庭師 小川治兵衛とその時代

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  • 東京大学出版会
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  • Amazon.co.jp ・本 (282ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784130638111

作品紹介・あらすじ

小会PR誌『UP』の好評連載を加筆・再構成し,待望の書籍化! 山県有朋,西園寺公望,近衛文麿……国家の最大限の西欧化を推進しつつ,私的には伝統に縛られない和風の表現を求めた明治から昭和前期の政治家・企業家たち.彼らが愛した植治の庭を通して,日本の近代化のあり方を見つめる.建築に歴史的まなざしを注いできた著者による近代化論.

感想・レビュー・書評

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  • 最近は、神社仏閣を見るのが楽しいので、よく見て回る。
    とにかく、日本建築の良さが感じられるのと庭園がなんとも言えず味がある。
    そんな中で、小川治兵衛を知った。
    鳥居坂の国際文化会館の庭のしつらえがいいなぁと思っていたら、
    以前は、岩崎小弥太の本邸で、庭がそのまま残されたということで、
    なんとなく 小川治兵衛のことに繋がった感があった。
    庭師の歴史で言えば、夢窓疎石、小堀遠州、そして七代目小川治兵衛が
    日本庭園史の巨匠と言える。
    さて、建築歴史家の鈴木博之がどんな風に、小川治兵衛を位置づけるのか
    楽しみだった。こうやって、庭師を評価するときに、言葉だけで論評するのは
    難しいものがあったと思う。
    ただ、夢窓疎石や小堀遠州の文脈的な流れはあまり考察されていないようにも思えた。
    切り口として、「近代化の中の琵琶湖疏水開発」を持ってきたのは、
    物語の構成上 うまいと思った。小川治兵衛は、水を実にうまく使った庭師なので、
    その根源的な水がどうやって、庭園に引き込まれたかという歴史的背景を
    つぶさに、明らかにしたのは、庭園史にとっても重要だったろう。
    田辺朔郎が、琵琶湖の水を使って、疎水計画を立て、それは水車発電を考えていたが、
    アメリカに行って、水力発電の時代になると理解して、決断したことで、
    当初の疎水計画が大きく変化することになったという記述はうまい。
    そして、山縣有朋の無鄰菴から、近代的庭園史が始まるのである。
    「和魂洋才」という 技術は西洋から学びながら、日本の伝統を埋め込んでいく
    という表現が、日清戦争の勝利によって、日本人の自信が生まれ、
    平安神宮、奈良県庁舎、唯一館などに、日本的な要素が入れられた。
    庭園が、和魂の表現としてふさわしいものだったという指摘も優れている。
    「西洋建築といういかにも地に足のつかない空間であったのに対し、
    庭園には(日本人としての伝統を受け継ぐ)場所があった」

    それから、小川治兵衛の庭園の話が、綴られていく。
    作庭とは、石を立てることから始まる。
    夢窓疎石から始まる禅宗の庭を作る人たちは 石立僧と言われた。
    鈴木博之は「なんのために石を立てるのかとよくわからない」と言っているのは
    夢窓疎石のことをあまり研究していなかったのかなと思われる。
    山縣有朋の庭園の紹介者であった高橋義雄は
    「世に様々な娯楽あるが中に、庭を造るほど面白いものはありますまい」
    と行っている。ある意味で、こうを成し遂げた著名人のライフスタイルが
    庭造りに、大きく関係していたということだった。
    三尊石、須弥山石、蓬莱山、鶴亀、亀島などの石組は、象徴であり
    象徴主義的庭園から 小川治兵衛は、自然主義的庭園への変化させた。
    あるがままを基本として、自然の水の流れ、喬木の梢のそよぎを大切にした。
    木についても、銘木を使わず、樅、どうたんつつじ、柊、南天を使った。
    平安神宮の神苑は、小川治兵衛の作というが、最近平安神宮に行ったが
    伊東忠太が作り、神苑の庭があることも知らず、本殿だけ見て帰ってきた。
    残念至極のことだ。
    それから、次から次への小川治兵衛の作庭は広げていき
    住友の関係、宮中の関係、三菱の関係などの人脈が広がっていく。
    そのあたりの物語の仕掛け方は、ちょっと、力不足で、中だるみの傾向がある。
    小川治兵衛の作庭が,わかもとの成金の長尾欽弥のハク付けの庭園になっていく
    という流れが、実に興味ふかい。庭師としてのブランド化ができたということで、
    まさに近代に本格的に入ったことを意味している。
    小川治兵衛の作庭リストがあるので、じっくり今後見ていくことにしよう。

