- Amazon.co.jp ・本 (123ページ)
- / ISBN・EAN: 9784140093023
作品紹介・あらすじ
青年プラトンとソクラテスの出会いから「哲学」は始まった。ふたりの「対話」から、哲学者の生を生きるとはどういうことかを問う。
感想・レビュー・書評
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著者はあとがきで本書を異端と言っているが、私は本流だと思う。これまでの解説書が瑣末であったに過ぎない。哲学者とは何かをプラトンの思想を通して考える本書は哲学のエッセンスシリーズの最初に手に取る一冊としてふさわしく思える。なかでも政治との関係は哲学にとって最も切実な問題意識であると思う。
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「今まで『現実』と思っていたものは、実は、本当の『現実』の影にすぎない」p. 69 だとしたら「現実からあえて距離をおくことで、私たちに、はじめて現実を見る視野が開けてくる」p.68 のかもしれない. 「現実から一旦離れて、哲学において現実を考察することが、実は現実に接近する最善の途となるのではないか?」 p.63さしあたり,ソクラテス,プラトンの意味で「哲学する」(フィロソフエイン)一つの方法はプラトン対話篇を読むことでしょう.https://link.medium.com/Hc2A6MKCe6
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大仰で物言いで陳腐な二項対立を振りかざす様があまりに薄っぺらい。完全に自分の言葉に酔っているのが、読んでて恥ずかしい。
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ソクラテスもプラトンも現実政治の敗者であるという事がわかる。ここが哲学・倫理の難しさかな。が、各々「生」は全うしただろうから、両者とも人生には満足したのではないのかと。
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プラトンの思想そのものや、対話篇を紹介するのではなく、対話篇を通じて、不在のプラトンと出会い、対話しようとする異色の哲学書。
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すごく読みやすかった。
時代背景とかもわかりやすくまとまっていて、こういった出来事が背景になってこういう発想なんだろうとか(肉親クリティアスの零落とか)わかりやすかった。どんな人物でもその人の身の回りの出来事と切り離しては考えられませんもんね…
プラトンがソクラテスに哲学の語り部を仮託する理由もそうかも、とは思った。 -
プラトンの哲学への関わり方を、ソクラテスとの出会い、アテナイの政変、ソクラテス裁判という3つの事件にそくして、比較的自由に語った本。
ソクラテスは人びとに問いかけることで、彼らの生の基盤を揺るがし、反省にさらす。プラトンにとってソクラテスとの出会いは、哲学的な問いに自分自身がさらされることだった。プラトンは対話篇を書き次いでゆく中で、ソクラテスと出会うことで彼が巻き込まれることになった謎と可能性を問いなおしていった。
プラトンの『カルミデス』では、アテナイの三十人政権の中心になったクリティアスとソクラテスとの対話がおこなわれる。これは、プラトン自身が若い頃に共感したクリティアスの「思慮深さ」についての考えと、その政治的帰趨とを問いなおす試みだった。
ソクラテスの死は、真の「教育」とその実現しがたさを浮き彫りにする事件として、プラトンに迫ってきた。ソクラテスによる善き生への問いかけは、既成の社会通念への厳しい吟味として、この現実に囚われていきているアテナイ人たちの生の根底を揺るがした。この事件が問いかけているのは、もっとも根源的な意味での「政治」「教育」「敬神」の問題だったと本書では語られる。
プラトンにとって「哲学」とはどのような営みだったのかを論じることで、同時に現代の私たちがプラトンを通じて「哲学」という問いの場に引き出されることがどういうことなのかという問題に読者を投げ込む本だと言えるように思う。 -
・光文社古典新訳文庫版『ソクラテスの弁明』の訳者の手によるプラトンの入門書。
・『カルミデス』の読解が白眉。真剣に「正義」を実現しようとしながらも、「正義」についての理解そのものが誤っていると、それを実現しようとする強い意欲や試みが、かえって最悪の結果をもたらすことになるという分析は、現代にも普遍的に当てはまるだろう。革命が恐怖政治に転化した例をわれわれはいくつも知っている。
・それとともに、アリストテレスの配分的正義からジョン・ロールズの正義論に至るまで、「正義とは何か」が西洋哲学の主題の一つであったことを踏まえると、「西洋哲学の歴史はプラトン哲学への膨大な註釈に過ぎない」というホワイトヘッドの言葉も案外言いすぎとは言えないような気もしてきた。
・似たような言い回しが繰り返されて、途中やや冗長な印象も持ったが、最後まで読み進めると、それらは全て「洞窟の比喩が、ソクラテスの生と死のメタファー(隠喩)になっている」ことを読者にすんなり理解させるための伏線であったことに気づく。小著であり、プラトン哲学を網羅しているわけではないが、よく練られた入門書だと思う。