分裂病と人類 (UP選書 221)

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  • 東京大学出版会
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  • Amazon.co.jp ・本 (252ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784130020213

作品紹介・あらすじ

精神病の起源をどこまで戻れるか? 臨床医のやさしい感性が,病いの背景を人類の文化史のうえにさかのぼって鮮烈な感動をよぶ.分裂病質は狩猟民の感覚に近しく農耕文化はうつ病にいたる執着気質を伴う.さらに魔女狩りを軸に西欧精神医学史を描く.

感想・レビュー・書評

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  • とにかく文体がエレガントで美しい。歴史や文化を自身の専門分野との関連で概説するスタイル。内容自体の理解はおぼつかないが、比喩や発想がとても示唆に富んでいる。1980年代という発表時期だからこそ人類を語れたのだろう。最近の本ではこのようなスケールの大きいテーマはほとんど見かけなくなってしまった。

  • 後書きで説明がされていてとても面白いのだが、うつ病の病前性格として「仕事あるいはその昂ぶりを自宅まで持ち帰る=執着気質」は日本に特徴的なのである。同じようにメランコリーとしてドイツで認められる性格は「端的にダメな人」であるのに対し(そもそも他の国ではこの性格は認知されにくい)日本では模範的な人格とされているのである。それは日本農村の勤勉の倫理、農耕社会が引き出した人間性の一部の社会化であった。
    それを著者は自身の主な臨床の対象であった分裂病に適用させていく。それは「歴史の井戸は深い」というトーマス・マンの小説を思い出させるほど、底の深いもので、ようやく遡り終えて着底したとき、農耕文化を踏み抜いてその下にあった。
    その「失調すれば究極的には分裂病となって現象するもの」は、そこにおそらくは、人類が人類になってゆく過程での、自然からの外化、自然的存在からの逸脱が影響している。
    それは著者の言う、微分的感覚で、微かな徴候を拡大していく。狩猟採集文化にあっては、森の中の小さな変化へのアンテナは敵となる大型肉食獣や餌となる木の実などへの敏感な反応となって有利である。それが失調すると、妄想、幻聴、幻覚へとつながっていく。それに一つの治療方法として人類初期から存在したのが、シャーマンの系譜ではないかと言うわけだ。成程。

    ・私は、回復期において一週に一、二回、数十分から二、三時間、”軽症再燃”する患者を一人ならず診ている。なかでも、自転車で人ごみの中を突っ走ると起こりやすい場合があるのは興味がある。当然、追いぬく人の会話の一句二句をひろって走ることになる。この切れ切れに入ってきた人のことばは、それ自体はほとんどなにも意味しないのだが、いやそれゆえにと言うべきか、聴きのがせぬ何かの(たとえば自分への批評の)兆候となる。

    ・明治時代に設立された病院の慢性病等のなかを歩んだとき、そこには海底の静けさが領していた。人々は稠密に、しかし一定の距離を置いて佇立していた。われわれの一行が通過すると道はおのずと開かれ、われわれの背後で再び閉じた。私はゆらめく海藻の林を歩む印象を抱いた。帰途、郊外電車の客たちは昼下がりのけだるさに身を任せていたが、彼らの存在はほとんどぎらぎらした欲望の塊のごとく私の目に映り、その熱気はほとんど直接の私の面を打ったのである。

    ・ギーディオンは旧石器時代狩猟民の美術の分析を通じて、当時の人類が個別的性能はいずれも他の動物に劣ると考えていたこと、神信仰の生成はまさにこのフィーリングが消失した時にはじまることを主張している。

    ・農耕民の世界が強迫的であることは、むろんその成員が強迫症者であることを意味しない。むしろ、小動物の狩猟採集が人間のなかからS親和性(分裂病親和。微かな徴候に敏感な性質)を抽出し、狩猟中に倣っての大動物狩猟がそれに願望思考―偏執症の特徴―の色調を添えたように、農耕(と牧畜)は人性のなかから強迫性を引き出したというべきである。

