ものすごくうるさくて、ありえないほど近い

  • NHK出版
3.85
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  • Amazon.co.jp ・本 (488ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784140056035

作品紹介・あらすじ

「パパがどんなふうに死んだか知る必要があるんだ」「なぜ?」「そしたらどんな死に方をしたか発明しなくてもよくなるから」9.11の物語。世界的ベストセラー待望の邦訳。

感想・レビュー・書評

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  • 9.11で父を亡くした少年を主軸に、ドレスデンで爆撃を受けた祖父母の人生が絡まりながら進んでいく。
    様々な人の話(小説の中で「実話」だったり「フィクション」だったりするのだけど)が散りばめられているのが印象的で、並行して読んでいたオースターの「サンセット・パーク」よりもオースターみがあって、更に「サンセット・パーク」がリーマンショック後の話で、どちらもアメリカの人々が心に傷を負った大きな出来事が絡むので、一つの話のようになって来て揺さぶられる読書体験でもあった。
    文章以外も合わせて一つの物語が作られているのも面白い。
    少年と祖父がしたことには胸が詰まった。
    終わり方も良い。
    映画も見てみたい。

  • 映画公開前に読んで良かった、これはすばらしい。9.11を扱った小説は何冊か読んだ。やはりアメリカ人にとって悲劇を物語らざるを得ない出来事なのだろう、最近ではアーヴィングも然り。
    本作が他と決定的に違うのは、現代性とバランス感覚。ホールデンの地獄めぐりと似ているようでいて、「重さ」はまったく質が異なる。父を失った少年は傷つき戸惑っているのだが、あくまでユーモラスで軽やか。「ありえないほど」「ゴーグルプレックス」「ホゼ」・・・こういう言葉づかいもたまらなくいい!
    そしてオスカー側の軽快な主旋律の裏で、アメリカが加害者となった大戦のドレスデンの空襲が、祖父母の体験として重層的に描かれるのも重要だ。訥々と語られる惨劇は、重厚な音を奏でる。作者は広島に言及することも忘れない。恨み、怒りではなく、失ったものを悼み弔う、普遍的な鎮魂の物語となっている。
    タイポグラフィやイメージを使ったビジュアル本的な作りも面白い。物語と緊密に結びつき、効果を生んでいる。デジタル世代の作る「本」は、文字+αであっていい。
    これは評価するポイントではないが久しぶりに読書で泣いた。記憶に残る物語。

  • 『一度、真夜中に目が覚めたら、バックミンスターの足がぼくのまぶたの上にあった。きっとあいつはぼくが見たこわい夢をさわっていたんだろう』-『グーゴルコンプレックス』

    ここには、一義的な正義に対する柔らかな批判があって、喪失に対するセラピーの処方箋があって、果たせなかった約束に対する無言の言い訳があって、それに対する雄弁な許しがあって、シニカルなユーモアがあって、シリアスなペーソスがあって、何にもまして混乱がある。文字は無力で、言葉は何も残せなくて、文字で埋められた紙を積み上げた山はビルを燃やす燃料になったり、埋められて永遠に伝えるという重荷から言葉を解放したりするってことは、それだけ聞けばおとぎ話のように聞こえてもしまうけれど、しっかりと現実の重さを持った出来事で、だから自分は本を読んでいるようでいてもちっとも本を読んでいるような気持ちにはなれないけれど、何かが身体の表側から裏側へものすごい勢いで通り抜けてゆく感覚だけはとてつもなく感じてしまう。その感覚で、この本の中にあることは現実の重さを持ったことなんだということだけは、解ってしまう。

    あの夜、いつまでもテレビの前から離れられなかったのを思い出すし、その直後に単身で海外に赴任したことや、この前の大震災の時もまた家族と離れて海外で暮らしていたという今の自分の在り方のことにもやっぱり思い至ってしまい、強烈に無力を感じたりする。結果として何でもなかったということと、何かあったらどうするということの間には、永遠に解り合えない溝があって、そのこちら側からあちら側へ自分自身を移動させることは、本当は無理なことなのに、でも僕らはその無理を難なくこなす。「もし」を忘れたことにして。

    こういう本は、本の中の物語がどうこうというよりも、自分の中の物語に常に引き戻されてしまうような本だと思う。それは、余りに強烈なフラッシュを見たとしても、脳がそれを受け入れるのを拒否してしまうのと同じ原理が働くからだし、それでもどうしようもなく残ってしまう視覚的残像に手持ちの意味を脳が張り付けるのと同じ作用が起こるからだ。

