グレ-ト・ギャツビ- (村上春樹翻訳ライブラリー f- 2)
- 中央公論新社 (2006年11月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (356ページ)
- / ISBN・EAN: 9784124035049
感想・レビュー・書評
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1番好きな小説
最後のフレーズを胸に詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
映画は1974年版・2013年版と2度観た。
しかし、原作を読むのは初めて。
ハルキ氏の翻訳モノを読むのは数作目。
ハルキ氏自ら任じて止まぬ様に「村上文学を支える主たる水脈」であるのを十分に感じられた。人によっては、ハルキ氏の作品の情感的な部分を評して「グレート・ギャッツビーの世界」だと断じている分も目にした。
ライブラリー本の巻末で、いかにこの作品が素晴らしいか、いかなるところに力を入れて訳文を手探りしたかを綴っており なかなか妙味がある。
正直なところ、この作品余り好みではなく、読んでいても映画のシーンが再現され続け、読み進め辛かった。
しかし、ラストの1行
”流れに立ち向かうボートの様に絶え間なく過去に押し戻されながら 前へ前へ”の日本文を読むだけでも原文と比べると、いかにハルキ氏の訳が作者の意図を汲み、全体の流れを操ったり、流されてみたり、技の巧者であるのかが実感できた。
スコット自身、陰影のある文、熟達した、比喩も駆使してのなめらかな会話、全体の構成のバランスなど(筋はいまいちだったとしても)素晴らしい文学者。4回余も映画化されてきたのもむべなるかなです。
学生時代見たレッドフォーの映画は表層的な感想視界だけなく20世紀初頭のアメリカのとてつもない経済力、パワー、そこに群がる禁欲にまみれた男どもとぶら下がる女が記憶に。
対してこちらもかなり、歳食って観たディカプリオの映画はプールサイドで広げられる饗宴の桁が壮絶すぎ、BGMがポップにアレンジされていて軽くはないけれど、20世紀初頭のイメージを煌びやかに盛り上げるに徹していたっていう感想。
どこに視点を置くかによって、映画はこうも変わるかと舌を巻いた。
今回じっくり原作を読んで、トビー・マクガイヤが演じたニックの視点を深く感じることができたのは収穫。
スコットが描きたかった2重の像~スコット⇔ギャッツ、ゼルダ⇔ディジーの被りあう様・・それを淡々と感覚的な居rを置きつつ述べ、観ているニックが。
これ 原作を読む醍醐味だ。 -
村上春樹による後書きに彼の抱くこの作品の完璧性への懐疑への再答申が載っているが、読んでもやはりわからず。超一流の受信できる類なのか。春樹氏そのものの作品との違いは、サルトルの批判した神の視点語りが時代的にまだ許されているためか多用されていること。自分→相手の好意と評価が異なる人への複雑な関係をそのまま描いてる気がしたのも違う点。/春樹氏作品は主人公に共感的な読み方へ誘導され、主人公の意見を批判的・客観的に見れず、物の見方を発見することが難しくなっていると自覚した。〜でしょ?〜じゃない?構文に近い効果。
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若いからこその過ちや弾けそうな衝動にどうしても憧れる
気だるさと風を浴びて佇む静かさ、煌びやかな世界と暗い世界が共存していて夢の様な空間
やっぱり名文学は映画や前情報を入れずに真っ新な状態で読むのがいい -
とにかくおもしろい。全然古くない。
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毎週豪華なパーティーを開催する謎の男ギャツビー。彼の目的は、生まれて初めて知った「良家の」娘で、かつて愛し合っていたデイジーと会うことでした。
デイジーはすでにトムと結婚していましたが、ギャツビーは一途に愛し続け、いつかデイジーがふらっとパーティーに顔を見せるのではないかと期待していました。それがうまくいかなければ、いつかのお昼、ニックがデイジーを自宅に招待して、そのとき自分も顔を出させてもらえないかと考えます。
そのときはつつましい願いかと思ったのですが、ギャツビーの愛は想像以上に狂おしく、悲劇的な結末を迎えてしまいます。そんなギャツビーを愛しく、哀しく思いました。
トムやデイジーは、自分に都合良く、うまく生きているように見えました。現代でもほとんどの人はそのように生きているように感じます。
ただ、ギャツビーはあまりにも不器用で真っ直ぐで、なかなか彼のようにはなれないからこそ、好きな人物でした。
読みながら、村上春樹氏が好きそうな小説だなと感じていたので、訳者あとがきでご本人が人生にとって最も重要な本でこの『グレート・ギャツビー』を選んでいて、納得しました。
この本が元々持つ魅力と訳者の思いも合わさって、私も人生で一番ではないにしろ、すごい作品だと感じることができました。 -
人生経験か読書経験不足なのか、傑作と称される理由がそこまでわからなかった。序盤のストーリーはあまり入ってこなかったが4章から引き込まれた。文章としては、他の人も書いている通り最初と最後はよかった。
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グレートギャッツビーのことは友だちに薦められて初めて知った。
どうせなら原作からと思い、原作を購入し読もうとしたが、言語力不足で全く情景のイメージが湧かず断念。
字幕英語でディカプリオ主演のギャッツビーの映画、そして本書を手に取った。
巻末で村上春樹自身も語っていたことだが、この物語で特に印象的なのは冒頭と結末部分、それからold sportという呼称だろう。
先に映画でその独特のフレーズを知っていたのもあり、たしかにこの部分は訳さずにそのまま、というのが1番いいというのは納得できた。
映画ではパーティーの中でギャッツビーに初めて出会うシーンがとても強調されていたが、本書ではそれはあまり感じられなかった。
本小説の中のギャッツビーは、映画の印象とはわりと異なっていた。本書ではギャッツビーの魅力がより存分に描かれていた気がする、やはり原作というか小説ならではだなとも思った。
村上春樹が生涯で一番大切にしたい作品というのも分かる気はする、しかしながら原作を読んでいないのでは本当の意味では同じ作品を読んだとは言えない。
この小説を読んで、ようやく原作を読む準備ができたのかもしれない笑
それだけ言語において文学作品は、最もハードルの高い部分であると思う。
落ち着いた時に原作を読み、改めてこの訳本に立ち返ってみようと思う。 -
村上春樹の訳を勧められたので読んだ。とても絢爛で美しい文章と、そこはかとなく漂う空虚さは、その時代の空気を滲ませているように思った。ギャツビーの口癖であるオールド·スポートの訳について、あとがきで語っているのだけど、正に私も思っていた部分だったので、府に落ちるのと同時に声を上げて笑ってしまった。
フィツジェラルドの人生を鑑みるに、この「グレート·ギャツビー」は彼にとっての私小説なのだなと思った。今後機会があれば言語で読んでみたいものである。