いてる2駅隣の本屋へ行ってみるも、在庫なし。最寄り駅の本屋で、チェーンの他店に在庫があるというので、注文して2日後に入手。すぐ読んでしまった。

    8月に仙台へ行った時、宮城県美で生誕100年の松本竣介展をやっていた。県美へは行かなかったけど、そのポスターを見て、生誕100年やったら祖母と同い年の人なんやと初めて気づく。81で死んだ祖母はまだ最近の人だが、30代半ばで死んだ松本はもうずっと前の人のようで、同世代という感じがしない。

    この本は、生前の松本と親しく行き来していた中野淳が、松本との出会いから、その没後までを書いたもの。中野は、1943年、新人画会展に出品された松本の「運河風景」と出会い、この画家に会いたいと強く思い、その年のうちに知人に紹介してもらって松本を訪ねる。松本が31歳、中野は18歳の画学生だった。

    戦時体制のなか、戦争画が主流で、「朝日新聞の一面に大きく藤田嗣治、中村研一、宮本三郎ら有名画家たちの戦争画の写真が掲載され、戦争画展開催の報道が連日つづいて、膨大な観客が動員された」(p.15)という時代である。

    1944年を、中野はこう書いている。
    ▼もう絵どころではない時だったが、絵好きな若者たちは、いつ空襲でやられるか、兵隊に征くか、明日も知れない死の不安を抱えこんで、描くことに熱中していたのである。絵を描くことだけが救いであった。(p.25)

    そうして描いていた画学校へは、ときおり交番の巡査がやってきて「この非常時に女の裸など描いて非国民め」と怒鳴っていたという。この年、徴兵検査だった中野は、絵に熱中するあまり、その重大な検査の日を忘れるという失態をおかす。恥じて誰にも告げなかったというそのことを、中野は松本にだけ告白した。

    兵役拒否なんて考えてるわけではないんだろ?と語った松本は、雑誌「みづゑ」のある号を取り出し、「生きている画家・松本俊介」(松本は当時まだ「俊介」で、後に「竣介」と改名する)のページを中野に示した。それは、「みづゑ」の1941年1月号で軍人を中心におこなわれた座談会「国防国家と美術」に対して、同じ年の春に松本が体を張って書いた抗議文であった。

    開戦前夜、すでに映画や流行歌のたぐいが統制されつつあった時代にこの抗議文を書いた松本に、中野は驚愕し、軍人座談会の載った「みづゑ」の古い号を買い求めて、あわせて読むのである。

    その古い号と、松本の書いたものとが、少しずつ引用されている。座談会は軍人の強硬な意見で進み、たとえば鈴木少佐の意見は、まるで今のいま、イシンの某市長が言ってることのようで、ぎょっとする。鈴木少佐は「…言うことを聴かないものには配給(絵具の)を禁止してしまう。又展覧会を許可しなければよい。そうすれば飯の食い上げだから何でも彼でも従いて来る」(p.33)と言い切る。

    松本のアトリエをしばしば訪れ、絵について、戦争画について、美術について、読んだ本について…中野は松本と語りあった。松本は病気のために中途失聴していて、最初は紙に筆談、しだいに中野とのやりとりは机の上に指で書くのを松本が読むような間柄になり、美術関係の会議があるときなど、中野は松本の通訳のような役もつとめている。その場面も興味ぶかく読んだ。

    戦中、戦後の画家や画学生の息づかい、その暮らしぶりや思いに加えて、時代の匂いを感じる一冊だった。宮城県美には寄らなかったけど、松本の生誕100年展は、このあと島根県美と世田谷美術館へまわるというので、もし行けそうなら見たいなと思う。

    (9/5了)

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著者プロフィール

一九二五(大正十四)年東京生まれ。洋画家。武蔵野美術大学名誉教授。川端画学校に学ぶ太平洋戦争中の四三(昭和十八)年、新人画会展で松本竣介の絵と出会い、その画室を訪う。戦後は自由美術会員、主体美術創立会員を経て九四年、同志と新作家美術会を結成し毎回出品。八六年、七〇点の自選回顧展。東京、関西の美術館・画廊・百貨店で個展。日本秀作美術展、戦後日本のレアリズム展に招待出品。五七年国際美術展(モスクワ)で受賞。九三年小山敬三美術賞受賞。著書に『風景を描く』(美術出版社)、『中野淳画集』(アートよみうり)、『青い絵具の匂い――松本竣介と私』(中公文庫)など。二〇一七(平成二十九)年没。

「2018年 『画家たちの昭和 私の画壇交流記』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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