- Amazon.co.jp ・本 (225ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122056893
感想・レビュー・書評
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数学者森毅(1928-2010)による受験数学にまつわるエッセイ、1981年。
この本に最初に出会ったのは浪人時代、その頃通っていた予備校の数学講師が「京大受験生の必読書」と言っており手に取った。当時は中公新書に入っており、こんな説教臭い副題はついていなかったように思うが、新書版がどこへ紛失してしまったのかいま手元にないので確認はできない。
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当時の読後感がやや苦いものであったことを、この度読み返しながら思い出した。森が称揚する「反‐秀才・反-完全主義・反-強迫・反-画一」などの姿勢が自分の気質とは正反対であって、まるで自分は頭が固いだけのつまらぬ人間だと否定されたような気持ちになって、いじけてしまったのだと思う。
森の主張の基本線は、ちょうど本書が執筆された80年代、ニューアカデミズムの流行の中で盛んに喧伝された反-パラノ・親-スキゾの風潮と、並行するものだろう。その頃、浅田彰も森を持ち上げていた文章を、あとになって読んだことがある。一つのことに強迫的に拘らずにはおれず、その拘りそれ自体に呪縛されるかのようにその場から動けずに踠いていた私は、"軽やかに領域を横断するフットワークの軽さ"が称揚されるのを目にするたびに、「自分はどうしたらいいのだ、これはもうどうしようもないのじゃないか」とますます煩悶を募らせる、そんな暗鬱な学生時代を送っていたことが、そういえばそうだったなといった具合に思い出された。
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そしていま読んでみても、やはり同様の苦味を全く感じぬではない。20年経っても、自分はあまり大きく変わっていない。それでも、年を経てみて、森が言うことも、今になってなるほどなと得心するところがたくさんあったから、読んでよかったと思う。
「受験数学から大学数学へ、というのを端的に表現すれば、「問題の解き方」をいくら知っていても、大学へ入ってからはほとんど役にたたず、「解き方の分からない問題へのとりくみ方」のほうだけが、大学へ入ってから役にたつ、ということである。こうした視点からだけ、受験数学が大学数学につながる」
このあたりの受験数学の捉え方については全く同感で、ポリア『いかにして問題をとくか』を読んだときにも同じようなことを考えた。
「人間がときに暴力的になるということは、ぼくのような弱虫にはしごく迷惑なことだが、それが現実であると思って辛抱もできる。しかしせめて、その暴力が正義の名のもとに行われるのだけは、ごめんこうむりたい。せめて、暴力を使うのは、大義名分のないときだけにしてほしいのだ」
国家主義的・排外主義的な風潮がますます強まっていく昨今、「暴力に正義はいらない」(≠「正義に暴力はいらない」)と題された森のこの逆説をしっかり味わわねばならぬと思う。
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浪人時代に読んだときには、努力だとか真面目さだとかを突き放す冷たさのようなものを感じていたのだが、改めて読み返してみると、森の人間的な「やさしさ」や奥行きの深さというものが感じられた。
「そして、自分を大事にするというのは、けっこう人生の大事業なのだ」詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
野矢茂樹著『哲学な日々』に本書の解説が掲載されていたことから本書を知り、読んだ。
森毅の存在は知っていたが著書を読んだのは初めてだ。1981年発刊の本書はベストセラーになったという。
肩の力が抜けた独特の文体で面白い。
そして、一刀斎の別名の通り、所々で鋭い視点が展開される。
特に最後のエッセーは目が覚める内容を含んでいる。
「他人に迷惑をかけない」というのは障害者への差別に通じる。人は誰しも迷惑をかけずには生きられない。お互いが迷惑をかけていくものだ。
人間の心の底にある「寂しさ」への思いが「優しさ」である。人間が生きていくには装ったり、争ったり、何かを思い詰めたりしなければならず、その底に流れるものに思いを寄せるとき、「優しさ」はある。
森毅は軽妙な語り口の中に真実を込める。真実を軽口というオブラートで包んでいると言っても良い。
その語り方は、読者に対する森毅の「優しさ」なのだ。若者にの苦悶に対する「優しさ」が森毅の真骨頂なのだ。
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平成22年に逝去された数学者、森毅による書。
『数学受験術指南』とタイトルにあるが、読んでみると、副題にある『一生を通じて役に立つ勉強法』の方がメインに感じる。
しかも、言葉の上面だけ捉えたのでは、まったく人生にも数学受験にも役に立ちそうに無い、面白い内容。
受験生が読んで、はたして役に立つと思えるのかは疑問。むしろ、それ以降に振り返りとして読んだ方が面白いと思う。そもそも、受験生にとって、そんな余裕はないというのが本音だと思う(が、森毅さんはそういうことをバッサリと否定しているのだが・・・)。
本書では森毅さんの数学に対する姿勢、そして人生に対する姿勢が描かれている。
そういった個性をコピーできるものとは思えないけども、森毅さんのカタカナまじりの名調子が面白く、ついつい読み入ってしまった。
終末には「ティー・ラウンジ」として、エッセイが時系列ランダムに掲載されている。こちらは受験術というより人生論。
不器用かつ繊細で率直な数学者、森毅さんに触れることが出来たような気がする。
※本書は1980年に中央公論から出された同タイトルの文庫版
「解説」は哲学者の野矢茂樹さんが執筆。
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【内容情報】(「BOOK」データベースより)
受験では、やったことのない問題に向かい、限られた時間でなんとかヤリクリしなくてはいけない。単に公式を覚えているだけでは立ち向かえない。その意味で、受験も人生も勝負どころは同じなのだ。数学を語ることで人生を語り、人生を語ることで数学を語る。誰も語らなかった受験数学の本質を、やんわりと、しかし鋭くえぐり出す。
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【目次】(「BOOK」データベースより)
1 受験は精神より技術で
2 入試採点の内幕
3 技術としての受験数学
4 受験数学以前
5 ぼくの受験時代
6 数学答案の書き方
7 大学の数学へ
8 数学という学問
ティー・ラウンジ
(ありのままの個性的/他人のめいわく/やさしさの時代/ケシカランとオセッカイ/暴力に正義はいらない/自分を大事に/ムダの効用/自分にとっての秘密/雑木山に生きること)
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野矢茂樹が解説を書いている。彼の一面を森毅を通して知るとは思わなんだ。
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森毅氏の中公新書を文庫化したもの。採点に関するエピソードが本書の白眉だろう。こういう京大文化が、これからも残ってほしいものだが、果たしてどうか。
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このつかみどころの無い感じが、いいかも。大学受験に役立つかというと、其れ程でも無いと思える。というか、役に立たないかも。ただ、大学教授ってこういう人なんだな、こう言う人が大学の教授になるのかな?など、読み物としておもろかった。
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自分を知ること、自分なりの方法を見つけること、数学の勉強というより、生き方を語っている。客観視すること、答案は採点者に伝わるように、というのは、社会に出てからも役立つことになる。数学の勉強を通じて、そういったことを身に着けられるのだと思った。私自身、高校当時は数学が苦手で、放棄してしまったことが悔やまれる。
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森さんのちょっとぶっ飛んだ感じが面白い。分からないものに、どう対応するか、という点は数学だけでなく様々な面から身につけたいし、身につけられるように子どもを育てたい。