    あるいは、自分の身を現実の世界から引き離して映画を見るようにこの物語を眺めていれば、時間の経過と供に一つの謎は一つの行動を引き起こし、一つの行動が次の物語に繋がってゆくのを、遠く離れた世界の出来事としてみてやることもできて、ああそれはいい話の展開だなとか、随分実験的な小説だなあとか、そんな感想をつぶやくことだってできる。でもそれは、自分がその時間を生きてきたことに対する裏切りでもあって、例えば村上春樹のアンダーグランドを読むことや、ドン・デリーロのFalling Manを読むことと、この本を読むことは基本的に同じ地平線の上にある行為でしかありえない。もちろん、ドレスデン大空襲や広島の原爆投下のことが過去から現在の物語の中に挿しこまれるのには意味がある。その意味は自分の善みたいなものに刺さってくる。

    忘れたいことは常に忘れてしまうことができずに、忘れたくないことは簡単に忘れてしまうのは、一体どうしてなんだろう。

  • 先に映画をみて泣きまくった挙句、そのあとで原作が気になって読んでみた本。
    内容の素晴らしさはもちろん、小説でこんな表現ができるんだな、と思いました。悲しく、スッキリするエンドでもないけれどユーモラス。
    どうしても映画との比較になっちゃってますが、下記雑感。

    主人公のオスカーは父を9.11の同時多発テロで失った。発達障害気味の彼にとって、唯一といってもよい理解者であり、友達だった。なぜ父が死んだのか、どうやって死んだのか。そして父が最後に留守電メッセージで自分を呼びかける声を、それに答えられなかった自分を、受け止めきれずにいる。
    話が動き出すのは "Black"と書かれた紙の入った青い花瓶とそこに入った鍵を見つけてから。なにか父の面影とともに鍵に嵌る鍵穴を探すストーリーが始まる。

    また映画にはハイライトされなかった、主人公がもう二人いる。オスカーの祖父母、トーマスと。彼らもまた、コソボの紛争で愛した女性・アンナ(夫にとっての恋人、妻にとっての姉)を失う。
    異国の地ニューヨークで出会った二人は、それぞれ彼女の喪失を埋められずに、今日まで生きてきた。愛し合うシーンでさえ、夫は姉の姿をみていた。そして二人の離別の原因となった息子も、本作では失われる。彼らが最後に手にしたのは、孫であるオスカーとお互いの存在。

    空白も多く、詩的に書かれる祖母と、声を失い、筆談で生きる祖父の姿。そしてページが真っ黒になっていく描写は、彼のそれまでの人生の、大いなる空白を埋めるかのごとく「感情が流れ込む」よう。
    オスカーにとって、そして多くのアメリカ人にとって、「2001.9.11」が特別な1日であるように、彼らの祖父母にとっては、やっぱり「空爆前後」という感覚がある。恐るべき理不尽さ、恐るべき喪失、それでも決して単純な「反・戦争」的でない。うまく生きられなかった祖父母の愛と人生は重苦しいけれど、オスカーにそれが連鎖しないような希望もある。

    人がいて、それぞれに物語があって、みんな苦しい。
    答えを探すんじゃなくて、問いを探す、理由を探す、そういう物語もあるし、答えがないことが明白なら何も探せなくなってしまうこともある。開かない鍵穴もあるし、鍵穴にたどり着けない鍵もある。「生き方を学ぶのに一生かかる」という祖母の言葉は果てしなく重い。
    多分、ずっと忘れない読書になりました。

  • 映画観てました。ずっと読みたいと思っていた、ようやく。どうしても映画では時間関係で削られてしまっている部分まで隅々読めてよかった。
    三世代の親子の視点から、彼らの人生そのものが書かれている。主人公の少年は9.11で父を亡くし心に傷を負った少年だ。が複雑に賢くウィットに満ちている。おばあちゃんのときにアメリカへ移籍してきた移民一家なのだ。だがもちろんアメリカ人でそこらへんのアイデンティティの移ろいが文章にされているカラフルさが見事だった。なぜかおばあちゃん、おじいちゃんの文は白黒に感じたし、主人公の少年の文はもちろんカラフルだった。不思議な体験。本書の作りが大変に凝っているのも一因だろう。よく翻訳、編集してくれたと頭が下がる。
    あらゆるNYのブラック氏に会っていくことで少年は様々な人に出会う。苗字が同じだけで、他はすべて違う。スパイスのような手紙たちもそれぞれ味がある。
    手紙の埋葬をする最後はピースが埋まるようなカタルシスがあります。でも人生はこれからも亡くした人を、困難を抱えながらも続くのだとも思う。少年の物語なのだから、もちろん未来があるのだ。