  • 小川治兵衛の頃の時代がよく分かった。
    重森三玲や中根金作は治兵衛の庭を評価していなかった話が出てきたが、確かに彼らの作庭に対する考えとは全く違うなと感じた。

  • 本書では主に庭園の主である政治家や富豪と小川治兵衛との人間的な関わりを通して植治の庭と近代の日本が描かれるが、興味深かったのはむしろその前奏曲とも言うべき京都疎水の成り立ち、特にその工業用水として計画された機能が土壇場で水力発電に切り替わったことで現代まで残る南禅寺周辺の広壮な別荘地群が生まれたという経緯である。
    このタイミングの妙が無ければ七代目小川治兵衛の庭も今日に残されていなかったかもしれない。

  • 「小川治兵衛」 - Wikipedia
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%B7%9D%E6%B2%BB%E5%85%B5%E8%A1%9B
    七代小川 治兵衛(おがわ じへえ、万延元年4月5日〈1860年5月25日〉 - 昭和8年〈1933年〉12月2日)は、近代日本庭園の先駆者とされる作庭家、庭師。通称植治(屋号)。
    明治27年、植治は「並河靖之」邸の七宝焼き工房に研磨用として引きこんだ疏水を庭園に引く。
    次いで「山縣有朋」の求めに応じて、庭園用を主目的として疏水を引きこんだ「無鄰菴」の作庭を行う。
    これを草分けとして、植治は自然の景観と躍動的な水の流れをくみこんだ自然主義的な近代日本庭園を数多く手がけて、それらを設計段階から資材調達、施工、維持管理まで総合的に引き受けていく
    「並河靖之」 - Wikipedia
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%A6%E6%B2%B3%E9%9D%96%E4%B9%8B
    「山縣有朋」 - Wikipedia
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%B8%A3%E6%9C%89%E6%9C%8B
    「無鄰菴」(第一・二・三) - Wikipedia
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E9%84%B0%E8%8F%B4
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    内容紹介
    近代日本の支配層が愛した小川治兵衛の庭には、彼らの私的全体性を支える表現があった。名だたる近代和風庭園を造り続けた庭師・小川治兵衛の活動の軌跡から、日本における近代が生み出した精神を読み取る。
    著者紹介
    1945年東京都生まれ。東京大学工学系大学院博士課程修了。工学博士。青山学院大学総合文化政策学部教授。博物館明治村館長併任。著書に「東京の<地霊>」「都市へ」「建築の遺伝子」など。

  • 明治から昭和にかけて活躍した庭師。工学部出身だけあって、イントロがなかなかおもしろい。
    ☆「哲学の道」の脇を流れる京都疏水の歴史、実現しなかった歴史、これがいいね。

  • 山県有朋のお気に入り。
    あの無鄰菴の庭を作った。

    庭の見方というものが理解出来るかと思ったけれども、そういう本ではなかった。
    が、南禅寺水路閣の精神だの、美しさと実用というものに向けられた力がこまかく書かれていた。

  • 鈴木博之氏の『庭師小川治兵衛とその時代』は近代日本の支配層が欲した表現としての庭園があったいう。山縣有朋の無隣庵の前に琵琶湖疎水開発から話を始める必然性もよく分かる。近衛文麿で終わる条は人物史の風合いもあった。

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著者プロフィール

復旦大学

「2021年 『Linguistic Atlas of Asia』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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