NHKブックス別巻 思想地図 vol.4 特集・想像力 (NHKブックス 別巻)

制作 : 東浩紀  北田暁大  宇野常寛(編集協力) 
  • NHK出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (432ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784140093474

作品紹介・あらすじ

情報環境・消費環境の変化により、個人はそれぞれの「心地よい」島宇宙に自閉し、社会は分断されてしまった。「大きな物語」が機能不全に陥ったこの時代、私たちの想像力は、はたしてどのような未来を描くのか。村上春樹から政権交代、折口信夫からエヴァまで、さまざまな領域を横断しながら、ときに「未成熟」と批判される日本的想像力のありかたを徹底的に吟味することで、未来を切り開くハイブリッドな知の可能性を探る。

感想・レビュー・書評

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  • 情報や消費環境の変化により、個人はそれぞれの「心地よい」島宇宙に自閉し、社会は分断されてしまった。「大きな物語」が機能不全に陥ったこの時代、われわれの想像力は、はたしてどのような未来を描きうるのか。村上春樹から政権交代、折口信夫からエヴァまで、さまざまな領域を横断しながら、ときに「未成熟」と批判される日本的想像力のありかたを徹底的に吟味することで、未来を切り開く知の可能性を。
         -20091228

  • 巻頭には、中沢新一へのインタヴューが置かれています。インタヴュアーは東浩紀と白井聡の二人です。さらに中川大地による、中沢新一の著作案内では、ごく簡単ではあるものの、中沢の思索の軌跡が解説されています。

    このほか、本書には村上隆へのインタヴュー記事である「アート不在の国のスーパーフラット」や、ゼロ年代のアニメの問題を集約的に論じた座談会「物語とアニメーションの未来」、村上春樹の『1Q84』をめぐる座談会「村上春樹とミニマリズムの時代」、宮崎哲弥を囲む座談会「変容する「政治性」のゆくえ」、ともに娘をもつ父親となった東浩紀と宮台真司の対談記事「父として考える」などが収録されています。

    ゼロ年代のアニメをめぐる議論では、95年以降の問題を積みのこしたままゼロ年代が過ぎ去ってしまったとする宇野常寛の議論に、宇野によって批判されていた東が表面的には比較的近いスタンスをとっていることが気になります。もっとも実存の問題を切り捨てて決断主義をえらびとる宇野と、実存の問題とアーキテクチャの問題が混淆せざるをえないことへの認識に立ちとどまる東では、根本的なちがいがあるといえるのもたしかなのでしょうが。村上春樹にかんしては、座談会参加者はいずれも否定的な見かたを示しているのですが、前田塁の立場にやや引っ張られすぎているような印象も受けます。

    「父として考える」は、先にNHK生活人新書として書籍化されたものを先に読んでいたのですが、そのときには父親としての顔を示す東と宮台に新鮮さをおぼえたのに対して、今回は二人が内田樹の議論と相同的な他者論を展開しているのにがっかりしてしまいました。