    ・エティオピアは私の知るかぎりもっとも非強迫的な社会であったのではなかろうか。日本の女官は、エティオピア宮廷の女官たちがテーブルに平行あるいは直角に食器を並列できないことを知能の低さに帰しているが、エティオピアの分化の諸相をみると、そのような強迫に何の価値も認めていないためで、知能や酸素不足とは無関係なことが明らかとなる。ついでに言えば、逆にもっとも強迫性の高い文化の一つはヴェトナム平地民の文化であろう。この紅河とメコン河の二大デルタ地帯の農耕民の強迫的な完璧追求は、ヴェトミン軍の、タイヤの刻み目のような形に行う道路破壊―それゆえ自転車は通行でき戦車はできない―や、レールをジャングルに持ち帰り、土堤を崩し、まわりの水田と同じ高さにして稲を植えて帰る鉄道破壊から、南ベトナム露天商の玩具の精密な並べ方まで、枚挙にいとまがない。

    ・われわれは、うつ病好発性格として、下田光造の「執着気質」あるいはテレンバッハの「メランコリー型」を臨床的に大幅に承認しているけれども、これらが日独両国の精神医学の圏外ではほとんど承認されていないという一見驚くべき事実は、主としてこれらの現象形態の社会的被規定性によるものと思われる。
    これと関連して、うつ病が本来気分の病であるとされるのにもかかわらず、「執着気質」なり「メランコリー型」なりの特徴記載を一見して驚くことは、ほとんどすべてが仕事の進め方、仕事へのかかわり方、職場での対人関係とその延長に関する事柄によって埋めつくされていることであろう。家族関係も、職場的な対人関係―すなわち家政を営み家計を維持することに重点が移動している場合が多い。むしろ、気分というものがその自然な座を許されない生き方が「執着気質」なり「メランコリー型」であるかのようだ。ほんとうは、気分変動のない人でなく気分にその自然な座と権利を許す生き方の人が、うつ病発病可能性から遠いのかもしれない。

    ・しばしば、わが国ではなぜ魔女狩りがなかったのかという問題が提出されるが、その一部はおそらく、ネオプラトニズム的(錬金術の体系と思えば分かりやすい)な幻想的問題解決の中心でありえたかもしれない比叡山を織田信長がことごとく焼き払い、僧侶たちを皆殺しにすることから始まって、一向一揆撃滅、キリシタン弾圧をへて十七世紀中葉の檀家制度確立(いっさいの宗教布教の禁止を含む)、あるいは医療からの神官・僧侶の追放という徹底的な世俗化のせいであろう。日本の中世を通じて、天台宗の総本山である比叡山は、つねに貧しい知的成年に対する強い吸引力をもちつづけており、そこではきわめて洗練された知的相互作用と並んで、天台本覚論のごとき壮大なる観念論的な宇宙体系が生産されていた。実際、日蓮に至るまで日本的仏教の開拓者は比叡山に学んだ人たちであり、日蓮ですら自らを天台宗の真の改革者と規定していた節がある。
    ところが十六世紀の後半から十七世紀にかけて、わが国においてはこのような源泉がまったく根こぎにされてしまう。その代償として、徳川期以降のわが国は、体系的な思考、思想の欠如、あるいは宗教的感覚の不足などに悩むことになる。また、ティコ・ブラーエからケプラーを経てガリレオに至る系譜をみれば、占星術者の膨大な観測結果がいわば乱丁をとじ直すようにして科学体系に再編成されていく過程をみることができるのであるが、わが国においては、科学的体系はついに自立せず、体系的思想のすべてが改めて輸入されなければならなかった。

    ・森の文化を根こぎにしたのは浄土真宗で、その支配地域は民話・民謡・伝説・怪異譚を欠くことで今日なお他と画然と区別される。世俗化への道をなだらかにした、プロテスタンティズムに類比的な現象であろう。ヨーロッパや日本でみられた方向転換と逆に宗教政治の方向に徹底改革したのが、チベットである(チベット仏教は日本密教と同じくタントリズムの系譜を汲む)。

  • 『アンチ・オイディプス』と『ミル・プラトー』…「資本主義と分裂病」というテーマでまとめられたこれら2冊の浩瀚な書物を前に、大学新入生の僕はほとほと困っていた。分からないのだ。論理の展開や著述の形式が分からないというのならまだ救いはあった。しかし、当時の僕が陥っていたのは言わば概念に対する無理解であり、俗に「何が分かっていないかも分からない」と言われる有様に近かった。資本主義も分裂病も知らぬまま掴みかかるように伸ばした手は、ドゥルーズ=ガタリによる壮大な試みの、その遥か手前で空を切った。味気なく活字を追うだけの空虚な読書を一通り終えると、僕は屈辱に蓋をするように、本棚の奥にそっと2冊を仕舞い込んだ。

