- Amazon.co.jp ・本 (255ページ)
- / ISBN・EAN: 9784140019276
感想・レビュー・書評
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孤独という言葉のネガティブなイメージが払拭される。
20年以上前の本だが、現代のSNSの問題に繋がる部分もあり、今に通じる内容だった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
孤独を楽しむための考え方を指南している本。
全くその通りだと思う。
スッキリしました。 -
「自分にとってほんとうに大切な何かに気づけるとは、言い方を変えれば、ほんとうは大切でないのにそうだと思い込んでいたものに気づき、気づいたらそれを捨てる勇気を持つ、ということである。捨てていかなくては、ほんとうに大切なことのほうができなくなってしまう。それほどに人生は短い。」
あー。
何て、いらないものを、
大切だと思い込んで守ってたんだろう。 -
もう一度じっくり読む。
自分自身の中にある声に気づき、それを受け入れること。 -
周囲に同調することを絶対的な善と考え、同質社会に適応することを迫られる日本に対して真っ向から挑んでいる力作。
自分にとって大切な何かを見つけることや、心のうちで人間を超えた何ものかと対話しながら生きるといった、他人に依存しない生き方を提示している点も秀逸。
・孤独、ひとりでいる人は危険であるとか無価値であると見る世間のまなざしが、追い詰めている。
・大人たちが、友だちをつくること、周囲とうまくやることに過剰に価値を置き、ひとりでいること、孤独でいることをきわめて否定的にみている。
・今の日本社会は、いつも見捨てられることに不安を感じていないと適応できない。友達集団から絶えず強い圧力をかけられ、その仲間と同質でなければ安定した生活を送ることができない状態に追い込まれている。
・自分にとって大切な何かを見つけた時に、それとわかるよう、心をオープンな状態に保っておく。そのためになら、どんなものでも捨ててもかまわないと思えるほど大切な何かが見つかったら、タフに生きていくことができる。
・何が本当に大切かを知り、それ以外のものは思い切りよく捨てることができることが、しあわせになるための近道。
・孤独をまっとうして生きていくためには、心のうちで人間を超えた何ものかと対話しながら生きていくような視点をもつこと、自分を超えた地点から自分を見つめるまなざしを持つことが不可欠。 -
カウンセラーである著者のメッセージはただ一つ。
"孤独で何が悪い。"
だと感じた。
人と違うこと、自分と対話すること。
それができる人が大人であり、一人の確立された人間であると。
誰かと群れていないといられない人はむしろ成熟していないんだと。
他人と自分は違うというところから、真の他者理解が始まる、
というのは1つの本質だと思う。
群れることを共有されがちな日本式の会社にいると忘れがちな大事なことを、心に楔として打ってくれる名著。
後は、自分の中にぽっかりとつくられたこの穴を埋める何かを見つければいいのかな。
ゲシュタルトの祈り、という詩が一番印象に残った。
わたしはあなたの期待に応えるために、この世にいるわけではない。
あなたはわたしの期待に応えるために、この世にいるわけではない。
あなたはあなた、わたしはわたし。 -
なんとなく不安だからグループで行動する、という人、もしくはかつて孤独な時を過ごしてきた人にとって良い本だと思います。
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気の合う仲間とか友人や友達あるいは親友と過ごす時間の、それはそれはなんと楽しいことか。
一度でも経験したことがある人にとって、それは麻薬みたいなもので、人類はこの甘い誘惑からは絶対逃れられず、生涯に渡って呪縛となって付きまとう。
・・・などという風には、誰も考えたことも発想したこともないんじゃないかな、でも・・・・・
現代において、逆に、脅迫観念みたいに、ひとりじゃいられない症候群、が、どれほど弊害を及ぼしているか、はかり知れないかもしれない。
99%が授業中にメールのやりとりを日常的にして【私の近くにもお風呂の中まで又はベッドでもケータイを離さず着信があれば顔を洗っていても眠っていてもスグ返事を返すのが当たり前の若者がいる】そして、高校・大学・職場でランチを一緒に食べる友達がいなくて孤独に耐えられず不登校・不出勤になったり、などということが発生しているらしい。
ええっと、私は社交的なようで、実はもともと孤独が嫌いじゃないのです。
というか、歌を歌ったり、落語を演じたり見たり、その他様々な集まりに積極的に出かけていって発言したり・参加したりしたのには、秘密があるのです。
・・・それは、実は、私は、赤面症で極度の上がり症で、面と向かって話すことが苦手な、極端な恥ずかしがり屋さんだったのです。
ちゃんとした意見を持っているのに人前で発表することができないもどかしさ。好きな人の前で何も言えない悔しさ・・・こんな理不尽なことがあっていいものか!こんなのイヤ!ということで、発奮した高校生の私は、自己大改造をするべく、人の真っ只中へ出かけて行って、話さざるを得ない情況に自分を投げ出したのです。
のんびり建築相手のモノローグを楽しんでいた中学生の頃と違って、山谷にも行って何十歳も年の違う大人の人や外国人にも接するように仕向けたのです。
この荒療法は、初め私を怖くて苦しくて絶望の淵に落とし入れましたが、そのうち、しどろもどろでもきちんと意見が言えるようになり、そして2年もしないうちに、コペルニクス的転回を果たすことになりました。
そう、私は別人に変身したのでした。平静に発言できるようになったばかりでなく、時には感情の赴くままにパセティックに、またある時は、熱狂的なアジテーターのように。
そしてそれに伴って、今まで友人などというものの影すらなかった私に、あちらこちらに、私の友人だと自称する人たちが現れたのです。親身になって世話を焼いてくれたり誘ってくれたり何かくれたりしました。
それはそれでありがたいことだと思って受けることもありましたが、根源的に私は、何かの目的やテーマのために大同団結することはあっても、個人的に徒党を組むという性癖はまったくありません。
友人を持ちたい、とか、親友がほしいとも・・・
ええっと、たまたま本屋で手にしたこの本で、諸富祥彦センセは、医学・心理学・宗教を統合したトランスパーソナル心理学や実存主義哲学の今やあまり読まれなくなったヤスパースを援用して・・・
孤独は、決して、避けるべき否定的なものなどではない。
孤独は、現代をタフに、しなやかに、かつクリエイティブに生きていくために不可欠の〝積極的な能力〟である。これからの困難な時代を、幸福に生きるために、現代人がトレーニングしてでも身につけるべき新たな〝能力〟である。
という論旨の元に孤独の効用を説いておられて、私を多いに愉快にさせて下さいました。 -
この本はお奨めですよ。私が読んできた
ビジネス書の中でも群を抜くほどすばらしいなと感じた作品です。