  • 映画がものすごくよかったので、ぜひ原作も読みたいと思って読んだんだけど、いや小説もよかったんだけど、映画はすごくエンターテイメントにキュートに巧みにつくったなあと感心したような。ストーリーも細かいところはけっこう違っていて、映画は本当にうまくオスカーの話を中心にまとめてあって、おじいさんやおばあさんの過去の話は出てこなかったり。確かに、映画でおじいさんおばあさんが体験したドレスデン爆撃まで描いていたら長すぎて焦点がぼけるし、わかりづらかっただろうなと。
    そして原作はすごく実験的というか「しかけ」みたいなものが多くて、写真や図版がはさみ込まれていたり、白紙とかひとことだけのページとか、行間がだんだんせばまっていくページとかがあったり。表現も詩のようだったり、正直、読みにくいところも多かった。わたしはそもそもそういう実験的というか変わった手法で書かれたものが苦手ということもあって。。。
    やっぱりどうしても映画の印象が大きすぎて、正しく小説を評価できないというか、小説だけの感想を書けない感じだけど、あの映画のストーリーをつくったというだけでもすばらしいなあと。

  • 初めて愛する人を失うということ、それはその瞬間も、その後もずっと、向き合うのが怖いことで、忘れるのも怖いこと。向き合えない自分を、忘れる自分を責めて生きること。それが突然の死ならなおさら。それは特別なことではなくて、ある日突然治ったりしない、そのままで生きていくしかないし、それでいいんだ、ということを教えてくれる本。

  •  3人の語り手による一人称語りが交互に挿入される手法は、近年の日本の小説でも伊坂幸太郎らが盛んに取り入れている手法だ。一見異なる世代、異なる時制の話が一点に収斂していくのもまた然り。

     おそらくは発達障害的背景を持つオスカーは、9・11という唐突な事象により父を失うという事実を論理的に受け入れられない。3・11の後に自閉症の子の多くが情緒不安定になったのと重なる。PTSDの背景にある脆弱性は、感覚の過敏さと切り離せない。オスカーは「発明」に疲れている。
     エンパイアステートビルの展望台からニューヨークの街を見渡して双眼鏡で亡き父を捜すうちに、遠くにあるものがありえないほど近く感じ、情緒的に混乱を来すシーンは象徴的。

     戦争にせよテロにせよ、「死体」のない死をどうすれば論理的に受け入れられるのか?というのは難しい問題である。ここに描かれているのは、手紙というコミュニケーションツールと人間同士のシンプルな対話のみである。相互的なコミュニケーションの反復を通してのみ、未来の生が開かれているのだ。

     

  • テロや戦争に対する非難や主張は語られず、むしろたんたんと軽妙でさえあるが、それゆえ、読む者は喪失した者の苦しみをまざまざと味わう。登場人物それぞれ各人にしかわからない苦しみと、それとの向きあい方があり、最後に全て納得できる。

  • 凄い小説だった。主人公の少年が撮影した写真や、もはやデザインにも近しい手紙風の挿話が含まれていたり、読むことが正しく映画的で体験ともいえるような本だった。

    911で父親を亡くした少年、ドレスデンの爆撃で恋人を失い、言葉の発し方も失ったその祖父、祖父の恋人の妹であり、祖父に去られてしまう祖母の三者の話。それぞれ文体は違うが、全てが失った大切な物を軸に語られる。心が痛すぎて、何度か読み進めることが出来なくなってしまった。

    主人公の利発な少年がユーモアの効いた軽い語り口で物語を展開させるが、ふとした独白や、別の人の視点になった時、よく泣いていることが分かる。その見せ方もすごい。
    さらには言葉の発し方を失った祖父と、その祖母が離別するシーンの映画的な書き方。ジェスチャーで伝えなければならないがゆえに、その痛ましい情景が浮かんでくる。

    もちろん、最終的には三者それぞれ再生する。911の悲劇と真正面から向かいあい、それを乗り越えようとした、それだけのパワーのある小説だった。

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著者プロフィール

1977年、ワシントンDC生まれ。プリンストン大学在学中に作家のジョイス・キャロル・オーツに才能を認められ、2002年に『エブリシング・イズ・イルミネイテッド』(ソニー・マガジンズ。電子版はNHK出版)で作家デビュー。全米ベストセラーとなった同書はガーディアン新人賞、全米ユダヤ図書賞など多くの賞を受賞、世界30カ国で刊行された。2005年に発表した長篇2作目『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』(NHK出版)も各方面で絶賛され、ロサンゼルス・タイムズ、シカゴ・トリビューンなど各紙でベスト・ブック・オブ・ザ・イヤーに選出。同書はハリウッドで映画化され、アカデミー賞にノミネートされた。2009年に食をテーマとしたノンフィクション『イーティング・アニマル』(東洋書林)を発表し、アメリカの食肉・水産業界に一石を投じる。本書『ヒア・アイ・アム』は11年ぶりに上梓された小説で長篇3作目にあたり、前2作と異なり自伝的要素を踏まえ、多視点で登場人物たちの心情をリアルに描くという新機軸の構成が各メディアに絶賛された。ニューヨーク、ブルックリン在住。

「2019年 『ヒア・アイ・アム』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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