NHKさかのぼり日本史(9) 平安 藤原氏はなぜ権力を持ち続けたのか
- NHK出版 (2012年5月23日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (120ページ)
- / ISBN・EAN: 9784140814932
作品紹介・あらすじ
歴史には時代の流れを決定づけたターニングポイントがあり、それが起こった原因を探っていくことで「日本が来た道」が見えてくる。藤原氏の時代ともいえる平安時代四〇〇年-彼らはいかにして貴族社会の頂点を極めたか。1156年→1018年→901年→866年の権力闘争を勝ち抜いた"一族"の正体に迫る。
感想・レビュー・書評
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摂関家の危機・1156年:藤原史≒日本史 院政・新たな政治システム 院との力の差 忠実と親子の確執 皇位継承対立 保元の乱の危機 藤原道長の栄華・1018年:望月の欠けたることもなし 強運の持ち主・道長ー前代未聞の戦略 道座ななくして「源氏物語」なし? 権力独占への道・901年:稀代のエリート学者・菅原道真 転機となった阿衡の紛議 権門の時平・寒門の道真 謀反はあった? 他氏排斥後に残されたもの 摂関政治の誕生・866年:不穏な世情・台頭した北家 冬嗣と良房の婚姻戦略 天下の政を摂行 藤原氏が・千年の歴史
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藤原氏が権力を持ち続けた理由を探る。他氏排斥と外戚化か。一千年に渡る藤原氏の存続で日本文化の重要な骨組みができたとも言える。
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時系列を細かく分けて、その都度、家系図を示してくれていたのがよかった。難しい言葉をほとんど使わず簡潔にまとめられていたので、とてもわかりやすかった。
今までよくわかっていなかった、保元の乱での藤原氏の人間関係のことが明確に理解できた。同シリーズの近現代史のものも読んでみたいと思う。 -
(2014.05.07読了)(2014.05.02借入)
副題「藤原氏はなぜ権力を持ち続けたのか」
平安時代というのは、藤原氏の時代というところなのでしょう。
政治の権力が天皇から藤原氏に移り、平家の台頭をへて源氏、北条氏へと移ってゆくのですが、天皇家はずっと存続し続けるので、藤原氏は現代まで生き延びてきているというのです。近衛文麿、細川護煕といったところも、藤原氏の末裔なのだそうです。
古典文学の時代と考え合わせると、保元の乱は、平家物語、藤原道長は、源氏物語や枕草子、菅原道真の頃は、古今和歌集が完成した頃、応天門の変は、小野小町・在原業平・僧正遍照などの六歌仙の時代と重なります。
各章の扉ページにポイントが書いてありますので、拝借しておきましょう。
第1章、ターニングポイント1156年、保元の乱
摂関家を頂点とする貴族社会のリーダーたちは、古典文化の担い手として存亡の危機を乗り切った。
第2章、ターニングポイント1018年、「望月の歌」の吟詠
「この世は我が世」―一家三后をなしとげた道長賛歌の吟詠が都の夜空に響きわたる。
第3章、ターニングポイント901年、菅原道真の大宰府左遷
御家芸「他氏排斥」で、新興公卿、名門公卿ら迫りくるライバルを次々に追い落とす。
第4章、ターニングポイント866年、応天門の変
外戚拡大の戦略も他氏排斥の陰謀も摂関政治の発進もすべて良房から始まった。
【目次】
はじめに
第1章 摂関家の危機―1156年
第2章 藤原道長の栄華―1018年
第3章 権力独占への道―901年
第4章 摂関政治の誕生―866年
参考文献
年表
●美女の三大要素(43頁)
平安時代の女性の魅力を語る際、容貌については実はあまり重視されていません。当時の、いわゆる美女の三大要素とされるものは、まず教養があること。これは漢文が読めるということとほぼイコールです。ただし、漢文が読めたとしても、それを人前でひけらかすことは、「はしたない」こととして忌み嫌われました。二番目の要素が、和歌が上手なこと。そして最後が、長い黒髪を持つことです。
