- Amazon.co.jp ・本 (198ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122063747
感想・レビュー・書評
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20世紀アメリカの作家カート・ヴォネガット(1922-2007)の遺作となるエッセイ集、2005年。執筆当時の、ブッシュ政権下のアフガニスタン空爆やイラク戦争などの政治状況を踏まえ、アメリカ批判、文明批判、人間批判を、ほとんど叫びのような痛切な怒りとペシミズムでもって、しかし同時にどこか突き放したような乾いたアイロニーを交えながら、綴っている。
外国の作家によって書かれた、しかもその作家が所属する社会の、その当時特有の文脈を色濃く反映したエッセイというのは、当該の社会やそこにおける文化の文脈を共有していない者にとっては、その真意を自分の身体感覚によっては実感しきれないようなところがあって、どうしても隔靴掻痒の感がある。言葉の意味や語彙そのものや文脈の、その作用のしかたや強度の程度が、よくわかりきることができないから。
それでも、芸術や文化の意義を語る言葉は、胸に響く。
「芸術では食っていけない。だが、芸術というのは、多少なりとも生きていくのを楽にしてくれる、いかにも人間らしい手段だ。上手であれ下手であれ、芸術に関われば魂が成長する。シャワーを浴びながら歌をうたおう。ラジオに合わせて踊ろう。お話を語ろう。友人に宛てて詩を書こう。どんなに下手でも構わない。ただ、できる限りよいものを心がけること。信じられないほどの見返りが期待できる。なにしろ、何かを創造することになるのだから。」(p41)
「ブルースは絶望を家の外に追い出すことはできないが、演奏すれば、部屋の隅に追いやることはできる。」(p89)
「下層階級がある限り、わたしはそのうちのひとりだ。/犯罪者がいる限り、わたしはそのうちのひとりだ。/刑務所にひとりでもだれかが入っている限り、わたしも自由ではない。」(p121-122)
「焚書といえば、わたしは全国の図書館員に心からの感謝を捧げたいと思う。それは彼らが力持ちでもなく、強力な政治的コネも莫大な財産も持っていないにもかかわらず、図書館の棚からある種の本を追放しようとする非民主的で横暴な連中に断固として抵抗し、ある種の本を借りた利用者のリストを思想警察の手に渡らないよう破棄してくれたからだ。〔略〕わたしの愛するアメリカは、公共図書館の受付にまだ存在しているのだ。」(p128)
「いま地球の免疫システムはわれわれを排除しようとしていると思う。エイズや新種のインフルエンザや結核が流行っているのはそのせいじゃないか。わたし自身、地球はわれわれを排除すべきだと思う。」(p151)
「馬鹿な年寄りがいる。わしらが経験したような大きな災難を経験しないうちは大人になれない、なんてのたまうやつらだ。」(p162)
「どんな芸術においても、いちばん大切なのは、芸術家が自分の限界といかに戦ったかということだ。」(p167)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「スローターハウス5」以来、久しぶりのカート・ヴォネガットさんの作品です。82歳の時のエッセイ集です。作家の独特な感性の一端を感じることができる作品です。彼の作品も可能な限り翻訳されているものは全て読みたいと思っています。
本書で、覚えた言葉が「ラッダイト」という言葉です。
著者は兄弟の多い家族で育ち、ユーモアのセンスを磨いてきたことが、冒頭に語られています。小説でも感じることができる独特の感性のようなものは、幼少期から積み重ねられた経験から滲み出たものなのでしょう。
よし、いよいよ「タイタンの妖女」に手を伸ばそうと思います。読む順番が逆だろ!との突っ込む声が聞こえてきそうですね。 -
自身が戦争行ったから徹底した反戦争主義。まぁ、戦争行った人で戦争は必要だ!正義だ!なんて人いるわけない。やってる事は殺人だから。
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いただき本。
「ユーモアというのは、いってみれば恐怖に対する生理的な反応なんだと思う」というのは新鮮だった。
地球環境破壊や民族問題などいろいろな人間の負に目を向け中がら、それをユーモアをもって語った話。
また、気が熟せば、より自身に刺さりそうな気もした。 -
この人の他の作品も読んでみよう。
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アメリカのおじいちゃんの戯言。
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戦後のアメリカ作家のエッセイ
当時の政治社会批判、皮肉 -
人類に対するユーモア交えた皮肉と愛情。ヴォネガットの作品を読んだ後にもう一度読みたい。