- Amazon.co.jp ・本 (225ページ)
- / ISBN・EAN: 9784130301473
作品紹介・あらすじ
幕末、明治、大正、戦前昭和の70余年の日本近代史を、憲政史の視点から通観する。
感想・レビュー・書評
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幕末から日中戦争期に至る日本近代史の議会政治・立憲政治をめぐる構想と実践の変容を通史的にまとめた書。ほとんど他の著作や論文で繰り返し述べてきた持論なので内容に目新しさはないが、逆に言えば、これまで坂野の研究に触れたことのない人には、彼の政治史論の要点を1冊で理解できる本として真っ先に勧められる。明治憲法や伊藤博文への低評価、古典的な先行研究(特に尾佐竹猛や稲田正次)への敬意、既存の刊行史料の積極的利用、思想と制度と政治過程の統一的把握志向などの本書の特色は、そのまま近年の政治史学界で目立つ伊藤博文「礼讃」や明治憲法の過大評価、先行研究の軽視、新出の原史料の没目的な利用、政局偏重の研究動向への批判となっている。
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読み進めながら「今この本によって自分は啓蒙されている!」という変な興奮を覚えた。「明治憲法」「明治~昭和の政治史」と分けてしまうんでなく、「憲政史」という括りで見ることによって色々なものが見えてくるし、五・一五事件の解釈等、今まで常識だと思っていた見方が実は間違っていたんじゃないかといった具合に新たな視点を持つことができる。日本国憲法下の戦後史を考える上でも「憲法」「政治」ではなく、「憲政」として見直してみたいもの。
ただ、1930年前後の政友会の頑迷固陋っぷりと、結果的にその政友会が「景気回復」シングルイシュー戦法で昭和7年総選挙圧勝したことを坂野先生が嘆く気持ちもわからんではないけど、協力内閣への動きが出ていたときの井上準之助の物言いを見れば「やっぱり昭和二大政党はどっちもどっち」と思ってしまう。
世界恐慌にがっちりリンクした昭和恐慌を起こしておきながら善人面でああだこうだ言うなんざ、ある意味じゃ親ファッショ的な振る舞いをする勢力に勝るとも劣らないぐらいに民衆の敵ですから。 -
幕末から日中戦争開始までの日本憲政史を、憲法の「運用」のあり方も分析の視点に含めながら論述。
個別の事実のところでは、5・15事件で「憲政の常道」が終了したのではなく、すでに犬養内閣が親ファッショであり社会政策にも無関心な内閣であったとする説には、ただただ驚くのみ。斬新。
それにしても、近代全体をとおして、憲政のもとでどのような政治体制が問題となっていたか、という争点からそれぞれの時代の特徴を引き出す手法が一貫しているところに感服。ブレない研究の手法というか、理論的枠組というか、そういうモノを僕も持ちたいものである。