  • NHKブックス別巻 思想地図 vol.4 特集・想像力

  • 村上隆さんへのインタビュー「アート不在の国のスーパーフラット」は圧巻です。

  • 地元の図書館で読む。今回が一番面白い。特に、アニメに関する座談会は面白かった。エバとは縁がありませんね。何故なんでしょう。

  • 宮沢賢治南方熊楠折口信夫

    ゴジラ
    東宝特撮もの
    類型化されたイメージの構造的な組み合わせ
    大衆文化的表象が世界的な商品に
    ゴジラの腰つきの未熟性。エディプス化される前の欲動のようなものを感じる
    日本人が平面化する場所というのは、歴史的に見ても、中間領域と呼ばれているエッジやマージンの領域
    ヨーロッパのコミックは表現のエッジがはっきり立っている、描かれるものの同一性の確認ということが表現の中心的な主題になっている
    ヨーロッパの橋というのは主体(共同体、都市)と主体の間という二つの明確な構造を持った存在同士を繋ぐ。ところが日本の場合、橋の向こう側が霞んでいる。死の領域彼岸の領域、そこへ向かって橋をかける。本来漫画表現というのは中間領域(橋)を主題にしてきた
    トマトケチャップは元々フランスでは離乳食。切断性のある液体を口に運ばないといけなかった。
    折口信夫も一種の幼児性、大人の柳田国男と対立している。柳田国男は近代的市民、神様について大人びた考え方をしている。折口信夫の幼児性の神。両方正しい、ケチャップのような粘液性を持ちイメージの原型の洞窟を持ち、洞窟を持ち子宮のようなものについて潜在的なイメージの集合性がある
    共通性をどう捉えるか、僕らが直感的にこれはこれと似ているアナロジーで似ている。表面上は似ていないけど構造が同型
    キッチュ
    パラサイト動物ネズミと黒死病を結びつける想像力はいまも生きている。ヨーロッパの想像力では非常に重要な存在、人間に帰省しているけど他方では姿を見せない。悪魔とかネガティブな領域とつながっていた
    ディズニーの生成変化はアンチクライストな構造が最初からセット。移民ヨーロッパ人。ドナルドダックのヒステリーと恐慌で職をなくした父親たちのヒステリー
    宮崎さんの幼児性は森に深い関わり、日本の森の精霊はイギリスの妖精とはことなる。彼独自の昇華の仕方の根底に、日本はそれほどネガティブな思考をしてこなかったということがある
    一神教の後の幼児性、一神教以前のスピリットの幼児性
    ものすごくやさしい童話の傑作を書いている時代に日蓮宗系の田中智学の思想(大量殺戮の思想)深くコミットしていた宮沢賢治。読み手たちは矛盾の原動力になっている思想強度そのものを捉えなくてはならない
    矛盾を矛盾のままにとどめていることは外から見ると幼稚であったり未熟であったりするように見える。素朴に未熟であることと、矛盾を孕むものを肯定する反成熟とは違うもの
    自覚された態度としての反成熟と未熟性ということはわけなきゃいけない
    日本文化はラッピングが得意、未熟なまま大人になる方法がラッピング。形式によって成熟する。
    リクルートスーツの一団に無性に腹が立つ画一性と日本の新卒者を有り難がる歪んだ雇用慣行労働市場の象徴。一種の社会的義憤を禁じ得ない。ただ伝統に忠実。好き勝手な格好をしていると、お祭りの美しさがないマスゲームのような面も確かにあるが、日本的なものに見事な調停点なんてどこにもない
    西洋では二面性を弁証法的に統合することが重要だった。しかし現代社会はそういう西洋的規範が崩れている時代
    分離したものをいかに分離したままいかに共存させるか
    拝金主義は昔からあるが人類がここまで未曾有の規模で拝金主義になったことはおそらくない。管理通貨制は無限に通貨を発行できてしまうから無限に拝金主義が可能になる。これはフロイトの図式で言えば肛門期に欲動が固着してしまっている状態
    利潤が発生すると矛盾が起こる
    利潤と増殖という問題が資本主義にの根本にはセットされている。昔から商人はたくさんいたがいまのこの資本主義が増殖を回収できないシステムにした。ローカルな単位でお祭りや蕩尽で消費することができた
    お祭りが日常化し都市空間のいたるところにお祭りシステム
    バタイユの中心的主題にもなっていた過剰という問題。
    どんな場所でも回収不可能なシステムがグローバル化
    肛門期的なマネーゲーム
    マルクスの価値形態論の等価交換原理
    そもそも等価交換原や貨幣は成立していない。そういう風に見えること自体が遠近法的倒錯。しかし倒錯は必然性があるので指摘してもしょうがない
    収斂
    人間の思考というのは平面を作り出してしまうことの問題性なんだ
    精神分析の人たちは認知心理学が嫌いです。精神分析が人間を扱う学だとしたら認知心理学は人間を動物のように扱う学だから。人間の心も基本的には動物と同じ原理で理解できるはずだ。文化消費を考える時に人間の特権性への視線が必要なのか。群れとしての人類人間社会はある程度動物として理解できる自分固有の事件もかなりの部分解釈可能本を読んで感動する結婚相手探し我々はそもそもが全員動物であり時々人間的な行動を取るにすぎない。24時間人間的な人はいない。ほとんどが習慣で行動しており習慣こそ動物化として説明できる
    生物学科は行動主義が主流
    個体識別をしながら群れの構造を探って行く日本のサル学
    唯物論というのは結局人間に属することは人間内部では決定できないということ。最終決定要因は外生的なもの。パブロフの実験など読むと内因的な原理ではなく外因的な原理で決定されるという皮肉に満ちた人間論。自分は内生的なシステムとして行動していると思うかもしれないけど外生的に決定されている生き物だと。これがマルクス、フロイト、ニーチェの根本思想
    アーキテクチャは唯物論の新しい形外在的な要因に規定されている
    人間というものは物事を選択しているんじゃなくて設計された中でしか選択できないし、その設定条件さえ変えれば、人間の自己決定などいくらでもいじれてしまう。思想史的にもフロイトやマルクスとかけ離れているし担い手は軽蔑しきっているがゆえにおもしろい
    ハイブリットな形で
    理論的にも実証的にも
    疎外論、動物とはつまり物語の不在に耐えるための生き方
    オルタナティブとしての刺激剤でしかないのか
    現前
    印象論になってしまう
    アメリカ文化の圧倒的な影響下、その背後にあるヨーロッパ原理
    仏教をデリダの戦略的な否定神学として理解しようとした。肯定的言説を極限まで推し進めていった時それが矛盾に陥ると。
    僕が体験する仏教では二つを極限的に対置して極限点で反転する思考方法はとらない
    長いデイスコミュニケーションを経てたどり着いてみたら、非常に近いところにいる
    世界宗教、一神教と多神教を包括する世界観は定義上一神教か多神教どちらかになるようにも聞こえる
    一神教の超克
    一神教的な多神教というものの一番の達成形態はイスラム教。イスラム教が一神教の最も発達した形態
    大川周明
    頭の良さだけに頼ると歴史的経験を無視してしまうことになる僕らが考えるていどのことは過去の人間も考えている
    一神教と多神教の相互貫入として歴史的に何回も現れている
    折口信夫が戦後神道を一神教に突き抜けさせていくことができないかと
    実証的で経験的な言葉しか信用されないし関心も抱かれない
    フランス語の場合日常言語と数学言語が近い
    日本の思想というものは主に文芸批評的な言葉で書かれてきた側面
    90年代以降あらゆる価値観の無根拠を主張するポストモダン状況が本格化する中
    反時代的
    歴史的にはっきりしているため建国創設の瞬間への問いかけがアメリカでは強い引力を生みやすい。日本ではそのような政治的言説はあまり見かけない。国粋主義的な右派の言説では精神論・文化論的な性質なもの

  • 阿部和重さん「イッツ・オンリー・ア・ビッチ」のみ読みました。作家の二次創作、こうなるか!

  • 様々な分野にまたがって「想像力」を扱う。

    雑学享受には良かった。

  • 想像力のタイトル通り。

  • 『思想地図』vol.4の村上隆インタヴューを読んで思ったのは、彼だけが、ほとんどアート以外の言葉を使って「アート」をつくろうとしていた(つくろうという意思を感じた)ことだった。http://twitter.com/#!/strsy/status/10575200313

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著者プロフィール

1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』など。

「2023年 『ゲンロン15』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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