ベルクソン~人は過去の奴隷なのだろうか (シリーズ・哲学のエッセンス)

著者 :
  • NHK出版
3.44
  • (6)
  • (18)
  • (28)
  • (5)
  • (0)
本棚登録 : 208
感想 : 17
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (112ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784140093085

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 空間支配から逃れ、いかにして純粋持続的に生きられる否かが人生の質を決定するんだろう。自由に対する意識は持っていたが、結局は空間の中での自由でしかなく、無意識に空間支配されていた事に気がついた。本来的には存在の奥底から完全に自由であるハズなのに、自ら過去の奴隷となっていた。これは驚くべき発見だ。
    持続する過去が我々を圧倒し、後ろから押してくる事により、本当の意味で<いま>を生きていない。過去の記憶が現在の知覚に押し寄せてくる。よって現在は過去から逃れられない。と同時に記憶によって支えられているとも言える。
    ただでさえ対象を形骸化してしまう知覚という行為は言語による先鋭化によって知性となる。その事でスッキリもする。が、そもそも論として、経験や体験を哲学的に語る事の矛盾も感じてしまう。

  • 感動したかと言われれば、かなり感動した。
    著者の息遣いを感じる。

    ベルクソン初学で読み、唯物論的世界観に生きながら唯物論的ではない世界観に触れた。金森ーベルクソンの「唯心論」は現実的、常識的に感じる。全て数式で説明付けられるとは、必ずしも言えない、というのは僕には痒い所に手が届く意見。「必ずしも言えない」という控えめな主張に留め、科学的説明の価値は認める知的誠実さを残して、しかしその万能性に疑いを挟む。たしかに測定できる時間ではない時間感覚があるように思えるし、数字に置き換えられない瞬間瞬間の変化を自分に感じる。実体験に基づいて感じるところを起点とすると、唯物論よりも納得がいくオルタナティブな立場であると感じる。

    詳しくはわからないから、金森が勧める本を少しずつ読むといいのかもしれない。それか科学史家である金森を追っていくのがむしろ正攻法かも知れない。

    とにかく分量的には小さい本だが内容は厚く、感じるところが多かった。

  • 感覚と時間を数量的にとらえることの限界を指摘し、自然科学一元論的な考えを批判することがベルクソンの目的で会ったようだ。ささっとベルクソンの知識を付けるのにはよかった。

    概念整理
    〈純粋持続〉数量的にとらえられない、確かにあるとしかいえない時間の流れ。人間のみに存在する。
    〈物的な持続〉時計、暦などで時間を均質的に「区切る」
    〈純粋知覚〉理論的にのみ存在する瞬間的な知覚
    〈純粋記憶〉記憶心像として記憶の中に待機している物を、知覚として捉えると同時に記憶から取り出している。現在性の否定、人格性の否定?(私の知覚はある意味で過去の人々の知覚でもある)。

    最後はやや自己啓発的な内容だったので星3にしています。

  • ベルクソンの哲学を「純粋持続」をキーワードに読みほどく。薄いけれども単なる要約ではなく、大変わかりやすく、また読んでいると明るい気持ちになる。個人的には記憶が身体に蓄積されているというふつうの空間的イメージを否定しているところが面白かった。それならどこにどう存在しているのか、それはいろいろ想像の余地があるのがよい。

  • とても平易な解説だし、著者の熱い思いがあふれ出してきそうな良書。
    哲学というとただ形而上の小難しい概念を小難しい顔してこねくり回しているという印象があるかもしれないけど、本来はこんなふうに、熱い衝動から生まれるべきものなのだと思う。

    が、しかし。。。
    それでも僕には「純粋持続」の概念がわからない。いったいこれはなんなんだーー!!

  • 私にはまだ難しすぎた。よくわからなかった、という意味での低評価。改めてチャレンジしたいとは思うので★2つ。

  • なんとなく手に取ってみた。
    ベルクソンは前々から気になっていたが、本書の副題「人は過去の奴隷なのだろうか」という問題提起に引き込まれたからだ。

    全体的に哲学者の書という感じで少し冗長な感じではあるが、原著を紐解かなくてもベルクソンの主張を追う事ができるので良かった。
    特にはじめにでのドリーの死やマイノリティリポートなどの下りは本論前に引き込むにはとても興味深い展開だった事を記載したい。

    本書では第一部で「純粋持続」についての解説がなされ、第二部では「知覚」に関する話が展開される。
    時間に関する自称では純粋持続がコアだと思うのだが、なかなか自分の中に落とし込めない概念だ。ベルクソンの言葉を記載しておく。
    『要するに、純粋持続は、質的変化が次々に起こること以外のものではないはずであり、その変化は互いに解け合い、浸透し合い、正確な輪郭を持たず、互いに対して外在化するといういかなる傾向もなく、数とのいかなる近親性もない。それは純粋な異質性のはずだ。』
    ということのようだ。むずい。

    また、知覚に関しては人間の脳の側にあるという主張ではなく、対象物の表象に存在する物として定義づけている点はなかなか理解に及ばない。現代科学で否定されているようにも思えるが、走馬灯の話であったり、アフォーダンス的な観点では応用できなくもない考えなので、なんだかなぁという印象である。

    とりあえず、人は過去の奴隷ではないという結論だが、なんとも言えない読了感であった。

    目次
    第1章 純粋持続を探せ
    (量と質との戦い/純粋持続とはなにか)
    『創造的進化』にまつわる間奏曲
    第2章 押し寄せる過去と、自由の行方
    (知覚という謎/記憶のありか/自由の泉)

  • ちょっと触りたい人には良いのではないでしょうか。若干逃げの姿勢が気になりますが、それはそれとして読み物としては悪くないと思います。

  • 「純粋持続」-時間を考える上(かつ私が生きる上で)で重要なこの概念を丁寧に本書は解きほぐしている。私自身、ベルクソンはかじった程度なので、これを機に原著を深く読み込んでみようという気になった。

    以下、気になった記述。
    ・「要するに純粋持続は、質的変化が次々に起こること以外のものではないはずであり、その変化は互いに溶け合い、浸透し合い、正確な輪郭を持たず、互いに対して外在化するといういかなる傾向もなく、数との近親性もない。それは純粋な異質性のはずだ。」
    ・それは日常の功利的要請や実際的価値のせいで空間化されている、心の比較的表層の部分を突き抜けて、判断し、情愛を感じ、決心するといった、心の中でも最も重要な部分を、より純粋な形で見出すということでもある。
    ・「因果性と同一性は完全に合体することはない。」
    ・(概念は)検証とは違う性質を持つ生産性なのである。
    ・知覚とは、なによりも対象の固定であり、対象の省略的で概略的な把握、対象の形骸化を意味している。
    ・ことばは、世界を固定し安定させるための、この上ない武器なのだ。
    ・年をとればとるほど先細りふうに選択肢が減っていくという表象自体、きわめて空間的な表象。

  • 一切知識がなくても、興味さえあればなんとかわかった様な気になる。
    つぎは再読するか、本人著を読むか。

全17件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

東京大学大学院教育学研究科教授

「2016年 『談 no.106』 で使われていた紹介文から引用しています。」

金森修の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×