    読書を通して味わった苦々しい挫折は、以来しばらく僕の胸裡に一抹のわだかまりとなって沈澱した。とはいえ、バタイユで、ブランショで、レヴィナスで、ド・マンで、似たような脱力感に続けざまに、何度も遭遇しているうち、諦めとも開き直りともつかない不思議な境地に至り、D=Gの一撃はありがちなトラウマとして何時の間にか僕の中で処理されていた。そんな折、地元の古書店で出会ったのが本書であった。

    書架から覗く「分裂病」の文字列を目にした時、不意にカサブタを剥ぎ取られたような感覚に慄然とした。治りかけの古傷口がヒリヒリと痛むのを感じながら日焼けした表紙を繙くと、その場で1時間ほど立ち読みに耽った。迷惑な客だったと思う。だけど、夢中だった。沈澱していた空疎な読みが俄かに沸騰し、断片的な記憶は鮮やかな論理を帯びて立ち上がってくる。書架の前で一息に第一章を読み終えた僕は、部屋に戻るなり本棚の奥から『アンチ・オイディプス』を引っ張り出し、購入した本書を参照しつつガツガツと読み始めた。

    驚くべきことに、それからの5日間で僕は『アンチ・オイディプス』『ミル・プラトー』そして『分裂病と人類』を読破した。気が付けば60頁近いノートも一緒に積まれていた。達成感に打ち震えながら、『分裂病と人類』とその著者に、何度届かない感謝を告げたことだろう。それが僕と中井久夫の出逢いだった。

    中井久夫は肩書きこそ精神科医であるが、同時に超一流の文人であった。その見識の豊かさと洞察の鋭さは『家族の深淵』『アリアドネからの糸』などをはじめとするエッセイの中で主に発揮され、その圧倒的な知性の輝きを如何なく披露している。特にフロイト由来の精神分析に関する造詣の深さは世界的な水準に達し、日本語圏では未だ他の追随を許さない。

    本書の1章、2章は彼が多くの実践を通して獲得してきた分裂病に関する様々な直観を、豊富なデータと緻密な論理で言語化したものだ。微分積分を使った分裂病親和性の概念化や、具体的な症例に対する歴史学的なアプローチなど、大きなテーマをマクロに扱いながらも、それぞれへの解説は教科書のような慎重さで進んでゆくので、前提として必要な知識は最低限でよい。

    「西欧精神医学背景史」と題された3章は分量にして全体の半分以上を占める本書のメインコンテンツであるが、その完成度は驚嘆の一言である。親切で、堅実で、しかも覚えやすい。引用や図解にも適切な工夫が多く見られる。精神医学の全体を時系列的に概観する為の資料として、これ以上の文献はもはや期待し得ないだろう。

    ある学者は中井を「日本語圏最大の知性」と評した。僕もそう思う。少なくとも、彼に比類する譫学と絶才を以て立つ文人を、僕はこの国に、数える程しか見出せない。それは無知蒙昧な大学生風情をドゥルーズ=ガタリへと、「資本主義と分裂病」へと導く知性であり、心病める人々を癒す救済の知性である。

    中井久夫と読んだD=Gは、力強く、しなやかで、美しかった。次はラカンも、共に読まなくては。

  • 採集から農耕へ、微分から積分へ
    魔女狩りのトラウマとしての純粋な少女の原型
    ある気質の人が、ある種歴史に選ばれる
    近代的自我という幻想

  • 了。

  • 素晴らしい。

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著者プロフィール

中井久夫(なかい・ひさお)
1934年奈良県生まれ。2022年逝去。京都大学法学部から医学部に編入後卒業。神戸大学名誉教授。甲南大学名誉教授。公益財団法人ひょうご震災記念21世紀研究機構顧問。著書に『分裂病と人類』(東京大学出版会、1982)、『中井久夫著作集----精神医学の経験』(岩崎学術出版社、1984-1992)、『中井久夫コレクション』(筑摩書房、2009-2013)、『アリアドネからの糸』(みすず書房、1997)、『樹をみつめて』(みすず書房、2006)、『「昭和」を送る』(みすず書房、2013)など。訳詩集に『現代ギリシャ詩選』(みすず書房、1985)、『ヴァレリー、若きバルク/魅惑』(みすず書房、1995)、『いじめのある世界に生きる君たちへ』(中央公論新社、2016)、『中井久夫集 全11巻』(みすず書房、2017-19)

「2022年 『戦争と平和 ある観察』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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