●道真の右大臣昇進(71頁)
藤原氏のような累代の名門を権門と呼びますが、対して菅原氏のような門地の低い家柄を寒門と呼びます。寒門出身の者が大臣の位にまで昇ることは前代未聞の異常事態でした。
☆関連図書(既読)
「NHKさかのぼり日本史①戦後」五百旗頭真著、NHK出版、2011.07.25
「NHKさかのぼり日本史②昭和」加藤陽子著、NHK出版、2011.07.25
「NHKさかのぼり日本史③昭和~明治」御厨貴著、NHK出版、2011.09.30
「NHKさかのぼり日本史④明治」佐々木克著、NHK出版、2011.10.30
「NHKさかのぼり日本史⑤幕末」三谷博著、NHK出版、2011.12.30
「NHKさかのぼり日本史⑥江戸」磯田道史著、NHK出版、2012.01.30
「NHKさかのぼり日本史⑦戦国」小和田哲男著、NHK出版、2012.02.25
「NHKさかのぼり日本史⑧室町・鎌倉」本郷和人著、NHK出版、2012.03.25
「大系日本の歴史(4) 王朝の社会」棚橋光男著、小学館ライブラリー、1992.10.20
「藤原道長」北山茂夫著、岩波新書、1970.09.21
(2014年5月9日・記)
(「BOOK」データベースより)amazon
歴史には時代の流れを決定づけたターニングポイントがあり、それが起こった原因を探っていくことで「日本が来た道」が見えてくる。藤原氏の時代ともいえる平安時代四〇〇年―彼らはいかにして貴族社会の頂点を極めたか。1156年→1018年→901年→866年の権力闘争を勝ち抜いた“一族”の正体に迫る。 -
元々歴史はまず現在からさかのぼって考えるところから始まるので、わざわざ「さかのぼり」と称することでどんだけ新鮮な視点が提示されるのかと期待したが、正直期待外れだった。
第1章の摂関家の危機で、せっかく頼通の長期関白在任が藤原氏の外戚関係が途絶えた原因と書きながら(これだけの文言では原因と結果が論理的につながるように見えないが、頼通に遅くまで子供ができなかったにもかかわらず、子供のいる教通ら弟の系譜に権力を移譲するのを嫌って関白に居座り、一方藤原氏他家の女の入内は阻んだために、藤原氏自体の外戚関係が途絶えてしまったとはいえる。それは、道長が長子の頼通を偏重したことと、後宮を自分の娘で独占しすぎて肝心の入内させるべき皇子の数が少なくなって行ってしまったことに胚胎している)、第2章の「望月の歌」の吟詠でそれを受けないとは(まさに三后独占が結果的には摂関政治衰退の萌芽をはらみ、そのときが満月であとは欠けていくことになったことに触れず)、もったいなすぎ。そういう意味の章立てだと思ったのに。
そもそも外戚関係の完成は娘の入内ではなく、その娘に男子が生まれてこそだから、三后独占がピークじゃ困るのにね。
そのほかにも、つっこみどころが多々あり、平安時代の美女の第1要素が漢文が読めること(p.43)とか、そりゃないだろう。三条天皇時の二后並立を道長が強行したと書いている(p.45)が、こっちを強行したのは三条天皇のほうだし。源高明らが藤原氏より「強い外戚関係」を築いていた(p.82)とか、いや、為平親王に対してより強い外戚関係を持つ可能性があった、ってくらいでしょう、言葉端折り過ぎ。
惟高親王を差し置いて惟仁親王(清和)を立太子したのは明らかにイレギュラーと書いている(p.96)が、生母の出自が重視されたのは古代からだから別に不思議じゃないし、優れた資質の持ち主として知られていたったってその時惟高数えで7歳ですぜ。清和が即位したとき9歳だったのは、文徳が32歳で若死にしちゃったからで、たとえば40歳まで生きていれば15歳だし(実際に文徳が死んだとき惟高は15歳だったので、惟高推しするなら15歳が若いとは言えないはず)。 -
平安時代=藤原時代、というイメージ通りの巻でした。
好きな時代ではあるのだけれど、もう一歩踏み込んだ詳細な本を読みたいところ。
そういう気持ちにしてくれる位には面白かったですが。